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やなせたかし、上京の裏にあった「女を追いかけて行くのか?」という批判の声 ※あんぱん

草の実堂

画像 : 新橋の闇市(昭和21年2月)public domain

『月刊高知』編集部でともに働くうちに惹かれ合い、恋人同士となったやなせたかし氏と小松暢さん。

バラ色の日々が続くと思いきや、暢さんは代議士の秘書にスカウトされ、さっさと上京してしまいました。

暢さんを追いかけて、すぐにも上京したいやなせ氏でしたが、東京で漫画家としてやっていく自信がなく、なかなか踏ん切りがつきません。

そんなやなせ氏の背中を押したのは、意外にも昭和21年12月に起きた南海地震でした。

この災害をきっかけに、やなせ氏は自分の生きるべき道を確信したのです。

南海地震がもたらした転機とは、どのようなものだったのでしょうか。

代議士にスカウトされ、上京した暢さん

画像 : 戦後の食料難で農場と化した議事堂前広場(昭和21年6月)public domain

ドラマでは描かれませんでしたが、史実では、昭和21年7月末、東京に出張した編集部の面々は、高知選出の国会議員や作家へのインタビュー、そして東京の盛り場のルポなど、精力的に取材をこなしていました。

やなせ氏は、吉田茂首相の側近で大物政治家の林譲治氏へのインタビューに同行。
写真代わりの似顔絵を担当し、この記事は『月刊高知』の特集「われらが代議士を訪う」のトップを飾っています。

取材旅行がきっかけになったのか、その後、暢さんは国会議員の秘書としてスカウトされ、やなせ氏に「先に行って待ってるわ」の一言をのこして上京してしまいました。

ちなみに、高知新聞社発行の『やなせたかし はじまりの物語』によると、この議員は社会党の衆議院議員、佐竹晴記氏だそうです。

画像 : 佐竹晴記 public domain

ジャーナリスト不適格と悟った南海地震

東京で漫画家として勝負してみたいという気持ちがふくらむ一方で、20代の半分を軍隊で過ごしてしまったやなせ氏は、「はたして自分の実力が通用するのか」という不安を抱えていました。

東京にいる暢さんのもとに、すぐにでも駆けつけたいと思いつつ、なかなか決心がつきません。

そんなやなせ氏の背中を押したのは、昭和21年12月21日早朝に発生した「南海地震」でした。

画像 : 南海地震(徳島県牟岐町における被害)wiki c 徳島地方気象台

紀伊半島沖を震源とするこの巨大地震は、マグニチュード8.0。

沿岸には4~6mの津波が押し寄せ、高知県の死者・行方不明者は679人、全壊・流出家屋は約5000戸にのぼる甚大な被害をもたらしました。

やなせ氏は大きな揺れに一瞬目を覚ましたが、戦地で大砲と行動をともにしていた彼にとって、地震はさほど驚くに値しなかったようです。

「ぼくは野戦重砲兵だったから、ドカン! ドカン! は日常茶飯事。…(略)…多少地面が揺れ動いてもなんともないんですね。またウトウトと眠りました。

しかし家人はすべて家から飛び出し、畑の中でふるえています。「タカシさん、ふとんを投げてちょうだい。寒い」なんて叫んでいるのです。

ぼくはふとんを窓から外へぽんぽんほうり投げておいて、また部屋へ戻って朝までぐっすり眠りました。」

やなせたかし著『人生なんて夢だけど』より

この頃、やなせ氏は少年時代を過ごした柳瀬医院で、育ての親である伯母さんと暮らしていました。

寒さと地震の恐怖に震えている伯母さんに、ずいぶん薄情な気もしますが、よほど眠かったのでしょうか。

そういえば軍隊時代にも、昇進試験の前夜に不寝番にもかかわらず居眠りをしてしまい、士官へのチャンスを逃したことがありました。

とにかく歴史に残るような大地震のなか、やなせ氏はぐっすりと眠っていたのです。

しかし起床後、家の中の様子を目の当たりにして地震の大きさに気付きます。

すべての窓ガラスが割れ、ものというものが床の上に散乱し、重いタンスまでもが倒れていたのです。

幸い伯母さんにケガはなく、建物自体にも問題がないことを確かめたやなせ氏は、急ぎ新聞社へ向かいました。

交通手段はすべて止まっており歩きはじめたところ、崩れた家や火事、ビルの崩落、地面の亀裂などが次から次に目に飛び込んできます。

「この惨状を早く記事にしなければ」と、はやる気持ちを抑えながら歩き続けましたが、新聞社にたどり着いたのは、すでに第一報が出た後でした。

社員全員がとっくに出社し、各地に飛んだ記者は、すでに何本もの被害状況を送ってきています。

地震による惨状は、すでにあますところなく報道されていたのです。

だれもがバタバタとめまぐるしく動きまわり、怒声が飛び交うまるで戦場のような社内で、やなせ氏はのんきに寝ていた自分を心の底から恥じていました。

そして、自分はジャーナリストには不適格だと悟り、漫画家への転身を決意したのでした。

「女を追いかけて行くのか」非難の声が上がったやなせ氏の上京

画像 : 新橋の闇市(昭和21年2月)public domain

ジャーナリストには向いていないと悟ったやなせ氏は、上京を決意します。

ひとり残していく伯母さんのことが頭をよぎりましたが、多少の財産と土地が残っていたので、生活には困らないようでした。

昭和22年6月、意を決し辞表を提出したやなせ氏でしたが、「わずか1年で会社を腰かけにして退社とはけしからん」と上層部から非難の声があがってしまいます。

さらに社内には、「女を追いかけて行くらしい」といった噂まで流れていました。

会社に骨をうずめるのが当たり前の時代に、わずか1年で退社。
しかも、まさに恋人の待つ東京へと向かおうとしているのですから、社内の人間が言うことはもっともで、返す言葉もありません。

しかし、やなせ氏がピンチのときには、不思議と必ず誰かが助けてくれるのです。

このときも高知新聞社の編集委員であり、『月刊高知』の発行責任者だった中島及(なかじま きゅう)氏が、

「やなせ君は志を抱いて上京しようとしている。この際、我が社としては快く送り出してやろう。彼は将来必ず社のために役立つ人になる」

と言って、かばってくれたのでした。

重鎮・中島氏の鶴の一声で円満退社となったやなせ氏は、その後も高知新聞社と友好的な関係をもち続け、四コマ漫画の連載や「黒潮漫画大賞」の審査委員長をつとめました。

「高知新聞に恩義がある」と常に語っていた彼は、アンパンマンのヒット以降もエッセイの連載を続け、最後は病床で口述筆記までしています。

命の火が消えるまで、やなせ氏と高知新聞社との縁は途切れることなく続き、彼は真に役立つ人物となったのでした。

参考文献
高知新聞社『やなせたかし はじまりの物語:最愛の妻 暢さんとの歩み』
やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館
梯久美子『やなせたかしの生涯』文芸春秋
文 / 草の実堂編集部

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