MAD MEDiCiNE 那月邪夢[インタビュー前編]アイドル界の“魔王”誕生の瞬間「マドメドの曲が刺さった」
“狂おしいほど、依存して”をコンセプトに圧倒的な世界観によってシーンの中で大躍進を遂げているMAD MEDiCiNE。
その超個性派集団の中で、一際カリスマオーラを解き放っているのが、紅色担当の那月邪夢だ。
今回、那月のアイドルとしての実像に迫るため、全2回トータル10000字を超えるロングインタビューを実施。
前編となる本日は、幼少期〜MAD MEDiCiNE加入までについて語ってもらった。
撮影:河邉有実莉
マドメドに加入してから急に覚醒して、魔力が使えるようになりました
ーーついに、Pop’n’Rollに魔王降臨! ということで、魔王さまが魔力を使えるようになったのはいつからですか?
邪夢:
2年くらい前、MAD MEDiCiNE(以下、マドメド)でデビューしてからですね! 私は前世もあるんですけど、マドメドに加入してから急に覚醒して、魔力が使えるようになりました。
ーー魔力によって赤い邪眼となり、赤髪になったんですよね。前のグループはそういう感じではなかったんですか?
邪夢:
ダンスボーカルグループみたいな感じだったんです。その時はグループの中でも1番可愛いめのキャラでした。ツインテールや姫カットで、キャピキャピしてるような……。まぁ、若かったので。えへへ(笑)。
ーー小さい頃からアイドルへの憧れはあったのですか?
邪夢:
勉強ができなかった、というのもあるんですけど、踊ることや歌うことが好きだったんです。私、日本とフィリピンのハーフで、お父さんがフィリピン人なんですよ。私は生まれも育ちも日本なんですけど、お父さんが昔、フィリピンでブレイクダンスをやっていて。だから本当にちっちゃい頃からお父さんとずっと一緒にダンスを踊ってたんです。小学校1年くらいの時にはYOSAKOIを踊ったりもしてました。そこから本格的に始めたのは、小学校6年生くらいから。だからダンス自体はもうずっとやってますね。
ーーおおっ。歌は?
邪夢:
歌に関しては、本当に好きで歌ってただけで、何かやっていたわけではなく。でも小学校6年生の時、卒業スピーチみたいなものを1人ひとりする時間があって。その時は“歌手になりたい”と言ってました。
ーーでは、なんとなく歌手や芸能の世界に興味があったわけですか。
邪夢:
芸能に興味があったんですけど、絵も好きだったんで、ずっと悩んでました。絵と芸能、どっちの学校にも行ってみたりしたんです、オープンキャンパスへ。
ーー絵はどのようなジャンルを?
邪夢:
リアルな絵を描くのが好きでした。キャラクターっていうより、デッサンみたいな、風景画とかが好きでした。友達が少なかったので、ずっと1人でできるものをやっていたんです。少女漫画に浸って、絵を描いて、という。最初は漫画を描いたりもしていたんですけど、中学校に上がったくらいから、デッサンや油絵に触れて、こっちの方がいいなって。中二病になった時期があったので……あ、中二病は今もですけど(笑)。なので、ちょっとグロい絵、闇深い絵を描くのが好きになって。そこからリアルな感じの絵を描くのが好きになりました。
ーーグロい絵とは……!?
邪夢:
口から手が出てるやつとか……。
ーー病んでる系だ!
邪夢:
アハハハハ!!
ーー今も描きます?
邪夢:
たまにですかね。今はデコチェキに追われてるので(笑)。あ、デコチェキ見せたいっ!(ゴソゴソ)
ーーうわ、すごっ!
邪夢:
(ケータイの写真を見せながら)昔はアートチェキっていう、もっと豪華なのもあって。凹凸をつけて、ネイルのトップコートを塗ったりもしてました。そうすると剥がれなくなるんですよ!
ーークオリティ高っ!
邪夢:
1度クオリティを上げたら、もう下げられなくなっちゃって、へへへ。
“アイドルやれないなら死ぬ!”と言って、飛び降りようとしたことも
ーーで、話は戻りまして、勉強はできなかったと。
邪夢:
本当に全然ダメで、通知表は“1”が3個くらい並んでましたね。ふふふ。
ーーそれはできなかったのか、嫌いだったのか。
邪夢:
どっちもですね。嫌いだったし、できなかった。
ーー部活は何かやっていました?
邪夢:
小学生の頃、ソフトボール部だったんですけど、顧問の先生にわざとだろうっていうぐらい、デッドボールを当てられて。それで怖くなっちゃって、やめました。だから今でもちょっと球技は苦手なんですよ。
ーーえっ!? それはかなり問題なのでは……。
邪夢:
ですよね。でも私、他人に相談することがあんまりできない人だったから。自分で解決して、やめようって決めました。
ーーそれはやめてよかったです。運動自体は好きなんですか?
邪夢:
いや、そうでもなく。運動神経が本当にないんですよね……。バスケのレイアップシュートってあるじゃないですか。シュートするんですけど、ボールが思い切りゴールの縁に当たって、顔面に返ってくるっていう、そのくらい苦手(笑)。
ーーあはは! 漫画に出てくるような失敗ですね(笑)。では、勉強も運動も苦手で、本当に1人で絵を描いていることが好きだったと。
邪夢:
ええ、授業中も描いてました。ノートを取るフリしてずっと絵を描いてましたね。でも、高校に入ってから急に覚醒して、勉強するようになって。通知表は“5”が3個くらいになりました!(ドヤッ)
ーーおおっ! 家は厳しかったんですか?
邪夢:
母が厳しかったんです。それこそアイドルやるとなった時は、めっちゃ止められましたし。それで私、“アイドルやれないなら死ぬ!”と言って、窓から飛び降りようとしたこともありました。
ーー壮絶な……。そこまでアイドルをやりたいと思った理由は何だったのですか?
邪夢:
なんというか、すごく自信があったんですよね、自分がアイドルになることに。その話はマドメドでデビューする時だったんです。私、高校を卒業して美容の専門学校へ行ったんですよ。学校とアイドル活動を両立できると思ってたんですけど、こんなに忙しいとは思ってなくて、結局無理でした。学校自体も自分に合ってないなって思ったし。それでどっちかを選ぶなら絶対アイドルだなって思ったんです。アイドルはずっと自分がやりたいことだったし、“ここで変われるんだ”って、そう自分の中で確信してたから。絶対有名になれる自信もあったし。でも、改めて訊かれると、なんでそこまでやりたかったんだろうな……。自分でも不思議だけど、とにかくめっちゃやりたかったんですよね、アイドルを。
ーー美容の専門学校へ行ったのは、将来的なことを考えてのことだったんですか?
邪夢:
アイドルをやって、メイクとか自分でできたらいいなって。両立する気満々だったので。それにメイクって、どこか絵を描くことと似てるじゃないですか。
ーーそこもアイドルをやることが前提にあったわけですね。ちなみに好きな歌手やアーティストはいたんですか?
邪夢:
中高生ぐらいの時はK-POPアイドルが大好きで、目指してました。オーディション番組とかを観て影響を受けて。特に大好きだったのは、TWICEですね。可愛いアイドルというより、踊りが踊れて、顔も可愛くて、スタイルもよくて、という、女性から憧れられる存在。“可愛い!”って言われるよりも“カッコいい!”って、推される人が好きでしたね。
ーーアイドルというより、アーティスト寄りの存在に憧れていたと。そこから自分が演者側を目指そうと思ったきっかけは何だったんですか?
邪夢:
うーん、やっぱ憧れてたからかな……。普通に韓国のアイドルの方を見ていて、こんなに踊れて、こんなに可愛くて、こんなにスタイルもよくて、という。しかもライブをやってるところも、ものすごく大きいキャパじゃないですか。ドームやアリーナみたいなところでやっている……自分もそうなれたらいいなって。だからきっかけというより、漠然と、ですかね。
ーー明確なきっかけがあったわけではなく、見ているうちに自分も自然とそういう存在になりたい、こういうステージに立ちたいと思うようになった。
邪夢:
はい。大きいステージに立ちたかったんです。K-POPアイドルの人たちって、世界的に有名じゃないですか。だから自分もそうなりたいなって。今もそう思っています。たくさんの人に認められたい、たくさんの人から愛されたい。
自分の好きなことで、人を喜ばせられることが本当に嬉しかった
ーーそれで、実際にオーディションとかは受けたんですか?
邪夢:
受けました。Googleで“K-POP アイドル オーディション”って調べたら、ちょうど出てきたのが、NiziUのオーディションだったんですよ。『Nizi Project』っていうものがまだ発表される前に見つけたんです。それで“何だ、これ?”と思って応募してみました。オーディションなんて応募したこともまったくなかったし、何もわからずに応募して、受けに行ったんですけど、1次審査で落ちました。それが高校1年生の時ですね。
ーーそこで悔しい想いをして、ほかのオーディションを受けたりは?
邪夢:
もう1回応募しましたね。今度はBTSの事務所のオーディション。また落ちました。それで、“自分はそういうアーティストにはなれないんだな……”と思ってた時に友達に声かけてもらって。やってみたのが前のグループです。それが地下アイドルというか、こういう界隈に足を踏み入れた第一歩でした。
ーーそれまでは日本のアイドルにはまったく興味なかった、聴いてこなかったのですか?
邪夢:
そうですね。本当に何も知らないまま入りました。でも小学生の頃、AKB(48)は好きでしたね。カラオケで歌ってましたよ。あっちゃん(前田敦子)が好きでした。ちょうど流行ってた時期だったし、周りのみんなが好きだったからという感じで、めちゃくちゃハマってたわけではないですけど。
ーーでは、何も知らずに地下アイドルの世界へ入って、そこで初めていろんなことを知ったわけですね。
邪夢:
ええ、初めて知りました。でもそこはアイドルというより、“ダンスボーカルグループ”という打ち出し方だったんですよ。だからまだ諦めてなかったんです、K-POPを。“これを踏み台として、経験としてやってみよう”と始めたんです。それで、実際やってみたら楽しかったんですよ!
ーー自分にハマったわけですね。そもそもオーディションを受けた時から、自分に自信はあったんですか?
邪夢:
ステージに立ってる時だけは自分に自信がありました。踊ってる、歌ってる時だけ。YOSAKOIの時にセンター立ってたので、そういう実力面では自分に自信があったんです。普段の生活ではまったく自信はないんですけどね。自分の顔も全然好きじゃないし、性格も好きじゃない。本当に自分に自信がなくて、相手に“こう思われたらどうしよう……”って悪い方に考えて、ウマく喋れなかったりするので。
ーーそれで、ステージに立てば自分は輝けると思ったわけですね。
邪夢:
別の人格になれる感じですね。普段とは違う自分になれる。
ーー初めてステージに立った時はどう思いました?
邪夢:
もう、最高でした。昔から人を喜ばせることが大好きだったんですよ。そういうのがわかりやすいじゃないですか。拍手をしてもらって、“楽しんでます!”みたいなものがわかる。みんながそういう気持ちになってるのを見るのが大好きだから、それをステージの上から見られることがすごく嬉しかったし、楽しかった。自分の好きなことで、人を喜ばせられることが本当に嬉しかったんです。
ーー自分のやりがい、居場所を見つけられたわけですね。そして、そこからMAD MEDiCiNEへ。
邪夢:
前のグループは楽しかったけど、そんなにお客さんがいたわけでもなく、動員がゼロの時もありました……。そうやって活動してる時に、マドメドから声が掛かって。友達が誘ってくれたんです。それで、そこをやめてマドメドへ入りました。
ーーそれまでのダンスボーカルグループとはまったく路線の違うグループですが、戸惑いはありました?
邪夢:
マドメドはもうコンセプト系ですからね。ゴシックでメンヘラ、“ザ・地下アイドル”って感じだから、最初はめっちゃ抵抗があったんですよ。“私にそれができるの? 似合うの?”って。今まで完全に踏み入れてこなかった領域だったから不安で不安で。それまではメンバーカラーも赤じゃなくて、緑とか黄色とか、ちょっと軽めの感じで、黒髪でやってきたし、髪を染めたこともなかった。でも堤さん(マドメドプロデューサー)から“赤色をやってみない?”と言われたんです。そこから曲を初めて聴いた時に、“なんだこの曲はっ! めちゃくちゃいいな!”って、刺さったんです。それでやってみようかなと。そして、“那月邪夢”が誕生しました。
ーーまったく知らなかった世界だった。
邪夢:
ええ。なので、自分がこういう感じになるなんて、想像もしてなかった(笑)。
ーー(憑宮)ルチアさんや(唯一)むにさんは、初めて会った堤さんのことを“全身タトゥーで怖かった”と言ってましたけど(笑)。
邪夢:
アハハハ! 怖かったですよ……。なんか、黒いでっかい外車に乗ってたんですよ。タトゥーだらけの堤さんもそうですけど、もう1人、スタッフの方がいたんですけど、その人も全身黒づくめで、めっちゃ怪しい感じ。“私、このまま連れ去られるんかな……”っていう不安もありましたね。友達がいたからまだよかったんですけど。あの時もし1人だったら、“もう私、終わったな……”って思ってたな(笑)。
【ライブインフォメーション】 <Digital Mini Album「いちばん幸せな死に方。」 東名阪Release Oneman Tour『Merry BAD END』>
日時 : 2024年8月31日(土)OPEN 18:00/START 19:00
会場 : 下北沢シャングリラ
チケット:優先¥5000/一般¥2000/女性¥1000