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「勉強は好きじゃなかった」。アイドルになるため、私が”東大”へ進学した理由。学歴の暴力・なつぴなつ。

スタジオパーソル

旧帝大出身者で構成される地下アイドル「学歴の暴力」。東大卒のなつぴなつさんは、会社員としてはたらきながら、同アイドルユニットのメンバーとして活動しています。

長年アイドルになる夢を追い続け、その夢をかなえた今、「アイドルとしての生活」が楽しいと語るなつぴさん。

一方で、アイドル活動の中では誹謗中傷にさらされて、傷つくこともあります。なつぴさんはなぜ東大を卒業してアイドルになったのか?困難にぶつかりながらもなぜ活動を続けるのか?東大卒アイドルとして表舞台に立ち続けるなつぴさんの原動力に迫ります。

アイドルとして「東大生」のラベルがほしい

――なつぴさんは、会社員としてはたらきながらアイドルとして活動をされているんですよね。

はい。平日はIT企業で企画系の仕事をしています。週末に「学歴の暴力」というグループでアイドル活動を行っていて、主にライブやイベントなどに出演しています。ほかのメンバーも平日は別の仕事をしているので、歌やダンスの練習は平日の夜か土日にやっています。

平日は会社員、週末はアイドル、というはたらき方は今年で3年目になりました。

――東京大学を卒業してアイドルに、という異色の経歴をお持ちですが、東大とアイドル、どちらを先に志したのですか?

アイドルになろうと思ったのが先でした。そもそも、アイドルとして注目してもらうために「東大生」というラベルがほしくて、東京大学を受験したんです。

初めてアイドルになりたいと思ったのは中学生の時。当時流行っていたAKB48に衝撃を受けました。キラキラした女の子たちが、みんなに愛されながら仲間たちと歌って踊っている姿が、私とは正反対で「羨ましいな」と感じました。

中学生のころの私は、学校で嫌がらせを受けて友だちもいなくて。暗い毎日を過ごしていました。そんな自分のことも好きになれなかった。だからこそ、自分とは遠い存在のアイドルに憧れたのかもしれません。

「舞台の上では違う自分になれるかもしれない!」という希望が、アイドルを目指す気持ちを強くさせたんだと思います。

――とはいえ、アイドルになるためにわざわざ東大を目指すのは、むしろ大変では?

中学・高校生のときは、AKBのオーディションが開催されるたびに応募していたのですが、いつも書類審査で落ちてしまって。唯一ほかの人よりちょっと得意なことが勉強だったので、その強みを極めて「東大生」という肩書があれば、書類ぐらいは通してくれるんじゃないかと期待したんです。

私は特別かわいいわけでもないし、歌やダンスがすごくうまいわけでもない。代わりに、何か自分だけの武器がほしいと思って東大を目指し始めたのが、高校2年生の終わりごろでした。

――それで東大に合格できるのはすごいですよね。昔から勉強はお好きだったんですか?

実はそんなに好きではなかったんです。中学受験をして中高一貫校に入学したのですが、そこで燃え尽きてしまって。高校受験もなく、なりたい職業もなかったのでなかなか勉強にやる気が出ませんでした。中高には医者を目指す同級生が多かったので、なんとなく自分も医学部に行くのかな、くらいに考えていました。

でも、「アイドルの夢を実現するために東大を目指す」と決めてからは、勉強へのモチベーションが一気に高まりました。目標を持ってやってみたら、勉強した分だけ結果がついてくるのが楽しくて。受験勉強は意外と苦ではありませんでした。

――東大の肩書を手にした後のオーディションは、いかがでしたか?

東大に入って初めて受けたAKBのオーディションで、「東大パワー」を感じましたね。面接では、私を含めて5人ほどの候補生がいたのですが、ほかの候補生は中学生から高校生くらいの若くてかわいい子ばかり。審査員は私に興味がなさそうな様子でした。

ところが私の自己PRの番になって「東京大学の1年生です」と言ったとたんに、審査員がバッと顔をあげてこちらを注目したんです。無事面接を通過して、初めて最終審査までたどりつくことができました。結局最終審査で脱落してしまったのですが、すごく印象に残っています。

アイドルへの情熱が止まず、社会人でつかんだチャンス

――なつぴさんは大学院まで進学して修了したあと、新卒でテレビ局の記者として就職しました。なぜ記者の道へ?

それもアイドルを軸に選んだ進路でした。

大学を卒業する22歳で、AKBのオーディションの年齢制限を迎えてしまったので、そこで一度アイドルになる夢は諦めました。でも、普通に就職活動をしてもなかなか興味の沸く仕事がなくて。「やっぱり私はアイドルが好きだな」と。

そこで、アイドルと一緒に仕事ができるんじゃないかという理由で、テレビ局を目指し始めたんです。テレビ局の仕事を調べていくうちに、バラエティの制作が面白そうだなと本気で思えたので、そちらの部署を志望して就職しました。しかし報道部門に配属されて、記者になったというわけです。

――その後、記者としてはたらきながら「学歴の暴力」としてアイドル活動を始めたんですね。なぜアイドルを兼業することになったのですか?

友だちで、「学歴の暴力」の発起人であるえもりえもが「一緒にやらない?」と誘ってくれたのがきっかけです。

新卒1年目で、周りの友だちは仕事に熱中している中、私は「アイドルになりたかった」という未練がどうしても消えず、悶々とした日々を過ごしていました。その鬱屈とした気持ちをSNSに書いていたんです。

当時、SNSで互いをフォローしていたえもりは、そんな私の様子を見かねて、友だちを励ますつもりで声をかけてくれたそうです。「苦しんでいるこの子と、何か楽しいことができないかな」って。アイドル活動ができることももちろんですが、そんなえもりの気持ちがうれしかったのを覚えています。

――最初はどういった活動から始まったのですか?

最初のライブは、えもりの出身地である岐阜の小さなライブハウスで、知らない人たちの前で歌って踊りました。えもりはすでにソロでアイドル活動をやっていたので、そのツテを使って小さなライブハウスに呼んでもらうことが多かったです。

――活動を続けているうちに、ファンも増えていった?

そうですね。徐々にイベントやネット番組への出演依頼も増えて、アイドルとしての活動がどんどん楽しくなっていきました。それに伴って、記者の仕事との両立が難しくなって。報道の記者はシフト制で、土日も出勤する場合があるんです。

そこで、目一杯アイドル活動ができるように、2年半勤めた記者の仕事を辞め、アイドルとの両立がしやすい今の会社に転職しました。そのころから今まで、気持ちとしてはアイドル中心の生活が続いています。

――念願のアイドルになって、どんなところに楽しさを感じていますか?

歌って踊ることはもちろん楽しいですし、ファンの方が私のことを好きになってくれることにもすごくよろこびを感じます。

そして、学歴の暴力として活動して初めて気付いたのは、同じ気持ちを持った仲間がいることのうれしさです。

私は学生時代「アイドルになりたい」と周りに言うことすら恥ずかしくて、ほとんど誰にも言えなかったんですよ。学歴の暴力のメンバーも似たような境遇で、高学歴のコミュニティの中でアイドルの夢を周りに言えずに、自分だけで抱えてきた人たちです。

そんな気持ちを共有して、「一緒にがんばろう」と手を取り合える友だちができたことがすごくうれしい。ずっと憧れてきたアイドルの姿に、少し近づけたかなと思います。

活動の中でぶつかった壁、それでもアイドルを続ける

――アイドルとして注目されるほど、大変なこともありますよね。昨年はSNSでの誹謗中傷被害に遭われて……。

最初のきっかけは忘れてしまったのですが、ある時集中的にひどい言葉を投げかけられるようになりました。言葉の酷さも度が過ぎていましたし、仲間たちの間でどんどん誹謗中傷が広がっていくので数も増えていって。かなり精神的にもつらかったです。

「これは良くないぞ」ということを世の中に示したくて、弁護士に相談して開示請求したんです。一緒に活動しているメンバーや、表舞台に立って活動している人のためにも、小さな力ですが抑止力になればという気持ちがありました。

――無事に開示請求が通って示談金が振り込まれたという報告の中で、「彼らも苦しかったんだろうな」と加害者に寄り添うコメントをされていて驚きました。

絶対に許せないことで、嫌味も込めたコメントではありました。でも、恵まれている人に嫉妬して攻撃したくなる気持ちは、正直私も少し分かってしまうんです。

アイドルになりたくてもなれない苦しい時期に、すごく成功しているアイドルの方を見ると嫉妬して、ムカついてしまって。もちろんその人を傷つけるような行動には移さなかったけれど。

――苦しいこともある中で、アイドルを辞めたいと思ったことはありませんでしたか?

アイドルが大変で辞めたいと思うことはないんです。むしろ、アイドルをいつか辞めることを想像すると怖くなります。体力的にも見た目的にもボロボロでアイドルを続けるのは私も嫌なので、いつか辞める時が来るはず。

でも、アイドルが楽しすぎてこれ以上熱中できるものが見つかる気がしないんです。会社員としての仕事も嫌いではないけど、断然アイドルの方が楽しい。

「アイドルじゃない自分ってどんな感じなんだろう?」と確かめたくなり、去年2カ月ほど活動を休止した期間がありました。

――「アイドルではない自分」、いかがでしたか?

「意外といけるな」と思いました。普通に会社ではたらいて、友だちと遊んだりお買い物したり。アイドルを辞めたら、普通の会社員だなって。

だからこそ、アイドルとしての私を応援してくれる人たちの存在が、すごくありがたいなと思うんです。こんなに普通の私を、ファンの方はいつも支えてくれて、活動休止する時にも「待っているよ」と声をかけてくれました。

以前は「もっと私を見てほしい」といった強欲な気持ちがあったのですが、今は、「応援してくれるこの人たちをハッピーにできたらいいな」という、すごくシンプルな気持ちにシフトできました。

――今、なつぴさんがアイドルとして活動する上でどんなことが原動力になっていますか?

ファンへの感謝はもちろんのこと、「後悔したくない」という気持ちが大きな原動力です。

つらいことや嫌なことがあるからといって諦めてしまったら、後から「やっておけばよかった」と思ってしまう。これまでの人生でもやりたい気持ちを優先して、後悔のないように生きてきました。

このマインドを持って、これからもアイドルとしてやりたいことを一つずつかなえて行きたいです。

グループとして挑戦したいのは、大きなフェスへの出演です。高学歴アイドルとして学校での講演会もやってみたいです。

個人としては、文章を書くことが好きなので、いつか本を出したいと思っています。自分と同じように夢に向かってもがいている人や、仕事で苦しんでいる人を前向きにするような発信ができたらな、と。

――素敵ですね。夢や仕事にもどかしさを抱えている人に、どんなメッセージを伝えたいですか。

夢を追いかけている人は、まず「やりたいことがある」時点でとても素晴らしいことです。かなわなくても、自分を卑下したり落ち込んだりしないでほしいなと思います。いくらでも道はあるし、そのために行動したことは無駄にはなりません。

一方で、やりたいことがない人も悩まないで。会社に行って、与えられた仕事をちゃんとこなす毎日を送っていることも素晴らしいことです。コンプレックスを持つ必要はないと伝えたいですね。

(文:岡田果子 写真:北浦汐見)

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