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小さな町が突き破っていった常識や偏見とは。ひきこもりゼロの町:元専業主婦が生んだ、小さな町の奇跡──試し読み【新プロジェクトX 挑戦者たち】

NHK出版デジタルマガジン

小さな町が突き破っていった常識や偏見とは。ひきこもりゼロの町:元専業主婦が生んだ、小さな町の奇跡──試し読み【新プロジェクトX 挑戦者たち】

 情熱と勇気をまっすぐに届ける群像ドキュメンタリー番組、NHK「新プロジェクトX 挑戦者たち」。放送後に出版された書籍版は、思わず胸が熱くなる、読みごたえ十分のノンフィクションです。本記事では、書籍版より各エピソードの冒頭を特別公開します。ここに登場するのは、ひょっとすると通勤電車であなたの隣に座っているかもしれない、無名のヒーロー&ヒロインたちの物語――。『新プロジェクトX 挑戦者たち 6』より、第四章「人生は何度でもやり直せる――ひきこもりゼロを実現した町」の冒頭を特別公開。

人生は何度でもやり直せる――ひきこもりゼロを実現した町

1 ひとりの女性が目指した理想

小さな町が起こした奇跡

 秋田県北西部と青森県南西部にまたがる、世界遺産・白神山地。人為の影響をほとんど受けていない世界最大級の原生的なブナ林が広がり、多種多様な動物や植物の貴重な生態系が保たれている。この地には、豊かな自然のほかに、もうひとつ名高いことがある。
 その麓に位置する、秋田県藤里町。2015年、人口4000足らずの町が、「ひきこもり」をゼロにし、日本中を驚かせた。「ひきこもり」とは、社会的に孤立し、孤独やさまざまな生きづらさを抱えている状態のこと。全国におよそ146万人いると推計されている(2022内閣府調査を基に推計)。
 この町では、2010年から独自の調査を行い、ひきこもり状態にある人が113人いることを突き止めた。リーダーは、専業主婦から転身した社会福祉協議会の職員。斬新なアイデアを次々と生み出し、ひきこもり状態にある人々を仕事や医療・福祉の支援へと導くことで、全員が社会とのつながりを取り戻した。
 しかし、その道のりは平坦ではなかった。立ちはだかったのは、「ひきこもりは怠け者」という偏見や、「ひきこもり支援は、福祉の仕事ではない」というこれまでの常識だった。それでも、「見て見ぬふりはできない」と決して諦めず、日本のどの町もなし得なかったことをやり遂げた。
 そんな執念の裏には、ひきこもり状態にあった若者を助けられなかったという過去があった。
 この町の取り組みは、家に居ざるを得ない人や家にいたいという個人の選択を否定するものではない。働きたくても働けない人や望んでいないのに孤立してしまった人たちが、社会とのつながりを取り戻すための仕組みが必要だった。
 これは、豊かな自然に囲まれた小さな町で、常識や偏見を次々と突き破っていった、まっすぐな人たちの物語である。

助けられなかった苦い経験

 1990年。日本は、バブル経済が絶頂に達していた。サラリーマンは働けば働くほど給料が上がり、若者はディスコで踊り狂った。狂乱の時代が、まさに、はじけようとしていた。
 同じ頃、きらびやかなネオンから遠く離れた、秋田県藤里町。人口5000(当時)の小さな町の社会福祉協議会に東京帰りの女性が就職した。菊池まゆみ(当時34歳)。3人の子どもを育てる専業主婦だった。大学進学を機に上京し結婚。子育てに専念していたが、父親が亡くなり、母親ががんを患ったことで心配になり、夫と子どもたちと生まれ育った町に帰ってきた。しばらくして、母親が回復。時間ができた。親戚から、社会福祉協議会の事務職員募集を知らされたのは、そんなときだった。
 「実家が、主婦だらけだったんです。祖母がいて、母がいて、私がいてって。だから、遊んでないで、外で勤めろと言われて。社会福祉協議会って何をするところかよくわからないままに、でも事務だったらできるかなと思って」
 事務職だと思い、就職したまゆみは驚いた。藤里町社会福祉協議会の職員は、会長と事務局長、そしてヘルパーが2人だけ。まゆみを入れてたった5人だけの職場だった。そのため、右も左もわからぬ新人であったまゆみにも、事務の仕事に加え、ひとり暮らし高齢者の見守りや交流会を開く仕事が任された。
 ある日、いつものように、担当している高齢男性の家を訪ねたときのことだった。足の踏み場もない部屋に、都会から帰ってきた30代の息子がうずくまっていた。父親はどうすればいいかわからず、思い悩んでいた。
 「なんとかしたい」
 そう思ったまゆみは、上司であった菊地誠一に相談した。しかし、「自分の仕事をしろ」と止められた。当時の社会福祉協議会は、役場と連携して、高齢者の見守りや地域のボランティア活動などを推進するのが主な仕事だった。誠一は、決められた仕事をきっちりと遂行する真面目な男。制度やルールを重んじていた。
 「ひとり暮らし高齢者の世帯を巡回して、いろんな相談事とか聞いたりする。あなたの仕事は、そっちの方が主な仕事だろうと。その息子さんのことは頭に考えがなかった」
 諦められなかったまゆみは、法律や制度を調べたが、ひきこもり状態にある若者を支援する道は、見つけられなかった。
 「働き盛りの男性ということだったので、何の制度にも乗らないんですよね。めちゃくちゃ落ち込みましたよ。本当に、何もできないなっていうのが実感でしたので」
 その後、担当していた高齢男性は亡くなり、その息子も数か月後に病死した。まゆみは、自分たちのような福祉に関わる者の無力さを思い知らされた。

福祉は困っている人の代弁者でなければならない

 「本当に何もできなかったのか」
 福祉の職に就きながらも、目の前にいた困っている人を助けることができなかったことを思い悩んでいたまゆみ。専門書を読み込み、勉強会があれば積極的に参加して、専門性を身につけていった。そんなとき、偶然参加した勉強会で聞いた、講師の言葉にはっとした。
 「福祉は、困っている人の代弁者でなくてはならない」
 困っている人に寄り添うことは間違っていない。まゆみは目を開かれる思いだった。
 「いまできないからって落ち込んでばかりいてもしょうがないし、少しずつでもこういうサービスがあれば助かる人たちがこんなにいますよとか、こういうことで困っている人がいっぱいいるんですよみたいなことは、一生懸命提言していくっていう。そういう役割があるのかなって思って、嬉しかった」
 これまでの常識に囚われずに、住民たちの困りごとに本気で取り組もう。まゆみは、業務の合間に住民の家を1軒ずつ訪ね、生活のなかで起きている困りごとを聞いて回った。
 当時、高齢者の介護は家族が行うのが当たり前だった。しかし、介護する家族は疲れ果て、社会から孤立していた。さらに、孤立しているからこそ、徐々に広がりつつあった介護サービスの情報も届いていなかった。まゆみは、少しの間だけでも介護から離れて気分転換ができる企画や、家族のための定期的な勉強会を立ち上げた。
 参加者の評判は上々だった。まゆみは、時折町で声をかけられるようになった。
 「私たちのために、頑張ってくれて、ありがとう」
 福祉に関わる者として何をすべきなのか。自分がやるべきことが明確になっていった。

誰もがステップアップできる職場改革

 住民の困りごとに寄り添い、新しい支援を作り出す。それを続けて10年が経った2002年。まゆみは、働きぶりが認められ、社会福祉協議会の事務局長に、女性で初めて抜擢された。
 その2年前には介護保険制度が始まり、高齢者介護の福祉サービスが多様化したことで、社協の事業も拡大。かつて5人だけだった職場も、20人以上の所帯となっていた。その大半を女性が占め、数人の職員を除き、ほとんどがパート採用。どれだけ能力が高くても、ステップアップできる制度はなく、パートで採用された者はずっとパートのままだった。
 「本当にこのままでいいのか」
 まゆみはこの状況に納得できなかった。やる気と経験に応じて、専門的な福祉の資格を取得することを後押しし、誰もがステップアップできる仕組みを作りたい。
 専業主婦から、子どもが手を離れたのをきっかけに、パートのヘルパーとして働いていた菊地孝子は、まゆみの提案に胸が高鳴った。
 「次はこの資格があるよ。これができるようになったらこういう資格があるよっていうふうに。ちょっとでもやるっていう人には教えてくれる。自分のやっていることを認めてもらったような気持ちになって、すごく嬉しかったし、働く励みになりました」
 結婚を機に退職して以来、夫の地元である藤里町で子育てに専念していた村岡佐由里。子どもが幼稚園に入ったことを機に、社会福祉協議会にパートとして採用されていた。村岡にとっても、まゆみの提案は願ってもないことだった。
 「もともとの宅地建物取引士の資格を持っていたので、それが生かせる仕事を探したのですが、30代後半になってから、そういう仕事はあまりないってハローワークに言われて。資格を持っていても役に立たないよと言われていたところに、資格を取ってステップアップできる機会があるってお話をいただいたので、嬉しかったです。働くのであれば、やっぱりそれなりに評価されたいし。忙しかったけど充実していました」
 その後、孝子や村岡をはじめ、多くの女性スタッフが、介護福祉士や社会福祉士などの国家資格を次々と取得し、正雇用の職員となった。パート採用の女性が大半を占めていた藤里町社会福祉協議会は、福祉の専門職集団へと成長した。
 「応じてくれた人たちがあんなにいっぱいいたのは嬉しかった。仲間ができたって感じで。頑張りたい人がこんなにいるんだって本当に嬉しかったんです」(まゆみ)

「ひきこもり者113人」の衝撃

 この頃、町内で、ある噂が聞かれるようになっていた。
 「都会から子どもが帰ってきたらしいが、姿を見かけない」
 「勤めずに家にいて、時々、叫び声が聞こえるらしい」
 地域の見守り活動を行っていた民生委員の夏井アヤ子は、心配になり、噂になっている家々を訪ねた。窓からは敷きっぱなしの布団が見えた。しかし、出てきた親からは「心配いらない」と言われ、それ以上踏み込むことはできなかった。
 「相手が言わないのにこちらから聞き出したり、ほじくっていくのはちょっと悪いかなという気で。いい人のふりして触らないようにしたってねぇかなと思う。嫌なものを触られれば悪い人になる。意気地なしだった」
 この頃、「ひきこもり」という言葉が、社会に大きな衝撃を与えていた。発端は2000年に起きた2つの事件だった。22人を載せたバスが17歳の少年に乗っ取られた、西鉄バスジャック事件。37歳の男性が女性を9年にわたり監禁した、新潟女性監禁事件。どちらも犯人が自宅に籠もり、社会との関係を絶っていた。「犯人は”ひきこもり”」と偏った報道がなされ、そうした状態にある人たちが、不本意な偏見にさらされていた。
 誰もが隠し、踏み込みづらい問題。しかし、まゆみは思った。
 「見て見ぬふりはもうできない」
 脳裏に浮かんでいたのは、新人時代に出会った高齢男性と、ひきこもり状態にあった30代の息子の姿だった。
 「親御さんが亡くなった時に入らせていただくことになると、もう手遅れっていうのかな。もう病院に入るしかないという状態になっていて、後悔しました。嫌われてもいいから、もっと早くに入ればよかったなっていうふうに思ってましたので。だから、怒られるくらい、まぁいいやって感じで。後悔よりはましだっていうふうに思ったんです」
 さらに、まゆみには強力な仲間たちがいた。新人時代の何もできなかった自分とは違っていた。この町にひきこもり状態にある人がどのくらいいるのか。町内1500世帯全てを調べよう。まゆみは覚悟を決めた。
 調査を任せたのは、元銀行員の加藤静。几帳面な性格で、しっかり調べてくれると信頼していた。加藤は、民生委員の夏井やヘルパーなどからの聞き取りをまとめた。すると、衝撃的な数字が判明した。
 人口4000の町で、ひきこもり状態にある人は、113人。15歳から64歳までの、現役世代のおよそ20人に1人という数字だった。
 「本当は逃げたかった。こんなにいるのって。せいぜい10人、20人単位で思っていた事業が、100人以上の人たちをやるならば、『できるの? そんなこと』と思いました」

■『新プロジェクトX 挑戦者たち 6』目次
I ゴジラ、アカデミー賞を喰う――VFXに人生をかけた精鋭たち
II 白鷺城はよみがえった――世界遺産・姫路城 平成の大修理
III 車いすラグビー 執念の金メダル――仲間を信じて ひとつに
IV 人生は何度でもやり直せる――ひきこもりゼロを実現した町
V カーリング 極寒の町に熱狂を――じっちゃんが夢をくれた

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