『べらぼう』江戸庶民が熱狂した壮大なイベント、吉原の“桜並木”とは?
江戸の出版ビジネス界で“メディア王”となり成功していく蔦屋重三郎を中心に、当時活躍した人々を描くNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。
ドラマの舞台「新吉原」では、季節ごとにさまざまなイベントを行っていました。
特に有名なのは“吉原三景”と呼ばれた三つの祭りです。
メイン通りが夜の雪洞の灯りと満開の桜に彩られる三月の「桜並木」。
若くして亡くなった玉菊という遊女を偲び、店先にずらりと燈籠を飾る七月の「玉菊燈籠」。
吉原で働く人々が芝居や踊り、芸を繰り広げる八月の「俄(にわか/仁和賀)祭り」です。
ちょうど桜の花が咲き始める季節ということで、今回は、三月の桜並木を取り上げたいと思います。
吉原の大門をくぐるとそこには見事な桜並木が出現するのですが、実は驚くことに、この時期だけ人工的に作られた贅沢なものだったのです。
マンパワーや経費をかけた、壮大なイベント新吉原の桜並木とはどのようなものだったのでしょうか。
多くの絵師が作品として描いた吉原の桜並木
元和3(1617)年ごろ、幕府公許の遊郭として日本橋葺屋町(ふきやちょう)周辺で営業が始まった吉原遊郭は、明暦3(1657)年の明暦の大火後、浅草寺の裏あたりに移転をして”新吉原”となりました。
出入り口は夜明けとともに開き、夜四つ(22時頃)に閉められる「大門(おおもん)」一ヶ所だけ。
大門を潜り抜けると、そこからは吉原を南北に貫く「仲之町」と呼ばれる広い通りが、約250mの長さで続いていました。
ドラマ「べらぼう」の第10回「青楼美人の見る夢は」で、白無垢の花嫁衣裳に身を包んだ瀬川(小芝風花)が、肩貸しの男衆なしの単独花嫁道中で、高下駄による見事な「外八文字」を披露してくれたのが、仲之町のメインストリートです。
この場所は桜の名所として有名な場所で、たとえば歌川広重の「吉原仲之町夜桜」、国安「浮絵新吉原仲之町桜之図」ほか、浮世絵にも登場しています。
ピンク色の桜並木は、幻想的な雰囲気を醸し出していますが、実は、この桜はもともとあったものではなく、この時期だけ他所から移植された桜だったのです。
「昨日まで ない花の咲く 面白さ」と、当時の川柳にも詠まれていました。
新吉原のメインストリートを飾る豪華な人工桜並木
『江戸名所花暦』(文政10年/1827)の「新吉原」の項目には、
〜毎年三月朔日よし、大門のうち中の町通り、左右を除けて中通りへ桜数千本を植うる。
常にはこれ往来の地なり。としごとの寒暖によって、花遅ければ朔日より末に植込むこともあり。
葉桜になりても、人なほ群集す。〜
と、「数千本の桜を植えた」と一文があります。(実際には、千本もの桜を移植するのは無理で、もっとすくない数だったという説も)
新吉原では毎年3月1日をめどに、桜の木を植える日を調整し、他所から運んできてた桜の木をメインストリートに移植して花びらが終わったら撤去するという、非常にマンパワーやお金を要するイベントを行なっていたのです。
この贅沢な作業は毎年繰り返され、費用は妓楼主や引手茶屋、見番(遊女たちと待合・料理屋など出向く先との連絡事務)などが分担して負担していたといわれています。(天保年間で150両。一両10万円と換算して1500万円ほど。花魁も負担させられたという説も。)
どこの桜を移植したのかなどの詳細は分からないようですが、高い園芸技術を持つ植木職人が総出で集まり、短期間で作業を行なったのではないかと推測されています。
ある時期から、桜の木の下に黄色の山吹を植え、周りを青竹の垣根で囲い、夜はぼんぼりに灯をともして薄いピンク色に浮かび上がる夜桜を楽しむようになったとか。
ライトアップされた桜や足元を彩る山吹は、さぞかし儚げで美しいものだったのでしょう。
働く遊女にとっては過酷な場所であった吉原ですが、夜の闇に浮かび上がる淡い桜並木の光景を眺めるひとときは、しばし現実を忘れて魅了されていたのかも知れません。
桜祭りには老若男女の多くの観光客が訪れた
先日の、ドラマ「べらぼう」の第11話「富本、仁義の馬面」では、吉原三大イベント「俄(にわか)祭り」が話題となりました。
俄祭りも夜桜も、普段大門から外に出られない遊女や禿たちを束の間だけ息抜きさせたり、吉原で働く者同士の結束を高める意味もあったそうです。
けれどもそこは、江戸最大の観光地ともいわれていた新吉原。
イベントになると、老若男女多くの観光客が訪れるので、集客・宣伝・物販の目的もありました。
特にメインストリートが桜で彩られる時期は、江戸っ子はもちろん、他の場所から訪れる観光客や参勤交代の武士など大勢の人が訪れ、花が散って葉桜になっても訪れる人は絶えなかったとか。
豪華な衣装を身に纏った遊女たちが繰り広げる花魁道中は、この世のものとは思えない美しさでした。また当時、錦絵にもその姿を描かれていたため、彼女らの衣装や髪型などは若い一般女性の間で注目の的でした。
つまり、現代でいうところのファッションリーダー的な存在だったため、桜並木とともに花魁道中を見学にくる女性も少なくなかったようです。
儚い命の桜並木には悲劇的な話も…
吉原の人工桜並木は毎年注目の的だったようで、これを題材にした歌舞伎の演目などは少なくありません。
咲き誇る時期が短く儚い桜は、妖しい“気”を纏っているような気がするものです。
その、桜の舞台で繰り広げられた復讐劇や桜の妖気を纏った花魁に魅せられてしまった人間の悲劇を、次の回でご紹介しましょう。
参考:
青楼絵本考『吉原青楼年中行事』の出版効果 岩城一美
『図説 浮世絵に見る江戸吉原』 新装版
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部