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「沖縄にプロバスケを」20年前に踏み出した一歩~安永淳一GMに聞くキングスのこれまでとこれから~

OKITIVE

人気、実力ともにB.LEAGUEトップクラスを誇る人気クラブに成長した琉球ゴールデンキングス。チームの立ち上げは今から20年ほど前に遡る。 2006年3月。「沖縄にプロバスケを!」事務局が発足。沖縄県内各地でポスターを配り、署名活動を行った結果、プロバスケチーム誕生を願う1万人以上の署名が集まった。 2006年10月にbjリーグへの新規参入が正式に決定し、「沖縄バスケットボール株式会社」が設立された。

今年「沖縄バスケットボール株式会社」が創立20周年イヤーに突入した。 4度のbjリーグ優勝、そして2022‐23シーズンにはBリーグ初制覇。 いかにしてキングスは日本バスケ界の中心に上り詰めたのか。 NBA・ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)のフロントスタッフとして10年以上アメリカプロスポーツ界の最前線で活躍し、創設時からキングスを支える安永淳一ゼネラルマネージャーに話を聞いた。

「NBAはプロレスだ!」アメリカで受けた衝撃

Q.沖縄バスケットボール株式会社が創立20周年イヤーに突入しました。 安永GMは当時どういう想いを持って沖縄に来られましたか? 「当時アメリカで16年間暮らしていて、そのうちの12年間はNBAのチームでフロントスタッフとして働いていました。そして2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが 目の前で起きたんです。つらい想いや、なんでここにいるんだろうと不安に襲われました。当時家族は地元の京都に居たので日本に帰った方が良いんじゃないかなと思っていた矢先、沖縄に新しいチームができるということを聞きました」 「立ち上げようと活動されていた木村達郎さん(前・社長)はアメリカに居た時からの知り合いで、色々と話を聞いているうちに沖縄ってすごく楽しそうだなと思って。当時感じたのは、沖縄の人たちは沖縄を大切にしようとしているなという所です。高校・大学と勉強していつかは沖縄のために働きたい、恩返ししたいという気持ち、地元に対する想いがすごい強いなと感じたんです。同時にその気持ちは日本人が忘れているところじゃないかなとも思って。日本の中心、東京からは遠いし小さいですけど、狼煙を上げるなら一番遠いところから上げたほうがインパクトがあるのではと思って、彼らの意気込みに賛同して引っ越してきました」

Q.なぜ当時NBAのチームで働こうと思われたのですか? 「僕はもともとプロ野球が大好きでした。そしてスポーツ経営学を勉強したいと思いアメリカに留学しました。当時は大学や専門学校でスポーツ経営学科…などスポーツに関するコースやカリキュラムが日本には無かったので、アメリカで勉強して、英語もできるようになって、日本でプロ野球チームの通訳になれたらなと思って留学したんですよ。その留学先がバスケットボールが盛んなインディアナ州でした。バスケを見れば見るほど日本人に合っているスポーツだなと感じるようになりました。バスケットボールは時間との戦いのほうが楽しくて、点が入ることよりも24秒バイオレーションなど、時計がカチカチしているのが日本人に凄く合っているなと思ったんですよね」 「野球が大好きでアメリカに行ってスポーツ経営学を勉強し始めたんですが、バスケットボールが大好きになってしまい…笑。当時、日本はプロスポーツといえばプロ野球という時代だったのでアメリカから見て日本のバスケットボールはまだまだ伸びしろ、ポテンシャルがあるなと思っていました。アメリカで学ぶことができれば、日本に持ち帰ることもできるだろうし、少しは僕も役に立てるかなという気持ちがあって、バスケットボールをとことん勉強しようと思ったのがキッカケですね」

ネッツ時代の安永GM

Q.NBA時代、日本に戻ったら取り入れてみたいなと感じた部分や感銘を受けた部分はありましたか? 「全ては演出だと思いますね。現場で見ると臨場感がありますし、ショーを見ているような感覚ですよね。宝塚歌劇団の舞台を生で見たら衝撃を受けると思うんです。舞台上は綺麗にレイアウトされていて綺麗な照明が当たって、綺麗にお化粧されて綺麗な衣装を身にまとった人たちが綺麗なプロポーションで踊る。綺麗な声が聞こえてくる。素晴らしいに決まっているんですよ。そういったものをバスケットボールで、プロのレベルでやっているのがNBAだと感じました。レスリングといつも比較するんですが、オリンピックのレスリングと、私が見て育ったアントニオ猪木だ、ジャイアント馬場だというようなプロレスリングとは全く違うもの。でもどちらも感動を与えるしどちらも楽しい。僕はNBAを見た時にこれはプロレスリングと一緒だと思いました。プロの楽しみ方がそこにはあるので。日本に帰ろうと思った時に、日本でプロレスのようなバスケットボールができればなと思いました。

「常に一番前を歩きたい」ファンの熱量が力に

Q.当時沖縄はプロスポーツの土壌がありませんでしたが不安な部分はありましたか? 「不安はもちろんありましたが行きつく先は絶対にNBAだと今も思っていますし、まだまだそこには届いてはいないですがいつかは届くだろうと思いながら、とにかくがむしゃらにやってきました。まずは僕たちが見てもらうレベルにならないといけない、応援して下さる方を増やさなくてはいけないという想いで走ってきました」

Q.どういうアプローチがキングス成長の要因だと振り返られますか? 「僕らは常に一番前を歩きたい。それをずっと20年間やっていたつもりです。 競技力は最初の10年間はもうひとつのリーグが圧倒的に上で、僕らが勝てるレベルではありませんでした。しかし、見て楽しい、感動するというところに関しては僕たちのほうが一つ前を行っているとずっと思っていましたね。bjリーグ1年目は最下位で始まりましたけど、2年目で優勝できて、そこからキングスのファンが沖縄の中でどんどん増え続けてきて、このファンの熱量は日本全国どこに行っても誇れるものだと思いますし、ファンが増えてきたということこそが僕たちが間違っていないと常に自分を信じられる力にもなりました。ファンの人たちをどれだけ驚かせられるかという事を一番に、そして楽しんでやっているつもりです。「キングスってこんなことするんだ」と思ってもらえるようなことを常に仕掛けているのがキングスだと思います。どこまで行っても満足はなくて、常にもっと良くなりたいと望み続けていることがキングスらしさでもありますね」 Q.アリーナの完成もキングスの歴史の上でとても大きなことでしたね 「bjリーグで優勝した時から、木村達郎さん(前・社長)とは、アリーナは欲しいよね、もっと綺麗に、もっとかっこよく、もっと迫力があるものを伝えることができるよねと話していました。ただアリーナが欲しい、だけを言っていても話にならないというのも分かっていたので、とにかくキングスの試合は体育館が小さくて、チケットが買えないんだ、プレミアチケットなんだという流れに持って行こうよと。誰もが大きな箱で、大きなキャパシティで試合をすべき!と思っていただけるところに来れば、もっと良いアリーナで試合をすることができるんじゃないかなというのを夢に描きながら戦ってきました」

Q.アリーナの完成で、沖縄のバスケ人気も次なるステージに進みましたね。 「“沖縄の誇りってなんですか?と県民の方たちに聞いたら言葉を探されると思うんですよね。ハードの面、ソフトの面、コンテンツで沖縄の誇りはあるのか。例えば琉球舞踊や空手など伝統文化には残っていると思うんですが、近代、あるいは戦後に沖縄で圧倒的なコンテンツが生まれているかというと、思うようになっていない気がしています。僕たちは、いつかは”沖縄といえば琉球ゴールデンキングスだよね“と誰もが思うチームになりたいという想いでチームを運営しています。それが”沖縄をもっと元気に“という僕たちのテーマにも繋がっていると思います。今も階段を上がり続けている道半ば、球団ができて20年ですがまだ半分です。この先20年はまだまだ右肩上がりだろうなと。そしてまた、その先のゴールができて、どんどんハードルが上がっていくんだろうなと…笑。それがキングスを見ていて楽しいと思うところだと思います」

Q.20年で印象深い試合などはありますか? 「キングスはいっぱい勝ってきたのでいっぱいありますね。今シーズンでいえばチャンピオンシップセミファイナルの三遠ネオフェニックスのGAME2ですね。 奇跡的に同点に追いついた松脇君のシュート!今までNBAで1042試合、キングスで1070試合ほど、合計2000試合以上試合を見てきているんですがあんな瞬間は初めてでしたね。あとはやはり目標にしてきたものを手に入れたときが一番うれしかったですね。アルバルク東京とのBリーグ開幕戦では、エリート軍団対雑草軍団と呼ばれて、雑草は雑草らしく終わりました。ただその次のシーズンにアルバルク東京のホームで試合をして、僕たちは勝つことができたんです。本当にうれしくて涙が出て。同じように岸本隆一選手も涙していましたね。優勝したときの涙よりも涙の量が多かったかな。それくらい嬉しかったですね」

選手獲得の哲学と自己犠牲の精神

Q.キングスのスタイルといえば一人の選手に頼らないチームバスケだと思います。外国籍選手もいる中で、選手をリクルートするときに意識していることはありますか? 「一番上手な選手を獲ろうと思ったらもちろんNBAにいて、お金を積めば獲れるはずです。ただそこまでお金を積むことは僕たちはまだまだできません。ではスキルの次に何が大切かというとハートになると思うんです。チームプレーに徹してパスを回して、ME!ME!私、私!ではないプレーヤーを探すというのは大前提です」 「その上で沖縄の話をするんです。特にこのリーグは日本人の選手だけではなくて外国籍選手の活躍も欠かせませんから。沖縄はフロリダやハワイのような土地だよという話をすると選手たちもまずそこに耳を傾けてくれます。そこから“沖縄の人たち”という話をします。沖縄の人たちはバスケットボールが実は好きなんだよ。好きだけど好きを表現する場所がこれまでなかなか無かっただけで、それをキングスが表現することができればみんなのプライドになれる。地元の誇りになりたいという気持ちで僕たちは戦っているから、誇りになることに協力してくれないかと言うと、そういうことに正義、粋に感じてくれる選手は間違いなく契約できます。 また、そういった選手は活躍してくれています。これが僕たちの強さかなと。そういった外国籍選手と日本人選手、沖縄出身の選手がうまく力を合わせながら戦えるのがキングスの強さです。リクルートのところでは、沖縄の良さと私が思う沖縄の価値を伝えることで、それに対してどう反応するかでフィルターをかけていますね」

Q.ジャック・クーリー選手はキングス加入前までは毎シーズンチームを変えていましたが、来シーズンが所属7季目になりますね 「クーリー選手は常に良くなりたいという気持ちが強い選手です。その表れで今年はここでやったけど来年はもっと良いところでやりたいという気持ちが強いから毎年チームが変わっていたと思うんです。沖縄に来る前、彼は地中海の真ん中に浮かぶ島でプレーしていました。とても美しくて、絵葉書のようなところで暮らしていたはずです。でも沖縄の人の温かさ、優しさ、想いが彼の心をくすぐって、自分は沖縄が大好きだ、沖縄に戻りたい、沖縄でプレーしたいと毎年契約してくれています。沖縄に対する大きな愛が彼にはあるので。沖縄の良いところをコートの内外、色々なところで話してくれていて、それを聞いた選手が沖縄に来たいと言ってくれてということもあるので、良いサイクル・相乗効果を生んでいると思いますね」

Q.桶谷HCにチーム力について問うと「自己犠牲」という言葉をよく使われます。自己犠牲から生まれる強さも大きいですか。 「自己犠牲という言葉はキングスが大切にしている言葉です。選手にとっては難しいと思うんです。エースの選手に自己犠牲を意識してくれと言ったらできるんです。エースなので存在が証明されているからです。ただこれからが伸び盛りでチャンスがあれば少しでもアピールしなきゃというハングリーな選手たちも沢山いるわけですよね。その選手たちに自己犠牲を頑張って伝えるというのはなかなか大変なことだと思います。その中でも桶谷HCの温厚で落ち着いていて、選手の話をしっかり聞くヘッドコーチとしてのスタイルが自己犠牲を浸透させていると思いますね。最初に会った18年前と比べて桶谷HC自身も進化していると思います」

カルチャーがあるからカルチャーを築ける

Q.自己犠牲の精神がカルチャーとして根付いているんですね 「カルチャーという点では、カルチャーを作りたいというよりも沖縄のカルチャーを僕らが表現したいと思っています。沖縄の方たちはご先祖様を大切に思われていて、いわゆる先輩・先人を大切にするという考え方が浸透しています。その考え方がキングスにも表れていると思います。これまでキングスを築いてきた人がいるからこそ今のキングスがあるということを選手たちは考えてくれていると思います。」 「実は選手のロッカールームには、例えば4番の選手だったら、#4・ヴィック・ローと書いてあるんですけど、その下に過去4番をつけていた選手の名前も入っているんですよ。あなただけじゃない。今まで4番をつけていた人はこれだけいるんだよと。 だからこそ永久欠番というのも僕たちは大切にしています。コーチもそうです。桶谷HCの前にも藤田さん、佐々さんにもコーチをやってもらっていますし沖縄の宝・伊佐勉さんもそうです。その上で誰がやってもこけていないんですよ。18シーズン毎年プレーオフに出られるチームは世界中探しても無いんじゃないかなと思います。もちろん記録のためにやっているわけではないですが、カルチャーがあるおかげでどんな形でやっても、誰がやっても、しっかり結果が出せる。再現性のあるチームを築けているんです。それ自体がカルチャーの上にできたカルチャーかなと思います」 Q.各地域で新アリーナができて他のクラブも発展していく中で今後どうキングスを成長させていきたいですか。 「産業的な見方をすると、沖縄といえばキングスだよね、那覇空港に行ってもどこにいっても、沖縄観光に来たらキングスのTシャツを着ているような世界観を作らないといけないと思っています。そのためには競技力が大切で、一過性ではない、一選手に頼りきった勝利ではなくてチームで勝つ事ですよね。チームで勝つ事すなわち自己犠牲。僕たちは資本で戦うのではなくて、カルチャーを大切に戦うチームなんだと。その気持ちを忘れずにこれからも戦っていきたいです」

インタビュー・執筆:植草凜(沖縄テレビアナウンサー)

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