<義母、恩を返せ!>「夫婦ふたりでウチに来なさい」電話じゃダメって……まさか!?【まんが】
私(チカ)は、夫のジロウと息子のエイタ(幼稚園年少)との3人暮らしです。私の実家は遠方にあるため、帰省は長期休みのタイミングでしかできません。一方、夫の実家は車で30分ほどの距離にあります。頻繁ではありませんが、季節の挨拶に伺ったりしながら適度な距離感で付き合っていました。いまは義父が病を患っており、義母は在宅で看病をしています。なのでわが家が義実家に顔を見せるのは、義父のお見舞いという意味合いもありました。
夫は2人兄弟の次男で、義兄のタロウさんも既に結婚をしてお子さんもいます。奥さんのサキさんはバリバリのキャリアウーマンで、言いたいことをハッキリと言うタイプの方でした。
義兄一家とは、頻繁に会うことはありませんでしたが、会えばそれなりに会話をする関係です。
ある日、夫が突然私の予定を聞いてきました。義母が私たち夫婦を義実家に呼んでいるというのです。いったい何の用なのでしょうか?
「それが聞いても教えてくれないんだよ。今後のことみたいで『詳しくは会ってから話す!』の一点張りでさ」
電話では話せないような内容なのでしょうか?
基本、夫も義兄も私やサキさんに義実家のことを手伝わせるようなことはしない人たちです。 自分たちの親は自分たちでフォローしようという考え方なのです。 だからこそ、義母からの「話がある」は私にとって恐怖でしかありませんでした。 もし万が一同居なんてことになったら……? 今は通いで義母のフォローをしている夫ですが、同居となると夫だけが義母のフォローをするわけにはいかないでしょう。 私たち家族全員の問題になってくるのです。 「2人で来なさい」って言葉も気になります。 「来なさい」という、上からものを言う感じがますます不穏な空気を醸し出しているのでした。
「一緒に住んでほしいの~」……ムリムリムリ!夫は静かにタメ息
義母の昔の話をしたときの夫の表情があきらかにこわばったので、私は少し気になりました。しかし今は、それよりも……迫りくる「義母の話」の方が気になって仕方ありません。
そうこうするうちに、義実家へ到着しました。
歓迎ムードの義母……かしこまった部屋に通されました。やはり、リビングでカジュアルにできる話ではなさそうです。
「一緒に住んでほしいの」
でたーーー!! 義母のいう「話がある」とはやっぱり同居の打診でした。
夫は大きなため息をついて「なんで母さん元気なのに、一緒に暮らす必要があるの?」と、断る方向で話してくれています。
「これから先、どうなるか分からないのが老いってものじゃない」しかし、義母も食い下がってきます。
「話がある」という言葉……言った方は約束を取り付けただけのつもりでも、言われた相手はずっと「どんな話かな」とモヤモヤを抱えなければなりません。 せめて、どんな話の内容であるかくらい軽く説明してくれてもいいのにな……と思いました。 そして義母の「話がある」からずっとモヤモヤを抱えていた私の予感は的中! やはり同居のことだったのです。 しかも同居をお願いと言いつつも、どことなく「当たり前でしょ?」といったような雰囲気も感じます。 夫は冷静に切り返してくれていますが、このまま義母に押し切られなければいいな……と、私はハラハラしながら見守るのでした。
義兄に断られ、激しいバトル!拒否する夫と迫る義母……ハラハラ
どうやら義兄夫婦からは、結婚前から「同居はムリ」との申し出があったそうです。しかもそのことについて「同居はしなくていい」と義両親は発言していたらしいのです。
そのことをしっかり覚えていた義兄夫婦は、状況は変わったとはいえ、同居を断固拒否。まぁ、当然と言えば当然ですよね。
「今だって、困ったことがあれば手伝いにきてるだろ? 自分たちの生活を一変させてまで母さんと一緒に住まないといけないなんておかしいだろ?」
夫のジロウは、私が思っていたよりきつく、義母に同居拒否を突き付けてくれました。
義母は既に義兄夫婦には同居を断られていたのです! それで、次は私たちに同居話を持ち掛けてきたという流れでした。 同居の話なんて出たことがなかったので、あまりに突然でおかしいなと思っていたのですが、何となく腑に落ちました。
私たちに同居を断られると、もう後がない義母は夫にものすごい勢いで同居を迫ってきます。 親である自分に恩返しをするべきだと猛烈に迫る義母。 冷静だった夫も若干押され気味に見えます。 私は口を挟むこともできず、ドキドキハラハラしながら見守るのでした。
ショック!夫のクチから語られる壮絶な子ども時代「ヒドい……」
義母は、同居がダメなら敷地内同居はどうか? と言ってきました。しかし……。
「二世帯だろうが敷地内同居だろうが答えは同じだよ」
と、返した夫。
「育ててもらった恩も忘れて、自分たちのことばっかり! 親がひとり寂しく孤独死しても関係ないのね!!!」
義母は、感情のまま怒鳴り散らします。
「今までのこと思い出してみなよ。自分のしてきたこと、忘れたの?」
そう言うと夫は、子ども時代に母から受けてきた壮絶な仕打ちの数々を淡々と話すのでした。
夫と義兄はこんな大変な子ども時代を過ごしてきたというの……?
ひどすぎる。あまりにも2人が不憫だと私は思いました。
夫はときにヒートアップしそうになりながらも、なるべく冷静に話し合おうと試みていました。 義母は「親」であることを盾に夫に同居を迫っていましたが、そこで明かされたのは夫たち兄弟と義母の過去の話だったのです。
育児に正解はありませんが、受け取る側の子どもが長い間不満に思ってきたことがあるとすれば、親としてしっかりとそこに向き合わなくてはいけないのではないでしょうか。 義母はずっとそれをしてこなかったのです。 自分の考えや感情が優先で、きっと子どもたちの心を置き去りにしたまま今日まで過ごしてきてしまったのでしょう。 夫たち兄弟が同居をしたくない理由を明確にしたことで、義母は引きさがるのか……私は固唾を飲んで成り行きを見守るのでした。
【義母の気持ち】「育児ってめんどくさ……」子どもは勝手に育つ!
私は1年前に夫を亡くしました。2人の息子たちはすでに家庭を持って自立をしており、夫がいなくなった家でひとりで暮らしています。ときおり息子やそのお嫁さんが顔を見せに来てくれますが、やはりひとりで老後を過ごすのは寂しいものです。そろそろ同居のことを考えてほしいと思い、息子たちに伝えましたがことごとく断られてしまったのです。親が寂しい思いをしているのにかかわらず、平然と同居を断れる息子たちが信じられませんでした。なんて親不孝者なんでしょう……! そう思っていると、次男のジロウから「同居ができないワケ」を聞かされてしまうのです。
子どもに「野球やりたい!」と、言われたときも……どうせプロになれるわけでもないのに、高いお金を払ってわざわざ習い事をさせる意味がわかりませんでした。
体調が悪いと言われるのも、面倒でした。「病気なんて気合いで治せ」くらいは言ったかもしれません。
子育ては面倒で、疲れるだけでなにもいいことはないと思っていました。
2人の子どもも大きくなり、成長にしたがってずいぶん楽になりました。うちは、子どもが男の子2人ということで、まわりからは「将来は面倒みてもらえていいわね~」なんて羨ましがられて……まんざらでもない気持ちでした。
息子たちを育てているときは、本当に何度も何度も「ひとりになりたい」と思ったものでした。 子どもから要求されるすべてのことがうっとうしく、当時はまだ「家事育児は女性の仕事」という風潮が強かったのもあり、私は毎日疲弊していました。 なので子どもを「生かす」ことに専念し、子どもにまつわる煩わしいことすべてを放棄していたのです。 それでも子どもは育ちます。 手をかけなくても、自分の力で育ってくれるのです。 子どもたちが大きくなって、ようやく子どもを産んだ意味が分かりました。 子どもたちがいてくれることで、将来は安泰です。
育ててあげた恩義は、同居をして最期まで面倒をみることで返してもらいたいと思っています。
老後は育児の成績表、か。せめて最期くらいは……
この子たちはなんて薄情なのでしょうか。
最終的には、私を高齢者施設にでも入れるつもりなのかもしれません。そうしてもいい……でも費用は一切払うつもりはありません!!
私は一緒に暮らしたいといっているのに、勝手に施設に入れるのならば、その費用は親不孝者の息子たちに出させてやる!!
「老後はさ、育児の成績表みたいなものなんだよ」
ジロウの言葉には腹が立ちました。つい思いっきり怒鳴ったら、ジロウ夫婦は帰ってしまいました。
私だって、大変ながらも一生懸命子育てしてきたっていうのに……。 だったら、なに? 私の子育てが間違いだったっていうの? 子どもたちは、私だけが悪いと言いたいのでしょうか。
同居を申し出たところ、子どもたちからことごとく拒否をされました。 親を見捨てるなんて、何て親不孝な子どもたちなのかしら……! つい腹立たしさが勝ってしまいましたが、自分が過去にしてきたことが巨大なブーメランになって返ってきただけなのかもしれません。 たしかに必死だった育児の日々。 けれどまさか子どもの心に傷を残してしまうような幼少時代を過ごさせてしまっていただなんて……。 今さら何を思っても、時間は巻き戻らないのです。
子どもたちに頼れないと分かった今、最後に私ができることは子どもに迷惑をかけない老後を過ごすことなのかもしれない……そう思うのでした。