ついにお披露目!里帰りした東急初代5000系「青ガエル」が往年の姿に復原!美しい姿を一足早くチェック
text & photo:鉄道ホビダス編集部
取材日:’25.9.27 場所:総合車両製作所 横浜事業所
取材協力:総合車両製作所
1954年に登場し、以降東急電鉄を代表する名車の一つになった初代5000系。緑色のボディーカラーと特徴的な丸みを帯びた外観から、「青ガエル」と呼ばれレイル・ファンのみならず、沿線の人々にも長らく愛された車両でした。
そんな初代5000系のデハ5015が、製造された東急車輛製造をルーツに持つ総合車両製作所(J-TREC)横浜事業所にて復原保存されることとなり、さらに日本機械学会による機械遺産の認定も受けました。今回その復原された姿のお披露目が報道関係者に向けて行われました。
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■円弧状の車体で車体の軽量化を実現した初代5000系
日本の敗戦により、活躍の道が閉ざされてしまった日本の航空機産業の技術者たちの中には、鉄道産業の道へと進んだ者も少なくありませんでした。こうした背景から、航空機で培われた軽量化技術が鉄道にも応用されていきました。そして誕生したのがこの東急初代5000系でした。総合車両製作所の前身である東急車輛製造で製作され、従来の鉄道車両は直線的な車体が常識でしたが、航空機の軽量設計を反映し、円弧状の車体を採用。さらに構体に軽量化のための穴が開けたことや、台車の軽量化などを行ったことにより、電動車が従来車両と比較して約10トンもの軽量化に成功した画期的な車両でした。こうした車体軽量化の思想は以降も受け継がれていくことになり、現在ではより軽量なステンレス車体の電車が日本中を席巻するまでになりました。
■各地へ渡った東急初代5000系
東急初代5000系は1954年に登場し、東急線内では1986年まで活躍を続けました。また、長野電鉄や松本電鉄をはじめとした地方私鉄へも数多く譲渡され、こちらでも長年活躍し、地方私鉄の近代化にも貢献しました。
最も遅くまで活躍したのは熊本電鉄に譲渡された5000形で、両運転台化により妻面にも運転台があるのが特徴的でした。こちらは2016年2月に営業運転を終えましたが、現在も動体で保存されている貴重な車両として注目されています。
■里帰り、そして復原へ
今回里帰りした初代5000系は25年間東急線内で活躍し、その後長野電鉄に譲渡されます。こちらでも17年間運行され、引退後は個人に引き取られたことにより解体を免れ、ここでも25年間大切に維持・保管がなされました。そしてこの車両が、生誕の地であるこの総合車両製作所へ66年ぶりに里帰りを果たしました。
搬入自体は2022年5月に行われ、まず外観の上の復原から進めていくことになりました。復原は東急末期時代の姿にすることに決定しましたが、長野電鉄に譲渡される際に様々な箇所が改造されており、特に長野電鉄では連結をして運用をする関係からジャンパー栓納めがボディーに増設されたほか、雪国を走るためタイホンカバーも設置、さらにこれに伴い前面下部のテールライトは撤去されているなど、前面周りだけでもかなり大きな違いがありました。
さらに当時の図面はほぼ残っていなかったため、テールライトのケースは板金によって曲げて製作し、正確な位置に穴を開けて取り付けられています。またタイホンカバーがあった箇所の穴埋めなどもなされ、限りなく東急末期時代の前面に近い表情が蘇ることとなりました。もちろんそれだけではなく、外板の腐食箇所の補修や錆止め塗装、再塗装などでボディー自体も艶やかな美しい状態にお色直しされました。
また今回の機械遺産への認定を前に、総合車両製作所が定める「J-TREC産業遺産」の指定も受けており、これは終戦直後の物資も貧しい時代に先人たちの手によって誕生した画期的な車両ということで、当時のチャレンジングな精神を現役社員に繋いでいきたいとの思いもあるとのことでした。
今後は室内の整備のほか、シールドビーム化されている前照灯もガラス部分の調達が難しいとのことでしたが、白熱灯の状態に戻す準備も進行中とのことでした。また、敷地内の展示場所も、現在周辺環境整備の上検討をしているようです。
現状一般公開などは難しいようですが、現在の軽量車体のルーツともなる名車がこうして安住の地を得られたのは喜ばしいことでしょう。また内装や外観も含めて、さらに往時の姿に近い復原がなされるということで、今後にも期待したいところです。