「鉄道が走っていない八女市になぜポツンと機関車が」機関車が語る全盛期の記憶【八女市】
八女市黒木町に蒸気機関車が保存されていました。2025年現在、八女市内には鉄道は走っておらず、ポツンとたたずむ様子は歴史から取り残されたような印象を受けます。
八女市に行くには、JR九州鹿児島本線の羽犬塚(はいぬづか)駅からバスか、車でのアクセスになります。どうしてこんなところに蒸気機関車が保存されているのか見に行きました。
黒木は廃線になった矢部線の終着駅
八女市黒木体育センターの一角には、大きな屋根におおわれた機関車が見えます。保存されていたのは、1両の蒸気機関車です。長い間走った車両をねぎらうかのように丁寧に保存されています。かつてこの地域には旧国鉄矢部線(羽犬塚ー黒木駅間)が通っており、1985年に廃線になるまで鉄道が走っていたのです。
駅があった名残で、「駅前まんじゅう」という名前のお店がありました。お茶のまんじゅうとよもぎ餅をテイクアウトしました。
1960年に開業され、今でもその味を伝えています。当時の人も味わったのかと思うと、なんだかロマンを感じました。
保存展示されているのは「蒸気機関車C11 61型」
保存展示されているのは、旧国鉄矢部線で貨車を引いて走っていた蒸気機関車「C11 61型」です。
蒸気機関車には「デゴイチ」の愛称で呼ばれる「D51」など、DやCなどアルファベットがついています。このアルファベットは動輪(ピストンと車輪が連結されている車輪)の数を表します。
つまり「C」は動輪が3つあり、「D」は動輪が4つあります。C型は主に客車を牽引(けんいん)し、D型は貨物用の機関車として造られたようです。
横から見たら、その大きさに圧倒されます。車輪も3つありました。黒い巨体はきれいに塗装され、今にも走り出しそうな印象でした。
機関車の特徴ともいえる動輪部分です。私が子供の頃シュッシュポッポと言いながら走るマネをしたものです。走っている時は一生懸命回転しているのが見えるので、応援したい気持ちになります。
機関車を後ろから見た姿です。当時を再現しているのか、踏切も一緒に保存されていました。
ボイラーの上にある「砂箱」と呼ばれる部分です。冬になると寒さで線路が滑りやすくなります。線路と車輪の間に砂をまき、摩擦力を高めて貨車を引っ張る力を増大させます。高さがあるので、「架線注意」の文字があります。
歴史を感じさせるプレートで、この蒸気機関車の名札みたいな存在です。1935年(昭和10年)に当時の川崎車輌株式会社で誕生しました。
かつて機関士さんが腰かけていた風情がそのまま残っているのを感じました。石炭をくべて火を入れると、今にも使えそうな状態で、手をかけて保存されているようでした。
生涯走行距離1,622,416キロを走り終えて終着駅の黒木駅へ
看板には展示車両の説明が書かれています。左側は「C11 78型」蒸気機関車ですが、走っている写真、各部分の名称、そして、誕生から今に至る歴史を教えてくれています。
今となっては走っている姿をみることはかないませんが、蒸気や黒煙をはいて走る姿は力強くてかっこいいです。
機関車の各部の名前も書いてありました。運転室の前に水タンクやボイラーなどがあります。現在の鉄道車掌室みたいにエアコンなどはありませんので、熱気や煙などにはご苦労されたことでしょう。
1935(昭和10)年3月に誕生し、2009(平成21)年8月に静態保存されるまでの生涯走行距離は、1,622,416キロで、約40周半地球を走る距離に相当します。
活躍は青森から始まり、長崎・熊本、そしてこの矢部線へと転属しています。まるで転勤するサラリーマンのようです。最後は矢部線が廃止になり、74年間の機関車人生(?)を引退します。人間に置きかえて74年間のサラリーマン人生と考えると、大変長い時間活躍していますね。
かつての終点を示す駅名標です。黒木が終点ですので、次の駅を示す名前はありません。ひとつ前の駅名は「北河内」です。
今では全国で走っている蒸気機関車の姿も少なくなってきました。しかし、その車体に刻まれた歴史と勇敢な姿は、見るものを感動させてくれます。この蒸気機関車「C11 61型」も訪れた人や八女の人々を優しく見守ってくれていました。
*写真は全て筆者撮影
情報
場所:黒木体育センター(旧国鉄黒木駅跡)
〒834-1221 福岡県八女市黒木町今2318−11