「ムササビとコウモリ」の妖怪伝承 ~空を舞う異形たち
「空を飛ぶ生物」といえば、多くの人が鳥や昆虫を思い浮かべるだろう。
哺乳類の中では、コウモリが唯一、空を飛ぶ能力を持っている。
また、ムササビやモモンガといった動物も、短時間ではあるが滑空することで、空を飛ぶことができる。
神話や幻想の世界において、コウモリやムササビなどの妖怪の伝承は、意外と少ない。
今回はそんな希少な「空を飛ぶ哺乳類の妖怪」について、解説を行っていく。
1. 野衾
ムササビはリス科の動物であり、手足の膜を広げて滑空することができる、世にも珍しい動物である。
その特異な生態から、かつて日本においてムササビは、妖怪扱いされていたという説がある。
野衾(のぶすま)、あるいは飛倉(とびくら)とは、東京に伝わる妖怪である。
江戸時代の様々な文献において、この妖怪は登場する。
妖怪画家・鳥山石燕の「今昔画図続百鬼」には、ムササビの姿をした野衾が描かれている。
石燕の解説には「野衾はムササビの事なり」とあり、ムササビを完全に妖怪扱いしていることが窺える。
また、野衾は「火を食べる」ともあり、これは夜道を歩く人間が持つ、提灯の火に釣られて飛んできたムササビを見て、生まれた伝説だと考えられている。
俳人・菊岡沾涼が記した「本朝世事談綺」において、野衾は松明の火を吸い込んで消し、そして吐き出す妖怪として描写されている。
火を食べるのだから、吐くことも自在というわけだ。
2. 山地乳
山地乳(やまちち)は、作家・桃山人が記した「絵本百物語」において言及される妖怪である。
同書によると、年老いたコウモリは、前述した野衾に変化するとされる。
その後、野衾がさらに年を重ねることで、最終的に山地乳に変化するのだそうだ。
この妖怪は、陸奥国(現在の東北地域)の山の中に、特に多く生息していたという。
夜になると山地乳は民家に押し入り、眠っている人間の寝息を吸いこむ。
その光景を誰かが目撃していた場合、吸われた人間は寿命が延び、長生きをするという。
しかし誰にも見られなかった場合、その人は翌日にも死んでしまうとされた。
3. フリッターリックス
フリッターリックス(Flittericks)とは、アメリカ開拓民のホラ話から生まれた架空の生物、フィアサム・クリッターの一種である。
アメリカ開拓地の怪物伝説!木こりたちが語る恐怖の「フィアサム・クリッター」とは
https://kusanomido.com/study/fushigi/story/95884/
異常な速度で滑空するモモンガであり、主に伐採場によく現れるという。
そのスピードは常軌を逸しており、激突すれば、屈強な雄牛すら即死してしまう程だそうだ。
目視してからの回避は不可能だとされ、開拓民はこのモモンガを非常に恐れたとされている。
4. カマソッソ
カマソッソ(Camazotz) またはカマソッツは、マヤ文明の神話に登場するコウモリの神である。
マヤ文明といえば、古代の中央アメリカで栄えた文明であるが、スペイン人の侵略により、その文化・伝承は尽く消失してしまった。
ゆえに、この神について知られている情報は、限りなく少ないことを留意すべきである。
マヤの原住民キチェ族の神話「ポポル・ヴフ」において、この神は言及されている。
ナイフのように鋭利で、反り立った鼻を持つコウモリの姿をしているという。
その特徴から、中南米に生息するウーリーヘラコウモリという、鼻の尖ったコウモリがモデルだと考えられている。
カマソッソは冥界「シバルバー」にある「コウモリの家」という場所を、寝座としているそうだ。
非常に凶暴な性格をしており、コウモリの家に立ち入る者を、有無を言わさず抹殺するという。
神話には、次のようなエピソードが語られている。
(意訳・要約)
ある時、フンアフプーとイシュバランケーという双子の神が、シバルバーを滅ぼすためにやって来た。
(二人の父の仇が、シバルバーに住んでいたためである)シバルバーには様々な試練の地があったが、双子の神はそれらを難なく切り抜けた。
だが六つ目の試練の地、コウモリの家にて、フンアフプーはカマソッソに斬首されてしまう。
しかし、フンアフプーは亀を首の代わりにすることで、息を吹き返した。
その後、フンアフプーは自身の首を取り戻した。
そして双子は父の仇を討ち、シバルバーは滅亡してしまったのである。
5. アツカムイ
北海道の先住民族・アイヌが崇拝する存在に、カムイというものがある。
カムイとは精霊のようなものであり、アイヌたちの間では、万物全てにカムイが宿ると考えられていた。
普段は「カムイモシリ」という世界に住んでおり、その姿は我々人間と同じだという。
しかし、何かしらの用事ができると、動物などの姿を借りて、人間の住む世界「アイヌモシリ」へとやって来るのだそうだ。
北海道にはエゾモモンガというモモンガが生息しており、このエゾモモンガの姿で現れるカムイが、アツカムイ(At-kamuy)である。
エゾモモンガは、一度の出産で30匹以上子供を産むと考えられていた(実際は3匹ほどしか産めない)。
そのためアツカムイは、多産をつかさどるカムイとして、敬われていたという。
かつてアイヌの夫婦間では、不妊に悩む妻に、夫がエゾモモンガの肉を食べさせるという風習があったそうだ。
ただし、エゾモモンガの肉を食べさせる際は、鳥などの肉と混ぜて食べさせることが推奨されたという。
なぜなら、妻がエゾモモンガの肉と知ってて食べてしまった場合、子宝に恵まれるどころか、二度と子供が作れない体になってしまうと信じられていたからである。
参考 : 『神魔精妖名辞典』『fandom』他
文 / 草の実堂編集部