アンジェリーナから45年!佐野元春はいつだって音楽シーンの第一線を走り続けている
2025年は佐野元春デビュー45周年
佐野元春がシングル「アンジェリーナ」でデビューしたのは1980年3月のことだから、2025年は彼にとって45周年になる。やはり、これだけ長く第一線を走り続けることができているというのは、日本の音楽シーンにとっても貴重なことだ。
彼がデビューした1980年は、日本のミュージックシーンにとっても大きな転換期だった。1960年代にカレッジフォークやグループサウンズとしてスタートした日本のロック&フォークのムーブメントは、1970年代に入ってそれまでの日本の音楽界にはなかった新しい潮流(ニューミュージック)となっていく。はじめは必ずしも大きくはなかったその流れが大きく成熟したのが1980年だった。
オフコース「さよなら」、山下達郎「RIDE ON TIME」、YMO「ライディーン」など、1970年代にデビューして独自の音楽性を打ち出していたが必ずしも時代に受け入れられていなかったアーティストが次々とヒット曲を出していった。ちなみに1981年にも大滝詠一『A LONG VACATION』、矢野顕子「春咲小紅」、そしてアルフィーの変名グループBE∀T BOYSの「スターズ☆オン23(ショック!! TAKURO 23)」が話題になるなど、それまで地道に活動を続けてきたアーティストのブレイクは続いた。
1980年は、1970年代を支えてきたアーティストたちが開花した年であると同時に、シャネルズ(現:ラッツ&スター)、HOUND DOG、ルースターズ、子供ばんど、山下久美子、ジューシィ・フルーツ、EPO、葛城ユキなど、次の時代を担うアーティストたちが次々とシーンに名乗り出た年でもあった。アイドルシーンでも松田聖子をはじめとする “黄金の80年組” が登場している。
デビュー曲「アンジェリーナ」で感じるロックスピリットの深い部分
佐野元春もこうした1980年の新人群のひとりとして登場してきた。新しく登場してくる日本のロックアーティストの多くが、最新の欧米ロックシーンを下敷きにしているようにみえたが、佐野元春のデビュー曲「アンジェリーナ」やファーストアルバム『BACK TO THE STREET』を聴くと、彼がロックのスピリットをもう少し深いところで捉えようとしているのではないかと感じた。
初期の佐野元春の曲からは、ブルース・スプリングスティーンやエリオット・マーフィー、トム・ペティなどにも通じる、シャープなビートと繊細な詩を融合させた音楽を作ろうとする意思が感じられた。しかしそれは、単に彼らの表現スタイルを表面的に踏襲しようとしているのではなかった。スプリングスティーンたちがボブ・ディランから受けたインスパイアを、さらにコンテンポラリーなロック表現へと発展させようとしていた姿勢を、佐野元春も持っていた。
そう、ジャズ、フォーク、そしてロックンロールなどのルーツミュージック、さらにはディランにも影響を与えたジャック・ケルアックなどの現代詩人が1950~1960年代のアメリカン・カルチャーに果たした業績を踏まえたうえで、都市の “影” に生きる人々への眼差しを軸とした日本のコンテンポラリーなロックをクリエイトしていこうとする精神を佐野元春は持っていたということだ。
1983年にニューヨークに渡り制作された「VISITORS」
佐野元春にとって、アルバム『SOMEDAY』(1982年)は初のヒットアルバムとなり、彼がトップアーティストとして認知された重要な作品だ。
しかし、彼はアルバムのヒットに固執してポップ路線に走るのではなく、一度自分のキャリアを断ち切って、単身ニューヨークに移り住む、という選択を行う。
ひとつの普及性をもった表現スタイルという武器を獲得したことで、それを自分のカラーとして固定してしまうのではなく、自分のアーティストとしての原点と可能性を洗い直すという作業は、彼のアーティストとしてのスケールと可能性をさらに大きなものにする意味はあったが、同時にそれまで獲得した評価を一気に失うというリスクもあった。それでも彼は1983年5月にニューヨークに渡り、直接アメリカのストリートや街のミュージックシーン、そしてカルチャーに触れ自分の音楽性へと落とし込んでいく作業を行っていった。
その成果がニューヨークで制作されたアルバム『VISITORS』(1984年)だ。このアルバムでは、日本のアーティストがまだほとんど目をつけていなかったラップやヒップホップなどのストリートミュージックを取り入れるなど、極めて先進性の高い作品だったがビッグヒットとなり、佐野元春はクリエイティブ感度の高いアーティストとして認知され、音楽表現だけにとどまらず、ポエトリー・リーディングやアートとのコラボレーションなど、クロスメディアによる表現を追求する個性的なアーティストとしてキャリアを重ねていくことになる。
ビートカルチャーをいかに現代の日本で継承していくか
しかし、佐野元春は常に最新の時代の感覚を捉えていくアーティストであると同時に、極めてルーツを大切にするアーティストでもある。彼の原点にあるのは1950年代アメリカの “ビート” カルチャーだ。先にも触れたジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどの前衛詩人、ウイリアム・バロウズなどの作家たちが中心となった ビートカルチャーはジャズやシュールレアリズムなどの前衛アートの影響を受けて、社会の価値観を見直す思考を提唱していった。そしてこのビートカルチャーは、ボブ・ディランやドアーズなどの1960年代のロックやヒッピーカルチャーにも強い影響を与えていった。
ビートカルチャーのスピリットを現代の日本でどのように継承していけば、時代のリアルを伝えていけるのか。それがアーティストとしての佐野元春の大きなテーマなのだと思う。『VISITORS』以降の作品群や自主レーベルDaisy Musicの設立(2004年)、季刊誌『THIS』や1986年から発行されている会報誌『Café Bohemia』をはじめとする出版活動など、自らが責任を取っていっているその足跡も、彼ならではのポリシーに基づく表現として残されてきたものだ。
佐野元春45周年の軌跡を振り返ってみると、一番の功績は、ロックが持つ本来の精神性を21世紀の現代にも通じる “表現” として第一線で実践し続けている姿勢ではないだろうか。アーティストとして、自身のの原点にあるものをどのように継承していけば、時代のリアルを伝えていけるのか。そんな大きなテーマと常に向き合っている。