機と一体になる、地機さき織りの魅力
こんにちは、花巻市地域おこし協力隊 伝統工芸担当の平川優です。
花巻にはたくさんの伝統工芸があります。かつてより温泉地としてにぎわっていた花巻でお土産品としてこけしを作る職人さんがたくさんいたり、自分の山で良質な土が採れることから作陶がさかんに行われたりするなど、伝統工芸と土地の特徴は切っても切り離せません。
たくさんある花巻の伝統工芸品の中で、私が虜になった「さき織り」についても同様で、東北の、花巻の環境だったからこそ広まり根付いた伝統的技法でもあります。協力隊活動を通じて地域の方から学ばせていただいたことを紹介いたします。
さき織りとは?
寒い東北地方では、衣服の材料となる綿花が十分に採れず、大変貴重で高価であったことから、着古した衣服を裂いて紐状にし、それを緯糸(よこいと)として織り込み、再度布としてよみがえらせる技法が生まれました。「裂いて、織る」ので「裂き織り」。南部藩時代に広まり「南部裂き織り」とも呼ばれています。
ものを大事にする知恵、もったいない精神から生まれ「さき織り」。昨今のSDGsへの意識の広まりも、「さき織り」が見直されるきっかけとなりました。
卓上織り機
さき織りを織るための道具として、近年では様々な形の織り機がありますが、「つるの恩返し」に登場する足でペダルを踏んで、トントンと筬(おさ)をたたく「高機(たかはた)」と呼ばれる機織り機で織られることが多くなりました。住宅環境の変化により、よりコンパクトに、テーブルの上だけで織ることができる「卓上織り機」も進化し、手軽に機織りに親しめるようになりました。
湯口ではじめて地機を見た
「さき織り」に興味を持ち、花巻でさき織りに携わる方々にお会いしに伺ったなかで、湯口振興センターで活動する「織りの会ゆぐち」の皆さんに会いに伺ったとき、
今まで見たこともない機織り機に出会いました。
「織りの会ゆぐち」では「地機(じばた)」と呼ばれる、高機よりも更に原始的でシンプルな機織り機でさき織りの製作をしています。
5世紀ころ日本に入ってきたと言われる「地機」
どうして湯口で地機を使うことになったのか
湯口振興センターの前身、湯口公民館で「さき織り教室」が始まったのは昭和60年のこと。そのころ、農業改良普及員という方が各地区をまわり、農業に関することのほか、生活を豊かにするための手仕事や生きがいづくりの一つとして機織り(さき織り)の技術を教えていました。農業が盛んだった湯口地区にも教えにきて、その先生が研究していたのが「地機」でした。
湯口でのさき織りの歴史
さき織りはもともと、南部藩時代にはほとんどの農家で、農閑期の手仕事として織られていたそうですが、時代が進み、豊かになるにつれ廃れていった技術でした。それを現代に再興させよう、と「さき織り教室」が始まり、当時の受講生の中には、子供のころにおばあさんがさき織りを織るのを見てきた方たちもいたようです。
しかし、「おばあさんたちの使っていた機だと勝手に思っていたら、右足で操作する全く見たことのない機だった」と初めて地機を見てびっくりした様子、そして、全く勝手の違う機に苦戦した様子が手記に残っていました。
「さらにびっくりしたのは、男の先生だったこと」と記してあり、そのことからも、もともとさき織りは女性の手仕事だったこと、高機が家にあり織っていたことが分りました。
地機2台、受講生12名で始まった湯口公民館での「さき織り教室」。当初は経糸をかけることにも四苦八苦、その度に先生が来て直してくださった様子が記されていましたが、織りあがったさき織りの布を持って盛岡まで加工の技術を学びに行ったり、他団体との交流により技術交換をしたり、市の催しの際に実演したりと努力を重ね、5~6年かけて、一通りの技術を身に着けることができたのだそうです。
それからおよそ40年ほど。地域の方たちで地機織りの技術を守り、伝え続けています。
機のしくみ
地機
地機は、腰当てで経糸(たていと)を引っ張りながら、足にくくりつけた紐を引き寄せたり伸ばしたりすることで経糸を上げ下げし織っていきます。
糸でつくる綜絖
綜絖により、経糸が上がり下がりする
2対になった経糸のうち1本を綜絖(そうこう)で吊ることで、経糸が上下に分かれます。
上下に分かれた経糸の間に緯糸(よこいと=裂いた布)を通して織り込んでいきます。
経糸を腰にくくることで、織り手は自分自身で経糸の張りを加減できるので、強く張ることも、柔らかく織ることも可能です。
緯糸(よこいと)として入れた裂き布を寄せる役割をする筬。
櫛のようになっており、「7目」と書いてあるのは1㎝が7等分された間隔で並んでいることを表しています。
この織りのときには1目に2本ずつ経糸が入っているので、1㎝の中に14本、20㎝の幅で織るには280本の経糸が必要となることがわかります。
刀杼(とうひ)は、筬で寄せた緯糸をより強く打ち込むための杼。この作業により、きっちりと織布が仕上がります。
「いざり機(=地機)は五体で織る」と言われています。人と機とが一体となって、人間が道具の一部となって織ります。そこには、機械だけでは現れない、その人その人の真心や温もりが一緒に織り込まれていくようです。
織りの会ゆぐちの活動
現在、湯口振興センターには7台の地機と2台の高機があり、それらを使って6名の会員が「さき織り」の製作をしています。今は先生はいませんが、先輩からは受け継がれた技術や伝統を教わり、若輩者は色の組み合わせやアイディアなど新しい感覚で刺激し、互いに学び合っています。シンプルな「地機」だからこそ、経糸と緯糸の組み合わせの奥深さを感じることができると思います。
全国的に見ても貴重な地機ですが、技術を持ち、扱える人は年々少なくなってきてしまっています。地域の方から学び、地域で技術を守っていく。あなたも、ぜひその一員になってみませんか?
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