「菅田将暉を主人公に」の理由を黒沢清監督が語る『Cloud クラウド』インタビュー「狂気の主人公? むしろ逆です」
黒沢清×菅田将暉のヒューマン・サスペンス
全国公開中の黒沢清監督の新作『Cloud クラウド』は、現実に起きたネットで集まった他人同士による殺人事件から着想を得たという。経済的に豊かではない青年が、利益だけを目標に淡々と転売を続けていくうちに多くの人の恨みを買い、それがネット上で憎悪の連鎖を生み、ただ憂さ晴らしをしたいだけの者たちまで集まり“狩りゲーム”が始まる……という物語だ。
サスペンス・スリラーとアクションの要素を両方兼ね備え、冷徹な描写に引き込まれる本作。黒沢監督へのインタビューから、社会の狂気と正気のあわいが浮かび上がってきた。
「SNS、インターネットそのものには善も悪もない」
――本作は集団狂気に主人公が狙われるサスペンス・スリラーですが、『Chime』(8月より公開中)を劇場で拝見しまして、改めて監督の映画の怖さは「狂気」から生まれる怖さだなと実感しました。『CURE』(1997年)、『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)はもちろんそうですし、『蛇の道』(1998年/2024年)の小夜子も静かに憎悪に狂っていて、『スパイの妻』(2020年)でさえも社会が全体主義に狂っている話ですよね。監督自身は狂気への関心の強さをご自分で意識されていますか。
作品によっても違うかもしれませんが、いわゆる狂気というのとは少し違って、僕が扱っているのは、――『スパイの妻』は特徴的だったのかもしれませんが――「普通こんな感じだよね?」と何気なく動いている社会の中で、主人公が突然生きづらくなるという状況です。そのときに、社会から見たら主人公が狂っているのかもしれませんが、主人公から見たら「いや、社会の側がおかしい」と。もちろん、そうはっきり認識できるかどうかわからないですが。
だから一般的には狂気と見えるかもしれませんが、物語の流れからすると、主人公は客観的に社会を見て、だんだん正気に近づいていく。むしろ逆です。社会から見ると、どんどん主人公が狂っていくように見えるかもしれませんが、社会のある種の矛盾や理不尽さ、不自由といったようなものに気づいていく物語と僕はとらえています。
――確かに、『Cloud クラウド』で吉井(演:菅田将暉)が最初に襲われたとき、“東京から来たから襲われたんだ”という言説が警察でまかり通ってしまうほど東京と地方との格差が大きかったり、三宅(演:岡山天音)が殴られるシーンのように普通のサラリーマンに見える人が突然暴力的になったりとクレイジーなところがある社会なので、監督が描かれる社会的な狂気というものが非常にリアルに感じられます。この作品の中で吉井は被害者として登場して、冒頭で彼のことを「狂ってる」と言う殿山(演:赤堀雅秋)が、憎悪で狂っていきますよね。
そうですね。
――その憎悪がSNSで増幅されていくわけで、以前監督はこの作品についてのコメントで、暴力事件の背景に「ムシャクシャした気分がインターネットによって肥大していくシステムがあるようだ」と指摘なさっていました。とくにSNSについてどのようにお考えなのかうかがいたいのですが。
SNS、インターネットそのものには善も悪もないと思います。ただ、人の心の中にある小さな、ほんのささやかな何かを拡大して集結させてしまう力を持っていると思います。これを善意の方向に使うことも充分できるわけです。小さな善を大きくして集めて。それはそれで理想的だと思うんです。
――クラウドファンディングなどは、そういうものもありますよね。
そうですよね。ただ、いまの社会の雰囲気からすると、悪意の方向に使われてしまうことがすごく多くなっているという気がします。SNSに問題があるんじゃなく、使う側の人間の心の中に芽生えてしまっているものに原因があるんだと思います。
――とくにSNSについてうかがいたかったのは、先日『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のアレックス・ガーランド監督にインタビューしたとき、ガーランド監督が「SNSというのはヘロイン中毒者の針みたいなものだ」とおっしゃったんです。
それはなかなか露骨な例えですね。でもわかります。それそのものには別に悪も善もない。注射針は使いようによっては良いようにも使えるわけです。もちろん本来はいいことのために開発されたんだと思いますが、麻薬にも使われますし。
「“普通の人たち”が一番とらえどころがない」
――「社会が狂っているんじゃないか」とおっしゃられましたが、それを感じさせられたのが、主人公の吉井がまったく悪いことをしている自覚がないからこそ、パニックルームどころか逃げ道も確保していないわけですよね。一方で、富裕層の悪い人たちは警備システムが完備された都心の家に住んでいるんじゃないかと考えると、やっぱり持たざる者が持たざる者を狩っているように見えてしまいます。そうした持たざる者が持たざる者を、というような構図も監督は考えていらっしゃったんでしょうか。
今回は、吉井も含めて出てくる人たちは基本的には、普通の人。極端に貧しいとか、極端に金持ちとか、荒川良々さんが演じた滝本は会社の社長ですが、極端な人たちではないと考えてはいます。ただ、普通の人たちって一番とらえどころがなくて、吉井はその典型だと思います。ある種の貧しさ――転売は、一歩間違うと全財産を失う可能性もありますが、うまくやると、そこそこのお金が入ってくる。
ひと昔前は「この会社に勤めていれば安定だ」という幻想があったんですが、いまはもうそれはないと思います。どんな大会社に勤めている人も明日クビになるかもしれない、明日会社が倒産するかもしれない、路頭に迷うかもしれない。でも、ちょっと持っている株が当たれば、ひょっとしたら……など、どちらの可能性も考えながら“真ん中で生きてる”のが普通じゃないかと思います。ですから小金が貯まれば贅沢をしてみるし、一方で明日、それを失うんじゃないかとハラハラしながら生きているというような。吉井は、そんな普通の生き方をしていると考えています。
――作品資料に、転売をなさっているお知り合いがいらっしゃると書いてあったんですが、“誰にでもできそうだけど、みんながやるわけではない仕事”と意識されて(主人公の職業の設定として)決められたんでしょうか?
はい。僕の知り合いがやっていたんですが、本当に真面目な男で。ただ組織の中で働いたりすることは苦手で、取り立ててなにかすごい才覚があるわけでもない、もちろん財産があるわけでもないといった人間が、現代社会で生きて行くときの一つのわかりやすい選択肢だなと。ほとんどひとりでやる作業ですし、ものを安く買って高く売るっていうのは、資本主義社会のどの会社もやっていることですよね。それをたったひとりで、そのリスクも含めてやっている。本当に現代を象徴する仕事の一つだなと思って、この仕事を(主人公の設定として)選びました。基本は真面目にコツコツとやるような仕事なんです。余ったお金でイチかバチか博打を打つ、というものではないんですね。
――そうですよね。荷詰めして送ってっていう、あの手間を考えるだけで私は無理だなと思ってしまいます。
(笑)。結構、面倒くさいみたいですよ。そりゃそうですよね、実際にものを売り買いするって簡単なことではないですよ。
「“次の金儲け”のために金を稼ぐ、それで豊かになっていくという幻想が資本主義」
――また、古川琴音さんが演じる秋子を見ていて、そもそもなぜ必要ないものを買ってしまうのか? ということも考えさせられました。買い物をすることイコール休日の過ごし方みたいに誘導され、公共の公園でもコーヒーを買わないと椅子に座れないようなことになってきて、とにかく消費させようとする社会になってしまっていると感じます。映画の中に、そういうことへの批判があるのかなと思ったのですが。
それを批判しようとは思ってはいないんですが、おっしゃることはよくわかります。お金を使わせようとして、それが「いいことだ」と、「使うからこそ回って、また自分に戻ってくるんだ」という説明をよく受けるんですが、いやあ、僕は……苦手ですね。もうちょっと言うと、この転売っていうのが典型的な例ですが、利益を上げること、利益そのものが目標になっている。まあ、それが資本主義のベースなんですが、どうも苦手ですね。「苦手」って、変な言い方ですけど(笑)。
ある目標があって、何かをするためにお金を貯める、ということはあると思うんです。ただ、多くの会社や個人がお金を貯めて何をするかっていうと、次の金儲け。それって本当、資本主義ですよね。吉井もまさにそれをやっていて、「転売して儲けた金で何すんの?」って言ったら、次の転売をするわけです。それを無限にどこまでも繰り返して、それでどんどんみんな豊かになっていくという幻想が資本主義を支えているのだと思うんですが、それをどこかでやめたいなあと……。お金をもらったら、それを自分の何かささやかな欲望に使うのは全然いいと思うんですが、もらったお金で次の金儲けを考えるっていうのは、本当に抜けられない循環に陥ってしまう気がしますね。すみません、ちょっと脱線しました。
――いえ、すごく面白いと思います。その吉井という役を菅田将暉さんに説明するために『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)をお勧めになられたとのことですが。
そうです。
――『太陽がいっぱい』の主人公のトム・リプリー(演:アラン・ドロン)自身がもともと、何も持っていなくて生き延びるために犯罪をしてしまうのに、ヴィム・ヴェンダース監督の『アメリカの友人』(1977年)では殺人も厭わない贋作ブローカーになってしまっている人ですね。
僕は(両作の著者であるパトリシア・)ハイスミスの原作は読んでいないので、『太陽がいっぱい』は菅田さんが「何か参考になるものがあれば」というので、ふと思いついたのですが、1960年代初頭の時代背景、いわゆる貧困とか差別などが公然と社会に、目に見えていた時代。その中で、貧しい主人公が何とか生きていこうとして、当然のようにある種の犯罪に手を染めて、それでも一生懸命、真面目に犯罪をするというのが、菅田さんにはすごく新鮮だったようです。「こんな主人公がいたんだ」と。
貧困や差別は全然なくなっていないんですが、現代では目に見えなくなったので、物語のテーマになりづらくなっています。だからその中で犯罪者を出そうとすると、遊び半分になる。あとは一つのファッションのように、ギャングとか不良とかですね。昔はギャングとか不良は、やっぱり貧困や差別の一つの表れだったと思うんですが、いまはある種のファッションですよね。ある種の衣装を着て、ある種の髪型をして、ある種の口調で喋る人たち。
それが集団として悪いことをするというようなことは、ファンタジーの世界ではあり得るんですが、たったひとりでコツコツと犯罪をする人間がいるというのは、菅田さんにはすごく新鮮だったようです。いまは確かに、そういう犯罪者ってフィクションの世界ではほとんどいなくなってしまいましたよね。吉井は犯罪者ではありませんが、ぎりぎりのところにいる人物として『太陽がいっぱい』は役作りのヒントになったようです。
「たまたまそこに相手がいて、ここに包丁があった。それって結構、真実だなという気がします」
――先ほど監督は「社会が狂っている」とおっしゃいましたが、『Cloud クラウド』の登場人物は誰もが少しずつ狂っているように見えます。主人公の吉井はもちろん手段を選ばず儲けようとしていて金には狂っていますが、窪田正孝さん演じる先輩の村岡も我が強すぎてマウントを取ることに強いこだわりがあり、社長の滝本は会社や日常生活への不満を静かに鬱積させていて、吉井の恋人である秋子も買い物中毒で広いキッチンを物で埋めないと気が済まない。登場した時点で「押し入れにいっぱい物がある」と言っています。まるでショーケースのようにいろんな狂気を見せることは、何か狙ってなさっていたんでしょうか。
いえいえ、そんなに狂気を狙って出そうとは思っていないんですが、ただ最終的にはご覧になったように、ある種の戦闘状態といいますか、殺すか殺されるかという、日常ではありえない特殊なドラマに持っていこうとしました。そこに至る過程として、誰の心の中にも少しはある何かがどんどん拡大していくなかで、もう引き返せないほど拡大したものが狂気に見えるんだと思うんです。そういったものが拡大されると、対立して激突して、もう引き返せない状態になってしまう、という構造で物語を作っていきました。
――引き返せないほど拡大したものとおっしゃいましたが、やっぱり多くの人はそこで引き返そうと、自分でバランスを取って戻ってくるのではないかと思うんですが。
それはそうですね、ある一線は超えないでおこうと。だから世の中はなんとかギリギリ、一見平穏なまま過ぎていっていると思うんですが、ただ一部に踏み外す人っていうのはいますよね。きっかけは本当にどうということはない、些細なこととしか思えないことで、ある一線を越えてしまう人っていうのはどうもいるみたいで、自分は絶対に踏み外さないという確証はどこにもない気がします。
――踏み外す人と踏み外さない人の違いはあると思いますか。
僕はじつは、違いはないと思っていて……何が違うのかって、本当にささやかな偶然とか。例えばですよ、殺人事件などを調べてみると――専門家ではないので詳しくまで調べてはいないですが――なんで人を殺してしまったかというと、「目の前に包丁があったから」。つまり包丁さえなければ殺さなかった。ちょっとした“何か”が心の中にあったんです。その何かは誰にもあるんですが、一線は超えない。
たまたまそこに相手がいて、ここに包丁があった。それって結構、真実だなという気がします。たまたま魔が差した、たまたま拳銃があったから撃ってしまう人って、出てくるんじゃないだろうか。もちろん全員がそうではないですが、いくつかの偶然が重なって、ある一線を越えてしまうというのが一番、正解なんじゃないかという気がします。
――最後にキャスティングについて伺いたいんですが、まったく自覚がないけれども悪意を伝えてしまう主人公、悪意の伝播者のような吉井役に菅田さんを起用されたのは?
もちろんテレビでも映画でも拝見しておりまして、本当に人気のあるトップスターなんですが、役によってものすごく朴訥としていい人をやる場合もあるし、本当に悪辣な役もやりますし、ちょっとした脇役でも、主人公もやる。なんでもやれる方だなと。とはいえ実際はどういう方なんだろうと興味がありました。
吉井は決してわかりやすい善人ではないけれども、もちろん悪人でもないという、彼がどっちに転ぶか最後までよくわからない役柄でしたので、菅田さんのような方が演じてくれたら、見ているお客さんも「この人どっちに行くんだろう? 止める方に行くのか突っ走る方か、どっちだろう?」と、最後までわからない。そういう方がぴったりなのではないかと思って声をかけさせていただきました。正直、これほどの人気のあるトップスターがこの役をやってくれる可能性は少ないなと思っていたんですが、幸いやっていただけて本当にラッキーでした。
――そのへんの床屋さんで切ったような髪型で、ザクっと出てくる感じがすごく新鮮でした。
前髪を上げたい、額を見せたいと。髭も含め服装もそうですが、基本的に“構って”いない。転売屋ですから、人と会って仕事をするわけでもないので。でも顔は見せたかった。
最近、とくに若手の男優が前髪を下ろす傾向があるんです。アニメや漫画の影響もあるだろうと思うんですが、どうしても個性が消されてしまいますよね。そうじゃなくて、前髪を上げて眉のところを見せたのはこだわりで、ああいう感じになりました。
取材・文:遠藤京子
『Cloud クラウド』は2024年9月27日(金)より全国公開中