元Jリーガー山西尊裕さんがジュビロ磐田から清水エスパルスへの“禁断の移籍”を振り返る「円満とはこのこと」
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、清水東高校出身でジュビロ磐田や清水エスパルスで活躍した山西尊裕さんをお招きし、オンラインで話を聞きました。聞き手はパーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さん(2024年7月23日放送)
鬼頭:山西さんのプロフィールを紹介します。静岡県清水区出身の48歳。清水東高校時代に3年連続国体で優勝。卒業後はジュビロ磐田に加入し、2005年に清水エスパルスに移籍。2008年の現役引退後はジュビロ磐田の育成組織のコーチや、常葉大学サッカー部のコーチや監督を務めました。
そして、今年からジュビロでトップチームと下部組織のコミュニケーション強化を図るトップチームマネジメント部リエゾンに就任しました。
ヒデ:清水東高時代は国体少年男子の部で3年連続優勝というなかなか達成できないことを成し遂げましたね。
山西:3連覇以上をしたのは静岡県だけで、1年生からメンバーに入っていたのは自分だけでした。当時はそうそうたるメンバーでしたね。1年生の時には松原良香、興津大三、伊藤優津樹、その時の2年生には伊藤卓、山田暢久…。自分が2年生の時には、川口能活、田中誠…。
ヒデ:オールスターですね。
山西:ですね。自分が3年の時には、西澤明訓、佐藤由紀彦、安永聡太郎…。恵まれていたんですね。
ジュビロの黄金期「負けるわけがないという感覚」
ヒデ:卒業後はすぐにジュビロ磐田に。
山西:はい。ひと通りタイトルというタイトルは取らせてもらえて、すごく幸せでした。
ヒデ:すごい人たちとタイトルを取りまくるというのはどんな日常なんですか?
山西:負けるということが考えられない、負けるわけがないというような感覚でした。
ヒデ:どうしても聞きたいことがあるんですけど、ジュビロ磐田から清水エスパルスへの移籍。当時も今も、世間的にすごいことじゃないですか?サポーターがショックを受けたということもあったのでは?
山西:全くないんですよ。ブーイングも受けず、円満とはこのことだなと。
鬼頭:それはもう山西選手の人柄と、出身が清水だということもあるかもですね。
ヒデ:電車を乗り換えたくらいの、お引越ししたくらいの軽さで移籍されたのですね。
エスパルス再建のために
鬼頭:エスパルスの当時の状況は?
山西:長谷川健太監督が初キャリアで、エスパルスを立て直すということで呼ばれました。立て直すのにどうしても必要だと口説かれて、行くことになったんですよ。高校の先輩で、自分ももう29歳だったので、思い切ってチャレンジしました。
ヒデ:やっぱり苦労もあったと思いますが。
山西:長谷川監督の初キャリアだったので、絶対に沈没させられないぞという思いでした。岡崎慎司たちが同期入団で、彼らが本当に素晴らしい活躍をしてくれました。その後も良い選手が入ってきてくれて立て直すことができたので、自分はお役御免ということで、2008年に引退ですね。
ヒデ:本当に良いサッカー人生を送れたということですね。
山西:本当に僕は恵まれていたと思います。
鬼頭:すごく真面目な人柄が伝わってきますね。
常葉大監督時代のこと
鬼頭:去年まで常葉大学の監督も務められて、5人のJリーガーが誕生したということです。
ヒデ:指導する時にどういったことに気を付けているか。ここだけは他の監督さんと違うというところはありますか?
山西:体半分くらい学生に噛みつかれていた時がありますね(笑)学生に怒られたりすることもありました。
ヒデ:すごい近くて、同じような気持ちで戦ってくれているというのが分かるからでしょうね。常葉大でのおよそ10年間は今に生かされていますか?
山西:僕が一番成長させてもらったなと思うんですよ。自分は大学に行かなかったので、大学のことを全く知らなかったんですよね。大学生を指導するということで、最初は手探りで当時監督だった沢登さんとスタートしました。学生も成長してくれたんですけど、自分が一番成長したんじゃないかと思います。すごく良い経験をさせていただいたなと思います。
鬼頭:監督として若い子たちと試合に勝ったりする喜びや充実感は現役の時と同じくらいうれしいものなんですか?
山西:そのように思えたのもやはり最後の方ですね。それまでは自分がプレーしたほうが楽だなと思っていました(笑)難しい…。
「なんだかんだ山西」
ヒデ:現在はジュビロのトップチームマネジメント部リエゾンというところにいるんですよね。具体的にどのような仕事なのかを教えてください。
山西:例えるなら「ハブ空港」ですかね。
ヒデ:なるほど。そこからすべてをコネクティングということですか?
山西:例えば、「ジュビロと地域」とか、「ジュビロと大学」とか。自分がそこの間にはさまることによって、両方をつなげていくと。
ヒデ:通電するようなものですね。
山西:でも手応えはあまりないです…(笑)
鬼頭:なかなか目に見えにくいのかもしれないですね。
山西:あまり何をしている人なのか、正直分かりづらいんですよね。僕の人生を振り返ってみると、ジュビロの時には「なんだかんだ山西」と言われていたんですよ(笑)
ヒデ:「この人がいると”なんだかんだ”上手くいっている」「なんか楽しいよね」「なんか良い一日になったよね」とか。山西さんは選ばれし人なんですよ。
鬼頭:今夏のスケジュールは?
山西:実は今、クラブユースの大会で群馬県に来ています。今度はトップチームと育成をつなぐことをします。とにかくフリーマンみたいな形です。
今は自分がトップチームのためにできることを模索中です。本当はトップチームでもいろいろなものにはさまって仕事ができたらなと考えています。自分には大学生を指導したという現場経験があるので、苦言もバシッと言っていくことも仕事かなと思っています。
鬼頭:必要ですもんね。
48年間、静岡一筋
ヒデ:現在のジュビロの状況については?
山西:正直、チームは今すごく苦しい状態かなと思います。J2からJ1に上がってきて、なかなか補強も難しい。自分としては、チームのために何ができるか。自分がとにかくはさまりながら上手くいくにはどう利用されるのかというのを楽しみにしています。
ヒデ:そんな山西さんの今後の夢や目標はなんでしょう。
山西:大きい意味で、素晴らしい指導者になりたいです。
ヒデ:抽象的なんですけど、山西さんらしいですね。核となる青い炎のような感じですね。常に種火として残っていて、なんだかんだやってくれるんですよ。
鬼頭:なんだかんだ今シーズンいけるような気がします。
ヒデ:最後に、ラジオを聞いている皆さんにメッセージをお願いします!
山西:自分は48年間静岡から出たことがないんです。引退した後も静岡にいる。これは静岡を盛り上げなきゃいけないと思っています。
自分にできることってサッカーから盛り上げていくこと。みなさんぜひ一緒に、静岡を盛り上げていきましょう!