【藤野知明監督「どうすればよかったか?」】 パーソナルな映像の積み重ねが、普遍的な問題提起に
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は静岡市葵区の静岡シネ・ギャラリーで上映中の藤野知明監督のドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」を題材に。
藤野監督の姉は1958年生まれ。医学の世界で生きてきた父母の影響を受けて、自身も医学部に入るが、1983年に意味不明なことを叫び出す。統合失調症が疑われるも、両親は彼女を1度だけ精神科に連れて行っただけで「問題がない、と説明を受けた」の一点張り。家から外に出さずに養育を続ける。
藤野監督は最初の発作から18年後の2001年から家族の撮影を始める。姉を世間から隔絶する両親への疑念、あるいは反発を胸に。姉がせきを切ったようにしゃべり出し、予測不能な動きを繰り返す場面や、監督が姉の病状を改善するために第三者、医療機関の支援を提案する場面には痛々しさが満ちる。
約四半世紀にわたる家族の映像記録だ。父母をはじめあらゆる人が老いていく。時間の流れの残酷さを感じさせる膨大な素材を101分に編集するのはさぞや大変な作業だっただろう。
「家族」という最小単位の社会で発生するあつれき、すれ違い、衝突をカメラを使って内部から取り出している。情報統制された独裁国家の路上からの報告に似た構図とも感じるが、「どうすればよかったか?」には「告発」のニュアンスはない。
おそらく撮影を開始した2000年代初頭には、監督の胸にそうしたわだかまりがあっただろう。姉が医療にアクセスすることを妨げた両親に対する「復讐」のような感情がちらちらと見え隠れする。
だが、終盤の父親へのインタビューを見ると、問いかけの中に自問自答や相手を諭すような言葉がある。老いた人への配慮もあるだろうし、家族を取り巻く環境の変化もあるだろう。
最も大きいのは、監督自身の「家族」というユニットについての考え方の変化ではないか。母の妹はインタビューで「『この子を隠すことがこの子にとって良いこと』と親が判断したなら、他人は口を出せない」との内容で、母を擁護する。父は「ママは(自分の子どもが)分裂症と言われることを嫌っていた」と証言する。
時間は取り戻せない。監督はパンフレットで「我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例」と言い切る。監督は最後に父に問いかける。「どうすれば良かったと、今思います?」。百人百様の答えがあるだろう。
極めてパーソナルな映像の積み重ねが、普遍的な問題提起につながっている。おとそ気分で見るには重すぎるテーマかもしれない。だが、映画としての力を確かに感じられる秀作であることは間違いない。
(は)
<DATA>※県内の上映館。1月1日時点
静岡シネ・ギャラリー(静岡市葵区、1月16日まで)
シネマイーラ(浜松市中央区、1月24日~1月30日)