Yahoo! JAPAN

伊藤銀次とウルフルズ ④ 曲作りだけで3ヶ月!アルバム「すっとばす」プロデュース秘話

Re:minder

1994年08月31日 ウルフルズのセカンドアルバム「すっとばす」発売日

連載【90年代の伊藤銀次】vol.10

突けば突くほどおもしろいフレーズが出てくるトータス松本


1994年の1月から始まった、のちに『すっとばす』というタイトルでリリースされるセカンドアルバムのためにトータス松本との曲作りが3ヶ月もかかったのは、決してダラダラとやってたからではなかった。突けば突くほどおもしろいフレーズが出てくるトータス。僕が描いていた最低限の高さのハードルに達するまで、とにかく辛抱強く期待して粘ることを繰り返した結果だった。

世にはさまざまなスタイルの音楽プロデューサーが存在する気がする。ソングライティングをしないアーティストのために作詞・作曲・編曲のすべてを1人でこなす小室哲哉君のようなスタイルもあれば、リンダ・ロンシュタットのプロデューサー、ピーター・アッシャーのように、アルバムコンセプトの全体像を俯瞰で捉えて、アレンジや作詞・作曲者を選び任せるタイプなどさまざまなやり方があるようだ。

僕のプロデュースのスタイルは、アーティストがソングライティングをしないタイプのシンガーなら小室君のように、そしてウルフルズのようにメンバーが曲を書ける場合は、もちろん編曲もするが、あくまでアーティストに詩曲を書いてもらい、そこにアイデアを出してより魅力的な曲に持っていくスタイルなのだ。トータスのまだ曲としては形になってはいないけれど、すばらしいアイデアの点線を、アドバイスしながら実線に変えていく作業こそやりがいのある僕の仕事なのだった。

アーティストのやりたい音楽を実現するために手助けをするのが僕のプロデュース


かくいう僕も、1982年にアルバム『BABY BLUE』を制作した頃は、メロディの断片がいくつも次々と浮かんでくるのだがそれをまとめられず、プロデューサーだった木﨑賢治さんに導いてもらって形にすることができた。おもしろいことにその体験がここで生きることとなった。

アーティストのやりたい音楽を実現するために手助けをするのが僕のプロデュース。佐野元春の時もそうだった。まるで歌舞伎の “黒衣”(くろご)のような存在。この頃よく、僕はまるで “クロゴでいるロック” なんて駄洒落を言って周りを笑わせてたっけ。そのためには、トータスの音楽的な感じ方や考え方をしっかり理解していなければならない。なのでとにかくいろいろな角度で彼に質問をしたものだった。

たとえば “初めて自分のお金で買ったシングル盤は?” とかね。トータスの答えはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」だったよ。なんだか、その後のウルフルズの作風を予言してたかのような気がしないかい?

そんな会話の中で印象的だったのは “ウルフルズはどんなバンドなの” という質問に “僕らはソウルをやったりブルースをやったり、サーフミュージックをやったり、レゲエををやったりしているけど、どれも深く研究してやるつもりはないんです。なんちゃってでいいんです。僕らはバチモンやバッタもんでいいんです” の発言。

トータス松本がかっこいいと思う男像とは?


まじめに音楽を追求している人たちが聞いたら怒りまくってしまう言動かもしれないが、僕はこのちょっと不埒に聞こえる彼の発言をとても気に入ってしまったのだ。ポップスというのは多かれ少なかれどこかバッタもの的な匂いがあるものだ。たとえば初期のビートルズやストーンズのアメリカのR&Bのカバーには本物とはちがうなんちゃって感はあったけれど、それがオリジナルとは一味違う新しさを生み出していたような気がする。ポップスは音楽保存会ではないのだ。

そしてさらにトータスいわく “僕がかっこいいと思う男像は、クリスマスに彼女のためにホテルの最上階を予約してブランド物の指輪をプレゼントする男ではなくて、お金はなくても彼女のために汗かきベソかきシタバタジタバタ生きてく男なんです” という発言に妙に説得力を感じてジンときたものだったよ。その時から、彼らの音楽のコンセプトの中心にいつもこの2つの考え方を置いて、なにがあっても動かさずに行こうと決心したものだった。

【関連記事】

おすすめの記事