朝ドラ「あんぱん」放送開始!アンパンマンの生みの親 “やなせたかし” 生涯のテーマとは?
朝ドラ、ヒットの鍵は “戦争が物語を作る”
手前味噌で恐縮だが、僕は8年ほど前に『「朝ドラ」一人勝ちの法則』(光文社新書)なる本を出したことがある。
タイトルの通り、朝ドラ―― NHK連続テレビ小説を解説した本だ。言うまでもなく、かの “大河ドラマ” と並ぶNHKの看板ドラマ枠の1つであり、その歴史は大河よりも2年早い1961年に始まった。本の内容は、ざっくり言えば、長い朝ドラの歴史の中で培われた “ヒットの鍵” に焦点を当てたもの。僕は、それを―― “戦争が物語を作る” と表現した。
そう、戦争が物語を作る―― まぁ、これは朝ドラに限らないけど、古今東西、名作と呼ばれるものは大抵、戦争が物語の背景にある。例えば、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルが共演した歴史的名画『風と共に去りぬ』は、アメリカの南北戦争時代の悲恋を描いた物語だったし、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』は、ロバート・デ・ニーロ演ずるベトナム戦争帰りの元海兵隊員の話だった。松本清張原作・野村芳太郎監督の大作『砂の器』も、物語の軸となる天才音楽家・和賀(加藤剛)の正体は、先の大阪空襲で戸籍が消失したことに乗じて、戦争孤児が成りすました別人だった。
何ゆえ、戦争が物語を作るのか?
―― 個々の人々の生き様とは関係なく、半ば強制的に人生の歯車を狂わされるからである。皮肉な話だが、ハリウッドが今もヒット映画を量産し続ける背景に、先の大戦後も、ベトナム戦争や湾岸戦争、“911” やイラク戦争など、アメリカ人が戦争に関わり続けてきた歴史がある。映画『パラサイト 半地下の家族』やドラマ『愛の不時着』など、韓国作品が世界的にヒットしやすい背景にも、休戦状態にある北朝鮮の存在がある。
そう、だからヒットする朝ドラの多くも “昭和” が舞台になる。誤解なきよう、それは安易にノスタルジーに乗っかったワケじゃない。日本史上最も悲惨な戦争が、昭和の時代に起きたからである。ゆえに、ヒットする朝ドラは必然的に、昭和を生きた人物をモデルにした“ベース・オン・トゥルー・ストーリー”(実話をもとにした物語)が多い。
盤石の布陣が組まれている今期の朝ドラ「あんぱん」
その法則に従えば、今期の朝ドラ『あんぱん』は、まぁ、安泰でしょう。今年がNHKの放送100周年というコトもあり、絶対に外せない作品ゆえに、盤石の布陣が組まれている。今田美桜サンが演じるヒロイン(朝田のぶ)は、国民的キャラクター『アンパンマン』の作者である漫画家・やなせたかしの妻(小松暢)がモデルである。実際、やなせサンは徴兵され、戦地に赴いている。俗に、日本の軍隊の戦死者の6割は餓死とも言われるが、そんな悲惨な戦争体験が後年―― 困っている人々に自らの顔(あんパン)を分け与える正義のヒーロー『アンパンマン』に帰結する。そう、戦争が物語を作る―― 。
脚本を手掛けるのは、かのヒットメーカーの中園ミホさんである。ドラマ『やまとなでしこ』(フジテレビ系)を始め、『anego [アネゴ] 』や『ハケンの品格』(日本テレビ系)、『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日系)など、ヒット作は数知れず。NHKでも朝ドラ『花子とアン』に大河ドラマ『西郷どん』と、既に両看板枠を制覇している。これは心強い。
朝ドラヒット率が高い、漫画家を描いた作品
加えて、実在の “漫画家” を描いた作品も、朝ドラではヒット率が高い。古くは、1979年放送の『マー姉ちゃん』が、あの「サザエさん」を生んだ長谷川町子の家族を描いて、最高視聴率49.9%。近年では水木しげる夫妻が登場する2010年の『ゲゲゲの女房』が、それまで低迷していた朝ドラ枠を復活させるなど、両作品とも評価は高い。その流れで『あんぱん』もヒットが期待できるというもの。まぁ、初回視聴率こそ朝ドラ歴代ワースト3位の15.4%だったけど、朝ドラは基本、習慣視聴。初回視聴率は前作の影響を強く受けるため、ソコはあまり気にしなくていい。
もっとも、朝ドラは “ベース・オン・トゥルー・ストーリー” と言いつつ、表向きは “フィクション” を掲げ、役名や設定も微妙に改変される。北村匠海サンが演ずる “やなせたかし” がモデルの人物は “柳井嵩” になり、リアルでは奥さんとは戦後、就職した高知の新聞社で出会うが、朝ドラでは転入した小学校で早くも出会う設定に。この改変は何を狙っているかというと―― その後、青春時代を迎えた2人が戦争で引き離される筋書きだ。そう、戦争が物語を作る―― 。
キャラクターのモデルが続々登場するのも楽しみの1つ
かように、朝ドラ『あんぱん』はヒットする要素が満載なので、“タイパ” 重視の若い方々も見続けて損はないと思います。開始早々に、阿部サダヲさん演ずる “ジャムおじさん” のモデルみたいな人物も登場してるし、今後もキャラクターのモデルが続々登場するのも楽しみの1つ(ちなみに、ドキンちゃんのモデルは、やなせサンの奥さん。言われてみれば、今田美桜サンはドキンちゃんによく似ている)。
まぁ、欲を言えば、主題歌は『アンパンマンのマーチ』(作詞:やなせたかし / 作曲:三木たかし)を朝ドラ風にアレンジして使ってほしかった… と、個人的には思う。近年の朝ドラの主題歌は、流行りのミュージシャンを起用して、スタイリッシュなポップスにしがち(今作のRADWIMPSの「賜物」が悪いという話ではない)である。まるで民放ドラマのタイアップと同じニオイを感じるけど、ぶっちゃけ、昨年のB'zが証明したように “紅白” 狙いですね。それを考えると、インストゥルメンタルに徹した大友良英サン作曲の『あまちゃん』の主題歌の志の高さよ。
リアル “やなせたかし” の半生
さて―― 朝ドラの話はこの辺にして、ここからは、リアル “やなせたかし” サンの半生を振り返ります。よく遅咲きだとか、漫画家としての芽が出ず、長く貧乏生活を強いられた―― みたいな印象で語られがちだけど、必ずしもそうじゃない。生まれは裕福な家の出で、戦前に高等教育を受けたインテリである。戦後は漫画家に限らず多彩な分野で才能を発揮し、『アンパンマン』以前にも多くの爪痕を残してる。順に解説していこう。
生まれは1919年、東京である。本名・柳瀬崇。漫画家としては、手塚治虫サンより10歳上で、同じく戦争に行った水木しげるサンの3つ上になる。父親は高知の旧家の家柄で、東京朝日新聞(現:朝日新聞)に勤め、父の転勤で一家は中国・上海に移り住む。しかし、間もなく父親が亡くなり、一家は高知で開業医を営む父の兄の家に身を寄せる。その後、母親が再婚して家を出るも、崇は弟と共に残り、伯父のもとで裕福な10代を送った。
子どもの頃から絵を描くのが好きな崇は、『少年倶楽部』を愛読していたという。中学卒業後は官立旧制東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)に進学して、工芸(産業デザイン)を学んだ。そして、そのスキルを生かして製薬会社の宣伝部に就職するが、3年目に陸軍に徴兵される。太平洋戦争が開戦した1941年だった。
幸い、崇は学歴が認められ、幹部候補生の試験を受けて、暗号を解読する下士官になる。また、絵の才能を生かして、占領地での宣伝活動にも従事する。この辺りの器用さは、後年、漫画家として売れない時代に、舞台美術や司会、作詞家など様々な仕事に才能を発揮する片鱗が見える。結局、崇は一度も戦地で銃を構えることなく終戦を迎えた。一方、予備学生から海軍に進んだ弟は、勤務していた駆逐艦「呉竹」が台湾沖で撃沈され、終戦の年に戦死している。
長く苦難の道を強いられる漫画家時代
1946年、高知へ戻った崇は、絵の才能を買われて高知新聞社に入社。そこで、人生の伴侶となる小松暢(こまつのぶ)と出会う。その後、2人とも退職して上京後に結婚。崇は漫画家を志すも、貧乏生活を嫌い、三越に入社して宣伝部で働きながら、趣味で漫画を描き続けた。ちなみに、今も三越で使われている包装紙 “華ひらく” は、三越時代の崇が洋画家の猪熊弦一郎にデザインを依頼し、自ら “Mitsukoshi" とレタリングしたものである。
1953年、崇は三越を退職し、専業の漫画家になる。しかし、世は手塚治虫が関西の長者番付で画家部門の1位になるなど、“漫画の神様” が脚光を浴びた時代。神様の描く児童漫画やストーリー漫画が新しい潮流として脚光を浴びる一方、崇が描く大人漫画やナンセンス漫画は傍流となり、長く苦難の道を強いられる。
その一方、旧来の器用さが幸いして、崇は舞台美術から放送作家、司会、作詞家と、漫画以外で多彩な才能を発揮する。1961年、NET(現:テレビ朝日)のニュースショーを構成していた際には、番組の「今月の歌」を自ら作詞し、友人の作曲家のいずみたくに曲を依頼。それが童謡『手のひらを太陽に』となる。翌1962年には、NHK『みんなのうた』で放送され、やがて教科書にも載るスタンダード・ナンバーに―― 。
1970年には、かつて放送作家として子ども向けに書いたラジオドラマ『やさしいライオン』を、自ら短編アニメ映画として初監督する機会を得る。前年に虫プロダクションが制作した劇場アニメ『千夜一夜物語』に美術監督として招かれ、そのヒットのお礼に、漫画の神様がポケットマネーで出資してくれたのだ。同作は、毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞。この成功で、崇はある決断をする。
ユーモラスなキャラクターへと生まれ変わったアンパンマン
それまで、本業の漫画は一貫して “大人漫画” を描いてきたが、“もしかしたら自分は子ども向けの作品のほうが向いているかもしれない” ――と、絵本作家への転身を図る。1973年、かつて大人向け漫画として発表した『アンパンマン』を幼児向けの絵本に改作。絵本作家・やなせたかしの誕生である。かつて小太りのおじさん(!)だったアンパンマンは、自身の頭部があんパンで出来ているユーモラスなキャラクターへと生まれ変わった。
当初、同作品は、主人公が空腹に喘ぐ人々のところへ駆け付け、パンを差し出して人々を助けるという物語のコンセプトが “難解である” と、保護者や幼稚園の教諭らの評価はあまり芳しくなかったという。だが、それに、やなせたかしサンが反論する。“正義の味方であれば、まず、食べさせること。飢えを助けること” ――言うまでもなく、それは自らの戦争体験から生まれた生涯のテーマ(レーゾンデートル)だった。
しかし、そんなやなせサンの不安も間もなく解消される。当の子どもたちの間で『アンパンマン』はじわじわと人気を広げたのだ。要因は、シリーズを重ねるごとにアンパンマンの仲間や敵役のキャラクターが増えていったからだった。そういえば、以前、NHKのドキュメンタリー番組『100カメ』という番組で、少年ジャンプの腕利きの編集者がこんなことを言っていた。
「作家は物語を書きたがるけど、読者が読みたいのは魅力的なキャラクターなんです」
やがて国民的アニメとなった「それいけ!アンパンマン」
1988年、同作は日本テレビ系で『それいけ!アンパンマン』のタイトルでアニメ化される。当初は関東ローカルだったが、間もなく全国ネットになり、やがて国民的アニメとなったのは承知の通りである。2009年、同アニメは “世界で最もキャラクターの多い単独のアニメーション・シリーズ” としてギネス世界記録に認定される。その数、1,768体。やなせたかしサンが亡くなるのは、その4年後の2013年である。享年94。
アニメ『それいけ!アンパンマン』は今も新作が放映され、キャラクターも増え続けている。そして、アンパンマンは今日もおなかのすいた人々に、自らの頭部のあんパンを分け与えている。