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ロダンの"考える人"が考えていること──地獄の門、そして創造の光へ

イロハニアート

静岡県立美術館 ロダン館、手前の作品は《考える人》

誰もが一度は目にしたことのある、あの筋肉隆々のブロンズ像──《考える人》。 険しい顔をして、うつむき、拳を顎に当てて座り込むその姿は、世界中の美術館や公園に設置されており、日本でも、上野の国立西洋美術館をはじめ、静岡や京都、名古屋など各地で見ることができます。 でも、あの人──いったい、何をそんなに考えているのでしょう? そして、どうして裸なのでしょう? この謎の人物こそ、19世紀フランスの彫刻家、オーギュスト・ロダン(1840–1917)の代表作にして、ロダンの芸術観そのものを体現する存在でもあります。

静岡県立美術館 ロダン館、手前の作品は《考える人》

Public domain, via Wikimedia Commons.

ロダンとは何者だったのか?──彫刻家としての歩み


フランスの首都パリに生まれたロダンは、決して順風満帆な芸術家人生を歩んできたわけではありませんでした。若い頃はパリの美術学校に何度も落ち、長く装飾職人として経験を積む日々が続きます。

Auguste Rodin(オーギュスト・ロダン) fotografato da Nadar nel 1891

Public domain, via Wikimedia Commons.

転機となったのは、1875年、35歳のとき、ベルギーでの活動やイタリアへの旅を通じてミケランジェロの彫刻に触れ、自らの表現を確信したことでした。

そこから《青銅時代》の制作と論争、そして《地獄の門》の依頼へと、彫刻家ロダンの名は徐々に知られていくことになります。

詩人?それとも創造者?ロダンの《考える人》の正体


じつは《考える人》は、最初から単体で制作された作品ではありませんでした。彼が腰かけている岩のような台座も、もともとはある「門」の上に設置されていたのです。

その門の名は、《地獄の門》。
イタリアの詩人ダンテ(1265–1321)の長編詩『神曲』(地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部構成)をもとに、ロダンがライフワークとして取り組んだ巨大な扉の装飾彫刻です。門の頂点には、地獄を見下ろしながら思索を深める詩人の像が配置されました。

それが、のちに《考える人》として独立することになる像であり、当初はダンテ自身を表す存在として構想されていました。

国立西洋美術館のロダン《地獄の門》

Public domain, via Wikimedia Commons.

実際、初期の鋳造には"耳当て付き帽子"が明確に彫られていた痕跡が残っていました。これは、絵画などに描かれるダンテの肖像によく見られる特徴です。体格こそロダンお気に入りのボクサーをモデルにしていたものの、この像は明確に「詩人・ダンテ」として構想されいました。

ところが、構想は次第に変化。門の内容がダンテの『神曲』から、同時代の詩人ボードレールの『悪の華』に登場するような"この世の地獄"へとシフトしていき、《考える人》も詩人ではなく、もっと普遍的な「創造する者」へと変わっていきました。

ロダン自身はこの像について、
「裸の男が岩の上で考え込んでいる。その思索は夢想にとどまらず、ゆっくりと、しかし確かに創造へと結実していく」
と語っています。こうして"ダンテ"は、"ロダン自身"とも重なる存在になっていきました。

未完に終わったロダンの《地獄の門》


《地獄の門》の制作が正式に依頼されたのは1880年、ロダンが40歳のときのことでした。その背景には、1877年に発表された《青銅時代》がフランス政府に買い上げられ、ロダンの評価が大きく高まっていた経緯があります。

ロダンは、ルネサンスの巨匠ギベルティ(1378–1455)による《天国の門》に対抗する形で、「地獄の門を作ろう」とひらめいたのです。

ロレンツォ・ギベルティの《天国の門》, フィレンツェ

Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、完成することはありませんでした。 注文元の高等美術館の建設計画自体が途中で頓挫し、ロダンはそれでもなお、死の直前──78歳で亡くなるまで、実に37年ものあいだ《地獄の門》を彫り続けました。

構想は変化を続け、当初の『神曲』由来の場面で最終的に門に残ったのは、たった二つだけ。飢餓のあまり自らの子を喰らった「ウゴリーノと子供たち」、そして不倫の果てに殺された「パオロとフランチェスカ」

──これは、ロダンの心に深く刻まれた"この世の地獄"の象徴だったのかもしれません。とくに後者は、教え子であり恋人だったカミーユ・クローデル(1864 – 1943)との、深く、痛ましい関係と重なる部分もあったのではないでしょうか。

Camille Claudel(カミーユ・クローデル)

Public domain, via Wikimedia Commons.

ロダンとカミーユの関係は、激しい愛情と葛藤に満ちたものでした。彼女自身も優れた彫刻家として活動していましたが、ロダンの元を離れたカミーユは精神を病み、家族によって精神病院に収容されます。以降は、公の場から完全に姿を消し、30年近くを施設の中で過ごしました。

ふたりの関係は後に映画化もされるなど、多くの人々の関心を集めています。

何が革新的だったのか?──ロダンと近代彫刻のはじまり


オーギュスト・ロダン《The Burghers of Calais》

Public domain, via Wikimedia Commons.

ロダンが「近代彫刻の父」と呼ばれる理由は、彼がそれまでの彫刻の常識を根本から覆したからです。

19世紀当時、アカデミズムと呼ばれる美術界の主流では、彫刻は神話や歴史上の偉人、あるいは貴族や国家に依頼された"理想の人物像"を、美しく整った形で表現するのが常でした。理想化された肉体、均整の取れた姿勢、気高い表情──それが当時、"美しい彫刻"と見なされていた条件です。

ロダンもまた、若い頃には理想化された世界に挑みましたが、美術学校には合格できず、長く職人や装飾彫刻家として活動していました。そんな彼にとっての転機が、1875年からのイタリア旅行でした。

ミケランジェロの彫刻に触れたロダンは、古典的な理想美を保ちつつも、正確な人体構造と写実的な肉体の表現に深く感銘を受けます。

ミケランジェロ《ダビデ像》

Public domain, via Wikimedia Commons.


そこには、表面的な美しさだけではなく、生きた人間の存在感と重みがありました。この体験を通じてロダンは、それまで自分が信じていた「彫刻とは質量と生命感を備えたものだ」という認識に、あらためて確信を持つようになります。

ベルギーに帰国後、ロダンは情熱を注いで《青銅時代》を制作します。この作品は、鍛えられた肉体を写実的に表現したもので、観る者に強烈な印象を与えました。そのあまりのリアルさに、「生身の人間から型を取ったのではないか」との疑いを招き、論争に発展したほどです。

ロダンはその疑惑に対して、ひとまわり大きなサイズの同作品を自ら制作し、型取りではなく自分の手による彫刻であることを示そうとします。この騒動は、彼の表現が当時の常識をいかに打ち破っていたかを象徴する出来事となりました。

オーギュスト・ロダン作《青銅時代》, 但陽信用金庫会館(但陽美術館)

Public domain, via Wikimedia Commons.

この体験以降、ロダンは「彫刻とは、動きを止めた瞬間を写すものではなく、人間の内にある力を形にするものだ」という信念のもとに制作を続けていきます。

理想化された美をなぞるのではなく、観察と実感に基づいた形を彫刻として表現する。ロダンの作品のなかには、表面がざらついていたり、荒々しいままに見えるものも少なくありません。

当時のアカデミックな基準からすれば「未完成」と見なされがちでしたが、ロダンにとっては、そこに素材の手応えや、内なる感情の揺らぎを映す力があると信じていたようです。実際に、彼は「滑らかに整えるよりも、魂を刻むことが大事だ」といった趣旨の言葉も残しています。

《The Kiss》 by Auguste Rodin at Israel Museum, Bronze

Public domain, via Wikimedia Commons.

こうした表現は当初こそ批判も受けましたが、やがて芸術界に大きな影響を与えていきました。ブランクーシやブールデルといった弟子たちにも受け継がれ、現代彫刻の流れをつくる礎となったのです。

そして、ロダンの《考える人》は世界に増えていった


1900年のパリ万博では、ロダン自身が自費で個人展示館(パヴィヨン・ド・ロダン)を設け、《考える人》をはじめとする多くの代表作を一堂に公開しました。これによりロダンの名は国際的に広まり、その評価は揺るぎないものとなります。

その2年後、1902年には《地獄の門》の中央から切り離された《考える人》が拡大され、独立した作品として各地に設置されていきます。

日本においては、松方幸次郎という実業家・コレクターが、ロダンと直接の交流を持ち、多数の作品を購入。現在の国立西洋美術館の礎となる「松方コレクション」の一部として、《考える人》も海を渡ってきました。

しかも、上野には3人の"考える人"がいるのです。モニュメンタルサイズ、オリジナルサイズ、そして《地獄の門》の上にいる元祖・考える人。

ロダンは自身の彫刻の多くを複数鋳造することを認めており、サイズ違いやバージョンの違う《考える人》が複数存在するのもそのためです。そして、国立西洋美術館が松方コレクションをもとに創設された経緯と、ロダン作品の多くを象徴的に配置していることから、上野ではこの3体の共演が実現しています。

ロダンの思索の痕跡は、いまも静かに、日本の地で考え続けています。

まとめ──"創る人"は考え続ける


私たちはつい、《考える人》の前に立つと、「何を考えているんだろう」と問いかけてしまいます。でも、ロダンにとってその問いは、本質ではなかったのかもしれません。

大切なのは、「考える」ことで終わらず、「そこから何を創り出すか」。ロダンは、彫刻という芸術を"理想の再現"から"生命の表現"へと解き放ちました。その革新があったからこそ、20世紀以降の彫刻は、テーマも表現も格段に自由になり、現代アートの地平が切り拓かれていったのです。

《考える人》は、いまも問いかけているのかもしれません。あなたは、何を創り出すのか──と。

ロダンに会える美術館


国内外でロダンの作品を鑑賞できる主な美術館をご紹介します。お出かけの際は、事前に各美術館情報をご確認ください。

【日本国内】
国立西洋美術館(東京・上野)
静岡県立美術館(静岡)※ロダン館あり
京都国立近代美術館(京都)
名古屋市美術館(名古屋)

【海外】
ロダン美術館(パリ)
ロダン美術館(フィラデルフィア)

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