鉄がつなぐ!?「一市四カ村合併70年」写真で振り返る 釜石市郷土資料館で企画展
有料道路の開通、市民のデモ行進、市場に水揚げされたあふれんばかりのサケ、高炉解体、観光船はまゆりの就航、世界遺産登録のお祝い…。釜石市鈴子町の市郷土資料館の企画展示室に並んでいる写真だ。1市(釜石)4村(甲子、鵜住居、栗橋、唐丹)が合併し、現在の釜石市が形成されて今年で70年。さまざまな歴史が積み重ねられてきた。まちの動きを見せる展示物から「釜石を良くしようとする市民の力」が伝わってくる。
鉄の記念日(12月1日)にちなみ、同館では鉄の週間事業として資料展「写真で見る 一市四カ村合併70年」を開催中。合併後の街並み(空撮)やこの70年間にあった主要な出来事を約60点の写真パネルや、年表などで振り返る。
昭和初期、「釜石町」は製鉄所の事業拡張や水産業の発達から急速に成長。市制施行の機運が高まり、1937(昭和12)年5月5日に「釜石市」となった(当時の人口は約4万人)。4年後の41(同16)年に太平洋戦争が勃発。重要な工業都市だった釜石は45(同20)年、米英連合軍などによる2度の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けた。
戦後、釜石地域は混乱期にあったが、鉄の需要増加による製鉄所の復興などで経済は上向いた。人口も右肩上がりとなり、さまざまな産業が生まれ、建造物も次々に整備され、活気に満ちた。そこに国の施策として市町村の合併が進められたことから、55(同30)年4月1日、1市4村による新・釜石市が形づくられた。“鉄がつなげたまち”の当時の人口は8万1000人余り。盛岡市に次ぐ県内第2の都市に躍り出た。その後の約10年は市制の歴史でも最も人口が多く、まちの勢いが共有された期間とされる。
写真パネルでは、釜石大観音や鉄の歴史館、シープラザ釜石などの建造物が完成したことを祝う催し、日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部のパレード風景、市役所議場前で座り込みをする市職員や働く人々によるデモ活動など、釜石の昔の様子を見ることができる。
55年の合併のために提出した申請書、合併前最後に作られた各市村の要覧、解村や合併を記念した鉄瓶なども関係資料として40点ほど並ぶ。明治から昭和期に名をはせた鳥瞰図(ちょうかんず)作家、吉田初三郎(1884~1955)作の釜石図も掲示。市制施行を記念したもので、精巧な地図とはひと味違った筆使いや彩色に情趣がある。
同館の佐々木寿館長補佐にとって思い出深いのが、70(昭和45)年に市営プールで行われた第25回岩手国体の開会式の写真だ。小学生だった佐々木館長補佐は、開会式ではなかったが、現地で競技を見たことを懐かしむ。
社会人となって印象深い出来事の一つとして挙げたのは、釜石製鉄所の第一高炉が解体される様子を写した一枚。佐々木館長補佐は「すごい音がして倒れた」と、96(平成8)年のその日を思い浮かべた。「いよいよか…」と、当時は複雑な心境になったという。製鉄所の配置転換や合理化により89(平成元)年に高炉は休止されていたが、「動かなくても形がある。やはり製鉄のまちだからね。なくなるのは…」と、言葉に寂しさをにじませた。
「写真を見て当時を思い出してもらい、それをきっかけに周りの方といろんなことを語り合ってもらえたら。若い人たちには『こんなことがあったのか』と地元の歴史を知る機会になればいい。興味を持ったら、独自に調べたりしてほしい」と期待する佐々木館長補佐。かつての活気ある街の風景に触れ、「ポテンシャルのある街、釜石で生きていこう」と思う人が増えることを願う。
資料展は来年1月25日まで。開館時間は午前9時半~午後4時半(最終入館は同4時)。火曜日休館。12月28日~1月4日は年末年始の休館となる。