杏里サウンドの立役者!バンドマスター・小倉泰治が感じてきた杏里の魅力とは?〈後編〉
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杏里の作品でサウンド面を担ってきたプロデューサー・小倉泰治
1978年に「オリビアを聴きながら」でデビューした杏里。1983年に発売されたシングル「CAT'S EYE」が初の首位を獲得し、同年に発売されたアルバム『Timely‼』も大ヒットに。ちなみにこの『Timely‼』は近年のシティポップ・ブームで海外のリスナーからも広く支持され、Spotifyでは実に2億回以上再生されているヒットアルバムだ。
1987年に発売されたアルバム『SUMMER FAREWELLS』からセルフプロデュースを開始。その第2弾アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』(1988年)より、作詞:吉元由美、作曲:杏里、編曲:小倉泰治の3人で作品を手がけるようになる。そんな杏里の多くの作品でサウンド面を担ってきたのが、キーボーディスト、音楽プロデューサーである小倉泰治だ。
7月2日に杏里のベストアルバム『ANRI the BEST blue』、7月16日にスタジオライブアルバム『FUNTIME』Vinyl Edition が発売されるタイミングで開催されるコンサートツアー『ANRI LIVE 2025 TIMELY‼』。現在もコンサートのバンドマスターとして活躍している小倉さんに、これまでに関わってきた杏里の作品についてお話を聞かせていただいた。今回はその後編である。
LAの一流ミュージシャンが参加した「BOOGIE WOOGIE MAINLAND」
ーー セルフプロデュース第2弾アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』(1988年)ですが、ここから、作詞:吉元由美、作曲:ANRI、編曲:小倉泰治という確固たるメンバーでの作品作りが始まりますね。
小倉泰治(以下:小倉):LAでアルバムを制作するので、全曲のアレンジとサウンドプロデュースをお任せしたいと言われたときはとても嬉しかったです。最初から僕の中ではLAとか夏のイメージが定着していて、それを具体的に音にするのはわりと楽な作業でした。
ーー『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』はLAの一流ミュージシャンが参加されていますが、ヘッドアレンジで制作されたのでしょうか。
小倉:曲にもよりますが、杏里は当時からPCを使ってデモテープを作っていたので、具体的にこうしたいという明確な意図がありました。その上で、かなり意見交換をして制作をしたので、ある意味共同作業のように作り上げていった感じです。
ーー『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』は大ヒットアルバムになり、特に「SUMMER CANDLES」は代表曲となりました。
小倉:やはりめちゃくちゃ嬉しいですね。「SUMMER CANDLES」は最後にできた曲だったんですが、アルバムはコンサートを想定して制作しているので “メインになるバラードが欲しいね” という話から完成した曲でした。レコーディング中は1曲仕上がると、みんなで部屋に集まってプレイバックして “いいね!” って言い合って盛り上がりました(笑)。そこには、これは間違いなくいい作品ができるという確信があって、そういうテンションがないとヒットというのは生み出せないのかもしれません。
オーストラリアでレコーディングをした「MIND CRUISIN'」
ーー『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』のあと、レコード大賞のアルバム大賞を受賞した『CIRCUIT of RAINBOW』(1989年)、『MIND CRUISIN'』(1990年)、『NEUTRAL』(1991年)と売上を伸ばしていったわけですが、今振り返ってみて、メガヒット時代の作品に関してどう思われますか。
小倉:『MIND CRUISIN'』はオーストラリアでレコーディングしました。環境を変えてレコーディングすることに関しては杏里とレコード会社(フォーライフ・レコード)で決めていたと思うのですが、僕としては毎回新しい経験で、気候や雰囲気から刺激をもらって、いい環境でサウンド作りが出来たと思っています。『NEUTRAL』に関しては制作時に湾岸戦争があって、アメリカに行けなくなってしまったので、だったらLAからミュージシャンに来てもらおうと、日本でレコーディングをしたアルバムになりました。
―ー 1992年のアルバム『MOANA LANI』はハワイをコンセプトにした杏里さんらしいアルバムですね。個人的にも「GIRLS IN SUMMER」が好きな曲です。
小倉:このアルバムはLAからバンドを2チーム呼んで制作したんです。レコーディングはハワイで、半分ずつ違うバンドで制作するという、今では考えられないような贅沢なレコーディングでした。
ーー 1993年のアルバム『1/2&1/2』は1位を獲得するヒットになりましたが、小倉さん自身がお気に入りのアルバムなんですよね?杏里さんの代表曲「ドルフィン・リング」も収録されていますし。
小倉:なんというか、自分の中できめ細かい部分まで自分の思いを込めたアルバムなので、この『1/2&1/2』はかなり気に入っています。
ーー 1994年には『16th Summer Breeze』、1995年には『OPUS 21』という2枚のベストアルバムもヒットを記録しました。小倉さんのリアレンジ曲が多く収録された作品になりましたが、リアレンジというのは難しかったりするんでしょうか。
小倉:他の方がアレンジした曲をリアレンジするときは “やっちゃえ!” みたいな感覚になるんですが(笑)、自分でアレンジした曲をもう一度アレンジするときは、別人格になるようです。一度入り込んでしまうと面白くなってくるので、悩むというよりは遊び心の方が勝ってしまいますね。
―ー 1998年のアルバム『MOONLIT SUMMER TALES』に収録されたシングル「夏の月」はUSENでも上位にランクされるスマッシュヒットになり、これも代表曲の1曲になりました。
小倉:あの曲は僕もとても新鮮でしたね。それまでにない感じだったのですが、彼女の
どんな所にこんな引き出しがあったんだろうという驚きもありました。日本人の作る上質なポップスという印象があって、和のエッセンスを入れつつも、意図的にわかりやすくアレンジした1曲です。
全曲スタジオで一発録りで作った「FUNTIME」
―ー 2000年代に突入し、フォーライフからレコード会社を移籍したあとは、杏里さんとの関わり方も変わってきたと思いますが、昨今のシティポップ・ブームで杏里さん作品が再評価されるようになりました。そのようなシーンを小倉さん的にはどのように感じていますか。
小倉:いやーびっくりですよ。めちゃくちゃ良かったと思います。杏里自身、ヒットから離れている時も地道に頑張ってきて、やはりそういう活動の結果が再評価に繋がっているということは強く感じます。角松くんがアレンジした楽曲がブレイクのきっかけだと思いますが、それきっかけで僕が関わった曲も聴いてもらえているので、何よりの喜びです。
ーー そんな中、7月2日にはベストアルバム『ANRI the BEST blue』も発売になりますね。「Surf Break Highway」「Love Song が聞こえる」「千年の恋」といった、ファンに人気の小倉さんアレンジ曲も収録されています。7月16日には、スタジオライブアルバム『FUNTIME』(2017年)がアナログ盤で発売されますね(7月23日にはカセットテープでも発売される)。
小倉:アナログ盤になるのはびっくりですけど、やはり嬉しいですね。ビルボードライブ・ツアーのメンバー “#bestbuddies” と、全曲スタジオで一発録りで作ったアルバムです。ツアーの最終日が終わって、数日後にメンバー全員でスタジオに入って、ライブの高揚感がそのまま収録されているアルバムです。それがアナログ盤でリリースされるのはとても嬉しいです。
“MAKING GOOD THINGS BETTER” は杏里のイメージそのもの
ーー 7月5日から『ANRI LIVE 2025 TIMELY‼』が各地で始まりますが、チケットがSOLD OUTの会場もありますね。
小倉:タイトル通り『TIMELY‼』ツアーですからアルバムの曲も多くセットリストに入っています。これまでライブ用に施したアレンジも、オリジナルに近い形に戻した曲もあるので、あの頃の雰囲気を楽しんでいただける内容になっているはずです。ぜひ楽しみにしていてください。
ーー 最後に小倉さんから見た杏里さんの魅力を教えていただけますか。
小倉:「オリビアを聴きながら」の歌詞の中に “MAKING GOOD THINGS BETTER” というフレーズがありますが、このフレーズは、僕が感じる杏里のイメージそのものです。彼女と一緒にいると自分も周りもどんどん良くなっていく、そんなパワーを彼女から強く感じています。彼女の根底に常にポジティブな思いがあるから、素晴らしい活動ができるのでしょうね。
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