家族のペースを大切に。心と体を休めて「無理をしない」わが家のお正月
監修:初川久美子
臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
年末年始の騒音問題は、雨戸でスッキリ解決!
息子が小学4年生になり、ASD(自閉スペクトラム症)の特性が強く出始めたことをきっかけに、私たち家族の生活は大きく変わりました。息子は、人混みやそれにまつわる雑多な音、外の世界全てに刺激を感じるようになり、それまでは大丈夫だった都会への外出が困難になってしまいました。人の往来が多くなる年末年始、その症状は顕著にひどくなっていきました。
自宅の前は、近くの商業施設へ向かう人々で常に賑わっており、ひっきりなしに通り抜けます。当時は人気の位置情報ゲームアプリがリリースされたばかりで、そのゲーム内でアイテムがもらえる場所や、対戦場所を求めてうろうろする買い物帰りの人たちに出会ってしまうため、食料品の買い出しに子どもたちを連れて行くことは不可能になってしまいました。
家の中にいてももちろんその騒音は響いてしまうので、苦肉の策として年末年始は一日中雨戸を閉め、なるべく静かな環境を保つことにしました。部屋が多少暗くなっても、子どもたちの安らぎを優先するためにはやむを得ない選択です。初詣も三が日に行くことをやめました。そのことに文句を言う親族もいたのですが、そのうちにコロナ禍に突入し、神社自体も「分散参拝」を推奨したため、人の少ない平日の息子の体調が良い日を見計らって、ゆっくりと参拝しました。コロナ禍をきっかけに「分散参拝」を推奨する神社はまだ多く、わが家のように敏感な子どもを持つ家庭にはとてもありがたいです。
家族みんなで作る、新しいおせちのカタチ
また、あらゆるものに過敏になってしまったことで、正月料理のほとんどが完全に食べられなくなってしまいました。それまでもあまり好きではなかったのですが、その年ほとんど食べられなかったおせちを見て、翌年からは注文するのをやめました。重箱に、子どもの食べられるものだけを詰めた「子どもおせち」を作ることにし、いわゆる一般のおせちをやめて、私も一緒に食べることにしました。
市販のおせちを選ぶ時も、なるべく子ども向けを意識していましたが、どこか無理をして食べていたのかもしれません。新年早々無理してもいいことはありません。おせちには伝統的な意味合いがありますが、わが家はわが家だけの意味を一緒に考えました。たとえば「唐揚げ」や「フライドポテト」なら「気持ちが上がる=元気」、「チーズ」はまっしろなので「新年」、「ウインナー」は「勝利」、伊達巻きは「(おいしいから)しあわせ」……、一見ただのゴリ押しなのですが、年末年始は、変化が苦手な子どもたちにとって、イレギュラーなことの連続です。どうせなら楽しいほうがいいので、子どもたちにとって「いつも食べている」「安心できる」「おいしいもの」を詰め合わせました。
普通の家庭ならば、こうしたおせちの意味や正月行事の一つひとつを教えていくことは、子どもの学びになるのでしょう。ですがそれすらも子どもの負担になるのなら、やめてしまっていいと思いました。いつか子ども自身が「食べたい」「行きたい」「やりたい」と思った時にその意味や歴史を教えればいいし、それは「今ではないな」というのがわが家の選択です。
年末最後のおたのしみは、大掃除!
苦手なことばかりの年末年始の子どもたちですが、得意なことがあります。それは「大掃除」です。普段片付けることは苦手だけれど、掃除となると話は別です。「今日はこの場所を掃除しよう」ときっちり計画を立て、本人にできる範囲の分担を振り分けるようにしています。
同じASDでも息子と娘では得意分野が違います。息子は部屋が散らかっているとパニックを起こしやすいですが、自分で整理整頓するのが苦手です。しかし、トイレやお風呂など、特別な場所の掃除がすごく得意です。つまようじや古い歯ブラシなどを駆使して、徹底的に綺麗にしてくれます。
一方、娘は、玄関のドアを磨くのが大好きです。朝からドアを中からも外からも磨き続け、通りがかるご近所の方にその度に褒めていただきご満悦でした。大掃除の効率的には悪いのかもしれませんが、「ここ!」と決めた場所を集中して丁寧に綺麗にしてもらうことで、その分私はほかの場所の掃除に注力できますし、本人の自信にも繋がります。学校の特別支援教室での掃除分担も、先生から「娘ちゃんは掃除機が上手ですよ」と教えていただいたりするので、学校でできることはおうちでもしてもらっています。
もちろん気持ち的にできない日もあるので、できる時にできることを大切にしています。
無理のない、家族のペースを大切にするお正月
とにかくわが家の年末年始は「無理をしない」。あえて変わったことをしないようにしています。必要最低限の親類にしか会いませんし、初売りや福袋の列に並ぶこともしません。テレビも苦手なので年越し特番や正月番組を見ることもありませんし、近所のスーパーが開くまで買い物も行きません。一緒にゲームをしたり、こたつでゆっくりしたり、それぞれ好きなことをして時が過ぎるのを待ちます。子どもの頃、私が過ごしてきたお正月とはずいぶん違います。こうしたお正月を過ごすことに、全く抵抗がなかった訳ではありません。いわゆる昔ながらのお正月をきちんとしようとしていた時期もありました。
しかしこうした行事や騒々しさが子どもが苦手だと分かった途端、「正しい年末年始の過ごし方」のような大人のこだわりは捨て去るのが一番だと思いました。一年は日常の繰り返し、その日常が続いていくことこそが大事で、変わらぬ日常を積み上げていくことが、私たちにとっての新年の過ごし方なのです。
新しい一年のはじまりを、新しい気持ちで
とにかく一年を通して外出が苦手になってしまった子どもたちなのですが、年末年始の街全体が浮き足だった雰囲気が特に苦手です。年々、その傾向は強くなっていますが、私も慣れてきたもので、「年末に向けて子どもたちと食べるお菓子を買っておこうかな」「こたつでごろごろしやすいクッションを新調しようかな」などと状況を楽しむ余裕も出てきました。かつて年末年始は常に動き回っていましたが、今のようなスタイルは親の私にも合っていたようで、体と心を休める期間と思えるようになりました。
当然のことながら、伝統行事はとても重要です。たとえば学校行事に参加できない子どもたちのために、特別支援学級の先生が「どうしたら参加できるか」を一緒に考えてくださるように、おうちの行事もその子に合った形でもいいんじゃないのかなと思います。親戚の集まりに顔を出さないなど、うるさく言ってくる人はどこにでもいますが、子どもの心の健康を守るためです。「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、「一年の支援も元旦にあり」と思いながら、なるべく刺激の少ない年末年始を今年も目指したいです。
執筆/花森はな
(監修:初川先生より)
花森家の年末年始の過ごし方のご紹介をありがとうございます。似たような特性をお持ちのお子さんのご家庭にはとても参考になる具体的なお話がいっぱいでしたね。目の前の子どもたちが心穏やかに過ごすことと、慣習・風習としての“年末年始”を過ごすこと。それらを天秤にかけ、子どもたちが心穏やかに過ごすことに主軸を置きつつ、ささやかな年末年始感(大掃除、こどもおせちの工夫など)を味わう。すてきな工夫のシェアでした。
年末年始の浮足立った感じについては、通常との変化として感じられる面もありますが(私も年末年始のテレビからニュース番組や天気予報が減るのがどうにも得意でなくて、早くいつも通りになれ~と思うこともあります)、そのほかにも、“年末年始は家族や親族で仲良く過ごすもの”といったように一般的には思われている面もあり、そのあたりで心がちくちくする方もいらっしゃるかなと思います。花森さんが本コラムで何度か書かれていたように、無理せず過ごす、そのポイントで改めて考えてみて、工夫できるところはしてみるということ。とても大事だなと感じます(無理してもいいことはないので)。皆さんにとって、良き年末年始だったと感じられる時間を過ごせるよう、願っています。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。