「平和について考えて」 四日市空襲を語り継ぐ 動画の最新公開中
四日市市小杉町の出口敦子さん(62)は、岡野さんの遺志を受け継ぎ、冊子の戦争に関する記述部分を朗読し、動画を作成8月に動画サイト「YOU TUBE」で公開した。昭和の四日市の人の暮らしや思いを掲載した冊子を発行していた岡野繁松さん(享年90)は生前、「原爆や空襲よりも、法律や教育が少しずつ変わり、開戦前夜には誰も参戦を拒否する術を失っていたことが怖い」と話していた。出口さんはその遺志を継ぎ、知人の協力を得ながら、動画を完成させた。
元教員だった岡野さんは1988年に「旧四日市を語る会」を発足し、会報紙を作成、「旧四日市を語る」という冊子を25年間発行し続けた。岡野さんの妻・艶子さん(享年89)は薬害で38歳の時に失明。出口さんは、艶子さんに視覚障害者への音訳ボランティアをしていた。その縁で「旧四日市を語る」の編集に出口さんが参加し、2015年まで発行した。末期がんで入院しながら最終集を編集した岡野さんは、出口さんに「旧四日市を頼む」と言い残し、世を去った。
出口さんは19年、冊子の四日市空襲の部分を朗読し、知人に依頼し、音楽や空襲の現場となった現在の街並みなどの映像も付けた約15分間の動画「四日市空襲を語り継ぐ」を制作。地元の映画祭でグランプリを受賞し、若い人から「感動した」という声が寄せられ、CTYで放映された。
手ごたえを感じ、第2弾、第3弾の続編の制作を目指した。出口さんは、若い世代に平和について考えてほしいと、動画制作の協力を複数の高校に依頼。撮影が始まった学校もあったが完成には至らなかった。
戦争を自分の言葉で伝えて
出口さんはアマチュア落語家で可愛家ぱいるという芸名で活動していたが、昨年引退。引退前の落語会の映像を撮ってくれた鹿志村始さん(79)に協力を依頼した。第2弾は敗戦直後の子どもたちの暮らしぶりを出口さんが朗読し、現在の四日市の街の様子を写真に収めた。第3弾は艶子さんに戦争体験を語ってもらったインタビュー音源を収めた。鹿志村さんと数日かけて編集し1作目にも新しい動画を加え「新・四日市空襲を語る」を三部作の作品として8月に公開した。
完成まで3年かかり、度重なる挫折に歯がゆさと焦燥を感じ「岡野さんの言葉の重みを改めてかみしめた」という。今も止まない戦争に心を痛めている人も多いが、その一方で、四日市空襲があったことを知らない人もいる。出口さんは「この動画が遠い国のこと、遠い未来のことではなく、自分の町、自分の家族のこととして戦争のことを考えるきっかけになれば」と語った。戦争の話を聞く側だった若い世代が次の世代へ、自分たちの言葉で伝えてくれることを出口さんは期待している。
「四日市空襲を語り継ぐ」の第1弾(https://www.youtube.com/watch?v=U3-QdUCfa8c)第2弾(https://www.youtube.com/watch?v=HmJVHxo8aWk)第3弾(https://www.youtube.com/watch?v=HW8NOt6jwew)はこちらから閲覧できる。