#3 大乗仏教の生まれた経緯――佐々木 閑さんが読む、『般若心経』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
佐々木 閑さんによる、『般若心経』読み解き
「見えない力」を味方にする――。
日本人にとって最もなじみの深いお経といえる『般若心経』。その実体は、「釈迦の仏教」を乗り越え、自らが仏へと至る“神秘力”を得るための重要なファクターだった――。
『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』では、「空」とは何か、「色即是空」の意味とは何か? わずか262文字の言葉に、般若経の神髄を表したとされる“呪文経典”の全貌を、佐々木閑さんが解説していきます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全6回)
第2回はこちら
「釈迦の仏教」から「大乗仏教」へ
では、ちょっと遠まわりになりますが、基本の知識として仏教の誕生と、それが展開して大乗仏教が生まれた経緯をざっと説明しましょう。
仏教は今から約二千五百年前、ヒマラヤ山脈の南にある小さな国の王子として生まれたゴータマ・シッダッタによって生み出されました。ゴータマは二十九歳で出家し、何年にもわたる艱難辛苦(かんなんしんく)の修行の末に、悟りを開きました。煩悩(ぼんのう)を断ち切り、老いと病いと死の苦しみから逃れるために、恵まれた境遇も地位も財産もすべてを捨てて、修行の道一筋に身を捧げたのです。
悟りを開いたゴータマは、それ以後「ブッダ(仏)」とか「釈迦」(正式には「釈迦牟尼」)と呼ばれるようになったのです。釈迦は、たくさんの弟子に囲まれ、彼らとともに集団生活を行いながら教えを説きつづけました。そして、約四十年の布教活動ののち八十歳で亡くなりました。釈迦のような悟りを開いた人が死ぬことを入滅(にゅうめつ)と言います。釈迦の入滅後、残された弟子たちは口伝えで彼の教えを受け継いでいきました。これが、「ニカーヤ」と言われる原始経典群で、その中には釈迦の言葉を美しくわかりやすくまとめた『ダンマパダ』や『スッタニパータ』なども含まれています。スリランカやタイなどの南方仏教国で用いられているニカーヤは古代インド語の一種、パーリ語で書かれていますが、一部はインドから中国に伝わって漢文に翻訳され、「阿含(あごん)経」と呼ばれて今に伝わっています(ニカーヤや「阿含経」については、拙著『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ真理のことば』に詳しく書きましたので、そちらをご覧ください)。
さて、そのようにして伝承された釈迦の教えの最大の特徴は何かというと、自分の心の苦しみを自分の力で解決する、「自己救済」の宗教であるということです。これを「自利(じり)」といいます。老病死の苦しみや煩悩にさいなまれて、生きていくのが苦しい人が、俗世と別れ、出家して仏道修行一筋に生きようとする。その後押しをしてくれるのが釈迦の仏教なのです。
「生きるのが苦しい」と感じた人が、自分で選び、自分で努力し、自分で進んでいく道、それが釈迦の仏教なのです。ですから、こちらから町なかに入り込んで教義をPRしたり、信者を増やそうとしたりする布教活動にはさほど熱心ではありません。それは本来の修行とは関係のない活動だからです。
しかしだからといって、布教をまったくしないわけではなく、所有物を捨て、欲望を捨て、利殖行為と縁を切り、仏道三昧に生きる自分たちの姿を世の人に見てもらい、結果的に「私もそんな生活をしたい」と集つどってくる人は喜んで受け入れます。こちらから押しつけることはしないが、求める人にはすべてを与えるという姿勢です。ここで、「自利(自己の救済)」が「利他(他人の救済)」に転じるという点に注目してください。いわば“後ろ姿”の救済活動です。この意味で、釈迦の仏教は間違いなく人助けの宗教なのです。
私はときおり釈迦の仏教のことを“心の病院”であると言っているのですが、それは、苦しみや痛みを感じてやってきた人はすべて治療してあげるけれども、こちらからわざわざ町の中へ出向いていって健康な人まで引っ張りこんでくるようなことはしないという意味です。そんな病院はどこにもありませんからね。
このような仏教本来のあり方は、今もタイやスリランカ、ミャンマーなどで受け継がれており、「上座部仏教」といいます。ただしこれも多少は変化していますので、釈迦オリジナルの仏教を指す呼称として、このテキストでは「釈迦の仏教」と呼ぶことにしています。
これに対して、釈迦入滅後数百年の時を経るうちに、釈迦の時代の教えをかなり異なる形で解釈し、独自の路線を打ち出すグループが多数登場しはじめました。時間の経過とともに創始者の教えが様変わりするのはどの宗教でも同じですが、こと仏教に関しては、ある時期に爆発的に多様化したという特別な状況があります。それには理由があって、ある程度宗教的変質がみえはじめた時点で、仏教という大きな枠組みを壊さないために「考え方に多少の違いはあっても、他の集団との協調性を保っているならば同じ仲間として認める」という決まりを作ったのです。普通、宗教というものは教義の違いを容易には認めませんし、それゆえに宗派間、グループ間で過激な闘争が起こったりするのですが、仏教は独特の和の精神をもってこの部分を容認しました。こうして大枠は一つに保たれましたが、「多少の違いはあってもよい」という寛容さが入り込んだため、内部にはかえってすさまじい多様性が生まれたのです。これが大乗仏教が発生した根本原因です。
このような状況の中、新たな仏教運動を推進した人たちは、それぞれに自分たちの考え方を主張し、それぞれが別個に、たとえば「法華(ほっけ)経」とか「維摩(ゆいま)経」とか「華厳(けごん)経」といった大乗経典を作って世に問いました。「般若経」を作ったグループもその一つです。こうして、釈迦の時代の仏教をそのまま守る流れと、その「釈迦の仏教」とはかなり違った仏教を主張する様々な大乗の流派が共存することとなり、それがそのまま、現在の仏教世界へと受け継がれてきているのです。
仏教の多様化と大乗仏教登場のいきさつについて、私は『インド仏教変移論』(大蔵出版)という本で詳しく述べています。興味のある方は読んでみてください(ただし、難しくて高い本なので図書館で借りることをお勧めします)。
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著者
佐々木 閑(ささき・しずか)
花園大学文学部仏教学科教授。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版)、『日々是修行』(ちくま新書)、『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』、『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』(NHK出版)、など。翻訳に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波書店)などがある
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス 般若心経」(佐々木 閑著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年1月に放送された「般若心経」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「「私とはなにか」を再考する」などを収載したものです。