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サッカー界のレジェンドが挑む新たなピッチ フィリップ・トルシエが描くサンテミリオンの夢

ワイン王国

サッカー界のレジェンドが挑む新たなピッチ フィリップ・トルシエが描くサンテミリオンの夢

2002年日韓ワールドカップで歴史的快挙をもたらした元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏が、ボルドー右岸のサンテミリオンで高級ワイン生産に情熱を注いでいる。4月中旬、トルシエ氏の招きで現地を訪れた。

トルシエ氏が所有するドメーヌ「ソル・ベニ(Sol Béni)」は、サンテミリオンの中央を通り、リブルヌからカスティヨン・ラ・バタイユへと向かう県道670号線沿いにある。すぐ先がシャトー・モンブスケ、反対側のサンテミリオンの丘に目を転じると、シャトー・トロロン・モンド、シャトー・オーゾンヌ、シャトー・パヴィといった名門シャトーが点在する。
「初めてここに来た時、周りを見て驚いたよ。すごいシャトーばかりじゃないか、とね」トルシエ氏は、当時を振り返る。

彼がサンテミリオンに自身の畑を持ったのは2014年のこと。最初に購入したのは、わずか1ヘクタールの区画だった。
「この1ヘクタールの畑を買ったのが始まりだ。最初は本当に何もなかった。醸造する場所もね」
畑の購入後、ブドウ栽培と並行して、醸造、熟成、瓶詰めまで一貫して行える機能的な醸造所をゼロから建設した。

ソル・ベニの入り口。奥に醸造所が見える

現在「ソル・ベニ」が所有する畑は約4ヘクタール。シャトーに隣接する約2.5ヘクタールには、主にメルロが植えられている。土壌は砂と砂利(グラーヴ)が主体で、水はけが良く、比較的早熟なブドウが育つテロワールだ。さらに、シャトーから2kmほど離れた、シャトー・ド・プレサックの近隣にも畑を所有している。
「シャトー・ド・プレサック近くの畑は粘土石灰質の土壌。同じサンテミリオンでも、キャラクターはかなり違う。凝縮感やミネラル感、長期熟成に向く力強さが特徴だ」
この異なるテロワールから生まれるブドウを巧みに組み合わせることで、ソル・ベニのワインに複雑さと奥行きを与えている。

樽にはトルシエ氏が得意とする3-4-3のフォーメーションが記されている
白ワインの一部はアンフォラを使って醸造される

ワイン作りは単なる思いつきや道楽ではない。
「ワイナリーを経営していく上での経済的な側面はもちろん無視できない。だが、私の目的は利益を最大化することではない。この素晴らしいテロワールから最高のワインを生み出すこと。そして、そのワインを通して、私の経験、私の哲学、そして私が愛する日本との繋がりを表現すること。それが私のワイン造りだ」
サッカーと同じくらい、あるいはそれ以上に深いワインへの情熱が彼の言葉から伝わってくる。

ワイナリー名「ソル・ベニ」はフランス語で「祝福された大地」、あるいは文脈によっては「祝福された土壌」を意味する。実はこの名前、彼がかつてコートジボワール代表監督時代に設立したサッカー育成センターと同じ名前なのだ。アフリカでの若き才能育成への情熱と、ボルドーの地でのワイン造りへの情熱が、この名前に重なり合っている。

チームワークが生み出す至高のワイン

高品質なワイン造りは、畑のポテンシャルだけでは成り立たない。ブドウ栽培から醸造、熟成に至るまで、細部にわたる管理と的確な判断が不可欠だ。トルシエ氏の右腕として、その重要な役割を担うのが、醸造責任者のルドヴィック・ヴァヌロン氏である。

醸造責任者のルドヴィック・ヴァヌロン氏は、ミシェル・ロラン氏のチームで9年間、醸造コンサルタントとして活躍した。温和な雰囲気だが、意志を貫く堅物の一面も感じられる

インタビュー当日、少し遅れて到着したヴァヌロン氏は柔和な笑顔で迎えてくれた。彼は、世界で最も影響力のある醸造コンサルタントの一人、ミシェル・ロラン氏のチームで9年間活躍した輝かしい経歴を持つ。その経験と知識はソル・ベニの品質を支える大きな柱となっている。

「ルドヴィックは、単なる醸造責任者ではない。彼は私のワインメーカーであり、このワイナリー全体のマネジメントを安心して任せられる存在だ。畑の管理はローランという別のスタッフがいるが、ルドヴィックはブドウの選別から醸造、樽選び、アッサンブラージュまで、ワインの品質に関わるすべてを見てくれている」と、トルシエ氏はヴァヌロン氏に全幅の信頼を寄せる。

「サッカーチームと同じだよ。優れた選手(ブドウ)がいても、それを活かす戦術(醸造)と、チームをまとめる監督(醸造家)がいなければ勝てない。畑のスタッフ、醸造スタッフ、そしてルドヴィック。皆の力が合わさって、初めて素晴らしいワインが生まれるんだ」
"ワイン造りはチームワークだ"とトルシエ氏は力説する。

左から、白ワイン『エクストラ・タイム』、3種類のサンテミリオン・グランクリュ『ソル・ベニ』『グラン・ブルー』『クー・ド・シャポー』

ソル・ベニでは現在、サンテミリオンの多様なテロワールと、トルシエ氏のワイン哲学が凝縮された個性の異なる3つの赤ワインと、アントル・ドゥー・メールの葡萄を使ったユニークな白ワイン(アペラシオン・ボルドー)を生産している。

『ソル・ベニ』(SOL BÉNI サンテミリオン・グランクリュ)はワイナリーの名を冠した代表ボトル。砂利質土壌と粘土石灰質土壌という2つの異なる土壌タイプが織りなす相乗効果から生まれる高品質ワイン。品種のブレンド割合は、平均樹齢35年のメルロが80%、そして樹齢60年を超える古樹のカベルネ・フランが20%。特に長い樹齢を重ねたカベルネ・フランが、濃厚な果実の風味に深みと複雑さ、確固たる構造を与え、サンテミリオン特有の上品さをもたらしている。
「私のワイン造りの核心であり、最も力を入れているキュヴェだ」というトルシエ氏の自信作。

『グラン・ブルー』(GRAIN BLEU サンテミリオン・グランクリュ)は醸造所の周りに広がる、サン・シュルピス・ド・ファレラン村の砂利質土壌で栽培されたブドウの個性を最大限引き出している。比較的若い樹齢のメルロ主体で、繊細さと優雅さ、そして活力に満ちた、親しみやすい果実味を重視している。

4本のボトルの裏ラベルには、それぞれ異なるフィリップ・トルシエ氏の写真とボトルの説明が記されている

『クー・ド・シャポー』(COUP DE CHAPEAU サンテミリオン・グランクリュ)はサッカーの「ハットトリック」を意味するフランス語から名付けられた、トルシエ氏のキャリアを象徴する特別なワイン。このワインの原料となるメルローは「シャトー・ド・プレサック」のジャン・フランソワ・クナン氏から譲り受けたサンテティエンヌ・ド・リッス村の独特な粘土石灰質土壌で作られる。凝縮した果実味、スパイスを思わせる複雑な香り、そして際立ったミネラル感が特徴。
「これは、天候に恵まれた特別な年にだけ造ることができる、我々の誇りだよ」と、トルシエ氏。長期熟成によって真価を発揮する、グランヴァンの風格を備えている。現在販売している2019年産の生産量は1300本。きわめて貴重なボトルだ。

『エクストラ・タイム(EXTRA TIME)アペラシオン・ボルドー』は赤ワインが主流のサンテミリオンにおいて、異彩を放つ白ワイン。卵型タンクで醸造したソーヴィニヨン・ブランと500リットルの新樽で醸造したセミヨンをブレンドし、果実味と複雑さを併せ持つ高級辛口白ワインに仕上げている。初年度2023年産は1500本のみ。サッカーの「延長戦(エクストラ・タイム)」を意味する名前には、トルシエ氏らしい遊び心と、既存の枠にとらわれない挑戦心が表れている。

ラベルに刻まれた特別な想い

トルシエ氏によると、ラベルに記された3-4-3フォーメーションには特別な意味が込められている。「最初の3は守備陣—中田浩二、宮本恒靖、松田直樹。4は中盤—小野伸二、稲本潤一、戸田和幸、明神智和。そして最後の3は攻撃陣—鈴木隆行、中田英寿、柳沢敦を表している。もちろん、秋田豊、森岡隆三、市川大祐、服部年宏、福西崇史、小笠原満男、森島寛晃、西澤明訓といった他の選手たちも、チームへの貢献において同様に重要な存在だった」と、トルシエ氏は強調する。

ソル・ベニのボトルを飾る青いカプセルにも、トルシエ氏の深い想いが込められている。
「日本代表監督となったとき、私は『サムライブルー』に参加する栄誉を得た。この色はチームの誇り、フェアプレー精神、そして勝利への強い願望を表している」

「20年経った今でも、人々は私を『サムライブルー』と結び付けて考えてくれる。この絆を青いカプセルを通じて永続させたいのだ」とトルシエ氏は語る。

醸造所の2階にあるサロンでくつろぐフィリップ・トルシエ氏。ここかしこに、サッカーにまつわる思い出の品が飾られている

近年、ボルドー全体で温暖化の影響が懸念される中、トルシエ氏は特にカベルネ・フランの重要性が増していると考えている。
「最近、新たに70アールのカベルネ・フランの畑を手に入れたんだ。メルロだけでは表現しきれない、フレッシュな酸やエレガンス、そして複雑なアロマをもたらしてくれる。これからのソル・ベニでは、カベルネ・フランの比率を徐々に高めていきたい。現在は20%だが35%くらいまでブレンドすることで、よりバランスの取れた、洗練されたワインになるはずだ」

日々の畑仕事から収穫、醸造、熟成管理まで、ワイン造りは多くの人々の手によって支えられている。醸造所の入り口には、サッカーのフォーメーション図のように、各スタッフの名前と役割が書かれたボードが掲げられていた。そこには、トルシエ(監督)、ルドヴィック(醸造責任者)、ローラン(耕作責任者)らの名前が並ぶ。まさに、一つのチームとしてワイン造りに取り組んでいる証だ。

「最高のワインを造るためには、それぞれのポジションで最高の仕事をする必要がある。畑での地道な作業、醸造での的確な判断、そして全体を見渡す戦略。すべてが噛み合って、初めて感動的なワインが生まれる。それはサッカーと全く同じだよ」。

日本への深い愛情とワイン文化への貢献

トルシエ氏にとって、日本は第二の故郷とも言える特別な国だ。1998年から4年間、日本代表監督として過ごした日々は、彼の人生に大きな影響を与えた。日本文化への深い敬意と、日本人との間に築かれた友情は、今も彼の心の中に強く根付いている。

フィリップ・トルシエ氏は世界中を渡り歩いて監督のキャリアを築いてきたが、日本でのサッカーの思い出は他に代えがたいものだという

「日本での経験は、私の人生観を大きく変えた。規律、尊敬、チームワーク。日本の人々から学んだことは数えきれない。だから、今でも日本との繋がりを大切にしたいと思っているんだ」

その想いは、ワイン造りにも繋がっている。彼は現在、サンテミリオンのワイン文化を世界に広める騎士団組織「ジュラード・ド・サンテミリオン」の東京支部設立に向けて尽力している。
「日本のワイン市場は成熟しており、素晴らしい愛好家がたくさんいる。彼らとサンテミリオンを結びつけ、ワインを通じた文化交流を深めたい。そのために、ジュラードの東京支部を立ち上げようと、会長のジャン・フランソワ・ガロ氏とも話を進めているところだ」

日本でのワインプロモーションにも意欲的だ。すでにイギリスの老舗ワイン商BB&Rを通じて日本への輸出も行っているが、今後はさらに活動を広げたいと考えている。

「『クラブ・フィリップ・トルシエ』のようなものを日本で作って、私のワインを直接届けられるような仕組みを作りたい。そして、日本の素晴らしいレストラン、例えば東京の帝国ホテルの『レ・セゾン』などで、私のワインを楽しんでもらえたら最高だね」

トルシエ氏とルドヴィック氏が行きつけの、地元の人達が集まるサンテミリオンの村にあるレストラン「ラ・ピュス」での昼食にお招きいただいた。グラスに注がれた『ソル・ベニ 2020年』は、深みのあるガーネット色。熟したブラックベリーやカシス、プラムの豊かなアロマに、葉巻、甘草といった樽熟成由来の複雑なニュアンスが美しく重なり合う。口に含むと、凝縮した果実味と滑らかで熟したタンニン、そしてフレッシュな酸が見事なバランスを保っている。サンテミリオンらしいエレガンスと、しっかりとした骨格を兼ね備え、余韻も長い。

美術品が飾られた熟成庫はサンテミリオンの高級ワインを生み出すにふさわしい雰囲気が漂っている

続いて『クー・ド・シャポー 2019年』。トップキュヴェにふさわしく、より濃密で深遠な色合い。香りはさらに複雑で、黒系果実のコンポート、トリュフ、なめし革、そして粘土石灰質土壌由来のチョークや火打石を思わせるミネラル香が強く感じられる。アタックは力強く、凝縮感のある果実味と緻密で力強いタンニンが口内を満たす。それでいて重さはなく、洗練された酸が全体を引き締めている。圧倒的な存在感と、10年、20年と熟成を重ねることでさらに開花するであろうポテンシャルを感じさせる。

「ワインは生き物だ」とトルシエ氏は語る。
「毎年、毎年、違う顔を見せてくれる。それを最大限に引き出してあげるのが、我々の仕事だ」
サッカーのフィールドを離れ、ワイン造りという新たなピッチに立ったフィリップ・トルシエ氏。
1955年3月21日生まれで今年70歳。彼の新たなる挑戦は、まだ始まったばかりかもしれない。
「人生は常にチャレンジだ。困難もあるが、それを乗り越えた時の喜びは大きい。このサンテミリオンの地で、私の情熱を込めたワインを造り続けること。それが今の私の生きがいであり、夢なんだ」

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