Yahoo! JAPAN

山田太一脚本の名作ドラマ「シャツの店」任侠スター 鶴田浩二がセクハラオヤジになった?

Re:minder

1986年01月11日 NHKドラマ人間模様「シャツの店」放送開始日

「男たちの旅路」とは違う、小市民なオジサンを演じる鶴田浩二


昭和の名優・鶴田浩二主演の山田太一ドラマといえば、まず挙がるのが『男たちの旅路』(1976年〜)。鶴田が演じた、戦中派のガードマン・吉岡晋太郎はとにかくカッコよかった。時代遅れながらも強い信念があり、筋を通し、若者たちにビシッと伝えるべきことを伝える。脚本家・山田太一が当て書きしたという吉岡の役どころは、世間が思い描いていた鶴田浩二そのもの。『男たちの旅路』は、戦争映画や任侠映画でスターとなった鶴田の晩年の代表作となった。

そんな鶴田浩二で思い浮かぶのは、耳に手を当てながら渋い歌を歌う、重厚感のあるオジサマ。だが、若い頃は “絶世の美男子" と称される、アイドル的な人気俳優だったらしい。山田太一はエッセイ(『その時あの時の今』河出書房新社刊)で、“鶴田さんはかつて、軽佻浮薄な色男を演じて魅力的な時期があり、その軽みで他を圧していた。” と書いている。

“いつか軽みの鶴田さんで、肩の力を抜いた楽しい小品を書けないものか”

ーー と思っていた山田が満を持して書いたのが、今回紹介する、鶴田浩二最後の出演作となったNHKドラマ『シャツの店』(1986年)である。鶴田が演じたのは、東京の下町・佃にあるオーダーシャツ専門店の店主・周吉。政財界や芸能界から注文が入る腕のいいシャツ職人だが、プライドが高くて頑固。時代遅れなのは『男たちの旅路』の吉岡同様だが、周吉はあんな風にカッコよくない。妻・由子(八千草薫)と息子・秀一(佐藤浩市)に家を出て行かれておろおろする、小市民なオジサンなのだ。

スナックのママの胸をつかむ鶴田浩二に衝撃


『シャツの店』のモチーフとなっているのは、男と女のわかりあえなさ。シャツ作りを手伝い、家のこと一切をやっているのに、名人ともてはやされるのは周吉だけ。周吉は由子に感謝するどころか、優しい言葉ひとつかけることもない。“女房は黙って、亭主についてくればいい。おとなしく手伝っていればいいんだ” という周吉に、由子は反旗を翻す。

“出てって自分のために生きたいんです。自分のシャツを縫いたいんです。手伝ってばかりのこんな人生、つくづくいやになったの”

ーー 長年の不満をぶつける由子に “勝手にしろ” と周吉。どんと構えている風を装うが、目がきょろきょろ、明らかに動転している姿に、観ているこちらはおかしくなってしまう。

さらに、渋い鶴田浩二しか知らなかった私に衝撃だったのが、行きつけのカラオケスナックの場面。酔った周吉は居眠りから起きると、よだれを手でふいた後にママの胸をつかみまくる。触るなんてもんじゃない。あれは “つかむ” だ。今ならセクハラを超えた性加害と言われかねない。そうそう、昔ってこういうオジサンいたよね。“男は仕事だ” と大上段に構えるくせに、飲むとセクハラ三昧の酒癖悪い人。今もいるんでしょうけど。

劇中で「傷だらけの人生」を歌わせる、山田太一の遊び心


自身最大のヒット曲「傷だらけの人生」をカラオケスナックで気分よさげに歌いあげる場面も忘れ難い。ちゃんと例の台詞から入るのだ。

 古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ
 新しいもんを欲しがるもんでございます。
 どこに新しいものがございましょう。
 生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、
 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。

“よっ、(鶴田浩二)そっくり!” なんて掛け声がまわりからかかるが、そりゃそうだ。そういえば、あの名作ドラマ『想い出づくり。』の最終回に突如根津甚八似のパイロット(演じたのは根津本人)が登場し、“根津甚八が理想” と言っていたOL香織(田中裕子)と結婚する、なんて展開があったなぁと思い出し、ニヤリとしてしまった。山田太一ファンとしては、山田先生のこういう遊び心もたまらない。

若い頃とは違う、老・鶴田浩二の軽みを計算した山田太一


とはいえ、小市民を演じていても、そこは鶴田浩二。真剣な顔でミシンの前に座る姿は風格も色気もある。独りぼっちになりたくないゆえに “アパートで暮らしたい” と言う住み込みの弟子(平田満)をなんとかひきとめようとする様子も、息子の彼女(美保純)に翻弄される姿も、妻に横恋慕する中年男(井川比佐志)に嫉妬する顔も、おかしみがありながらなんともチャーミング。

“ちゃんと目を見て「おまえが好きだ」と言ってほしい。そう言ってくれるなら家に帰る”。

ーー ラスト近く、由子のこうした要求をのみ、思いっきり照れながら “おまえが好きだ” と言って、由子を抱きしめる場面にはほろり。

「青年期のような軽みを、成熟期の鶴田さんに下手に要求すれば、築き上げて来られた魅力に水をかけるような所業になりかねない。そのあたりのほどのとりかたがこの作品の「芸」である、といえば口はばったいが、ひとつの勝負どころではあった」

(山田太一著『その時あの時の今』より)

さすが山田太一、ほどのとりかたが絶妙なのだ。鶴田浩二、もっと生きていればコメディ作品でも活躍したのではないか。でも、こんな素敵な作品が遺作だなんて、すごく幸せな役者人生だったのでは、とも思えるのだ。

【関連記事】

おすすめの記事