山崎エマ監督が語るドキュメンタリーの極意 映画『小学校~それは小さな社会~』インタビュー 神戸市
12月13日から劇場公開が始まる映画『小学校〜それは小さな社会〜』は、日本のありふれた【公立小学校】に焦点を当て、新1年生の入学から6年生が卒業するまでの1年間をカメラに収めたドキュメンタリー作品。
神戸市出身で自身も大阪の公立小学校で6年間を過ごした山崎エマ監督は、150日間におよぶ長期撮影を行い、700時間という膨大な撮影映像を1年かけて編集。“小学校という社会”で過ごす子どもたちや先生たちの姿を通じて世界的にもユニークな日本の教育の価値を紹介し、監督自身が持つ「私たちは、いつどうやって日本人になったのか?」という問いに対する答えを示しています。今回はそんな山崎エマ監督に作品づくりで大切にしていることや撮影・編集時のエピソードを聞いてきました。
1年間という長期間の撮影を行う都合上、取材先の学校を探すのが大変だったと聞きました。
取材先が決まるまでに30校は回りましたね。最終的に東京都の『世田谷区立塚戸小学校』を選んだ理由はいくつかあるんですが、私が通っていた大阪府・茨木市の小学校は児童が1,000人くらいのマンモス校で、塚戸小学校も同じように児童数が非常に多い学校なんです。自分の母校と似ていたからこそ「ここにしよう」と決めた部分も大きかったかもしれません。あとは当時の校長先生が学校行事や教科以外の委員会活動、掃除、学年交流などの「特別活動(特活)」に力を入れている先生で、その点にも惹かれました。
作中では学校生活を送る子どもたちの姿がとても自然に映し出されていて、どうやって撮影が行われたのか気になりました。
ドキュメンタリーの撮影の場合、カメラがある以上(私たちが)空気のような存在になれないことは承知の上ですが、それに近い状態として、環境の一部になることを目指しました。
1年生に関しては入学式の日から撮影クルーが学校にいたので、子どもたちは「学校ってこういうもんだ」と認識し、私たちのことも“学校の一部”と認識してくれていたように思いますね。逆に2年生より上の子たちはそういうわけにもいかないので色々と工夫が必要でした。
今回は撮影が150日という長期にわたったので、途中からは“いない方が珍しい”ぐらいの存在になっていたかもしれません。特に私はカメラも持っていないので、子どもたちには先生のように見えていたのかも(笑)。撮影をしていない時は一緒に遊んだりもしました。そうやって「その場にいることが当たり前」の環境を構築できたことが良かったのだと思います。
子どもたちの成長を願い、情熱をもって教育に取り組む先生たちの姿もすごく印象的でした!
撮影を進めていく中で、1年1組のわたなべ先生と6年1組のえんどう先生のお二人がだんだんとストーリーの軸になっていきました。わたなべ先生は優しく、えんどう先生は厳しいところもある対照的なタイプでしたが、私は学校という場所は色々な種類の人が集まってこそ成立するものだと思うんです。厳しい先生ばっかりでも駄目だし、優しい先生だけでも成立しないんですよね。
もちろん学校は子どもたちにとって楽しい場所であるべきですが、何かを乗り越える経験を与えることも教育の大事な役割であり、できないことに挑戦し、それを乗り越えて達成感を学んだり、あるいは他人に迷惑をかけた時にそれを正す物差しのようなものを大人が用意してあげることが必要です。
そういった私自身の思いも作品に込めたかったので、先生たちの葛藤や苦しみといった部分にも焦点を当てています。
撮影中の印象深いエピソードも聞いてみたいです。
ドキュメンタリーの場合、撮影側のコントロールが効かないことが多々あるため、何かあったらすぐに駆け付けてカメラが回せるような体制を構築し、とにかく素材を集めることに注力しました。学校からは基本的にどこを撮ってもいいと言われていたので、生徒たちの生活や授業の様子だけでなく、職員会議の様子など私が興味のある事柄すべてにカメラを向けさせてもらいました。
事前に時間割も共有いただいていたので、面白そうな授業に目をつけてクルーを教室に派遣し、その間私は突発的に起こる“より面白いこと”を探すために、学校の中をマグロのように動き回っていましたね(笑)。
その日起こりうる出来事をなるべく予測しながら、最後の最後まで気を抜かずに撮影を続けるのは大変でしたが、作品の構成上、1年間に起こる出来事のすべてを撮らなければ映画が完成しないので、毎日を“真剣勝負”のような感じで過ごしていました。
150日分の膨大な映像素材をどのようにして1本の作品にまとめたのでしょうか?
共同編集の方に撮影できたものからどんどん仮編集を進めてもらい、それを週末に見たり、小学校の夏休み期間に見直して「こういう画が撮れたから、次にこんなことがあったら優先して撮ろう」「この子はこれというエピソードが1学期にはなかったから2学期はもっと注目していこう」と先々の予定を決めていきました。
そうして1年の撮影が終わった後、すべての映像を一気に振り返りながら、編集し、確認し、再編集するという作業を繰り返しました。部分的なところやシーンごとの構成まで細かく見直して再編集を何度も何度も行うんです。私は編集マンとして映像制作のキャリアをスタートしましたが、編集の極意は“再編集”にあると思っています。
私はドキュメンタリー作品の監督として“凝縮した真実”を届けることを目指しており、私たちが現場で過ごした4,000時間、カメラに収めた700時間を99分に凝縮した作品を通して、観る人に“その場にいたかのような臨場感”を味わってほしいと思っています。そのためには作品に込めた思いや意図が正しく伝わることが重要なので、完成前から「テスト上映」を何度も繰り返し、自分が意図している着地点がちゃんと伝わっているか確認するようにしています。
監督は大阪の小学校を卒業した後、中高は神戸のインターナショナル・スクールに通われたそうですが、日本式の教育と海外らしい教育の両方を体験して感じた差などはありますか?
そうですね、例えばインターには「掃除の時間」がないことに驚きました(笑)。「いつ掃除をするんだろう」と思っていたら、放課後にお掃除の方が来て…。インターの子たちにとっては当たり前の光景なので、まずそこに差を感じましたね。
あとは、日本の学校では筆箱、下敷き、連絡帳などが基本的に1つの規格に統一されていたのに対して、インターではそれぞれが好きなものを使っていて、その自由さがとても新鮮でした。そうした違いを目の当たりにすることで、「私が今まで学んできたものはたくさんある教育の形のひとつでしかなくて、それ以外の形もあるんだ」ということを学びました。
小学校では人の役に立つことやチームの中で自分の役割を果たすことの大切さを教えてもらい、インターでは自分の個性を尊重してもらい、映画監督という大きな夢を持たせてもらいました。そんな二つの教育の形の合わせ技によって今の自分が形づくられたので、両方を経験できた私は本当に幸運だったと思います。
公開劇場
<兵庫県>
シネ・リーブル神戸
(神戸市中央区浪花町59)
作品情報
<監督・編集>
山崎エマ
<プロデューサー>
エリック・ニアリ
<製作・制作>
シネリック・クリエイティブ
<国際共同製作>
NHK
<共同制作>
Pystymetsä Point du Jour YLE France Télévisions
<配給>
ハピネットファントム・スタジオ