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「30歳で逮捕され、88歳で無罪確定」人生を奪われた元死刑囚と家族の長い戦いを追う『拳と祈り —袴田巖の生涯—』

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「30歳で逮捕され、88歳で無罪確定」人生を奪われた元死刑囚と家族の長い戦いを追う『拳と祈り —袴田巖の生涯—』

死刑囚として47年間の獄中生活を送った袴田巖(はかまた いわお)さん。そのあまりにも長い闘いの軌跡を追ったドキュメンタリー『拳と祈り —袴田巖の生涯—』が2024年10月19日(土)より劇場公開中だ。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

元死刑囚・袴田巖さんの闘いの軌跡

1966年6月に静岡県で発生した一家4人刺殺事件、のちに「袴田事件」と呼ばれることになる同事件の容疑者として、当時プロボクサーだった袴田巖さんは逮捕された。苛烈な取り調べの果てに自白を強要され、1980年に死刑が確定。唯一の物的証拠とされた血染めの衣類に、巖さんと同じB型の血液が付着していた……という警察側のシナリオは、後に覆されることとなる。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

獄中生活から47年が経った2014年、証拠とされた血液とDNA型が不一致とされ、釈放。同年の再審開始から無罪判決まで、さらに10年を要することになる。「明日、刑が執行されるかもしれない」という恐怖と数十年も対峙してきた巖さんは、心に深い傷を負った。長年にわたり巖さんを支え続けた姉の秀子さんは今年、91歳を迎えた。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

本作は、死刑囚のまま生きることを強いられた袴田巖さんの闘いの軌跡である。笠井千晶監督は22年間にわたって巖さんを追い続け、そして世界が再審判決を見届けた2024年、ついに劇場公開された。

生き抜く支えとなったのは、拳ひとつで闘った記憶

プロボクサーとして青春を駆け抜けた袴田さんは30歳で突然、逮捕された。無実の訴えは裁判所、そして世間からも黙殺された。そんな過酷な状況下でも、リングに上がり拳ひとつで闘った遠い記憶は、生き抜くための支えとなっていた。やがて袴田さんは獄中で、自らを「神」と名乗り始める。一方で、釈放され故郷・浜松に戻ってからもボクサーとしての記憶が袴田さんの足を思い出の地へと向かわせる。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

弟の無罪を信じて闘ってきた秀子さんは、そんな巖さんを明るく見守り、「この映画は、笑ってるとこでも泣いてるとこでも、私は真実のものを伝えてくれればいいと思ってます」と語る。生きて歩く死刑囚――。その存在は、権力によって覆い隠されてきた「死刑」という刑罰の残酷さを、白日のもとに晒す。そして、時に人の理解を超えた袴田さんの言動が意味するものとは何なのか。映画は、やがて一つの答えにたどり着く。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

「人質司法」この国が抱える人権問題

1966年の逮捕から、1980年の死刑確定、90~00年代には関連書籍の出版や十数年ぶりとなる弁護団との面会、そして47年ぶりの釈放と、我々が巌さんの名を目にする機会は少なくなかったはずだ。しかしここまでの注目を集めたのは、2023年の再審開始決定~今年9月の無罪判決(35年ぶり、戦後5例目)の報道というのが正直なところだろう。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

過去には冤罪を訴えながら死刑が執行されてしまった例もあるが、巌さんの無罪はこの国の司法制度にとって大きな教訓となった(と思いたい)。証拠の捏造、人質司法の被害者をなくし、決して謝罪しない警察・検察の姿勢を改めていくこと。明日にも我が身に降りかかるかもしれない冤罪の恐ろしさ、その問題の根本を、本作を通して改めて考える必要がある。

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』©Rain field Production

再審無罪となった「死刑冤罪4大事件」

日本の司法の歴史上、過去に確定死刑囚が再審で無罪となったのは4件のみ。いずれも1980年代のことである。

<免田事件>
1983年に、34年余りの獄中生活を経て日本で初めて死刑囚が再審無罪となったケースが、熊本県の「免田事件」だ。1948年に熊本県人吉市で起きた一家4人の殺傷事件で逮捕された免田栄さん(当時23歳)は、不眠不休の取調べの結果、自白させられ、1951年に死刑が確定した。翌年から再審請求を行い、28年後の1980年に第6次再審請求で、免田さんにアリバイがあることが認められ、再審開始が確定。熊本地裁八代支部が無罪を言い渡した。

<財田川事件>
1984年3月に再審無罪となった香川県の「財田川事件」では、地元の“素行不良者”という風評により、谷口繁義さん(当時19歳)が強盗殺人事件の犯人とされた。1950年、香川県三豊郡財田村(現・三豊市)で1人暮らしの男性が自宅で殺害された本件について、谷口さんは当初、別件の強盗殺人事件で逮捕されていたが、代用監獄での長期間の暴力的な取り調べの結果、本件についても自白を強要され、1957年に死刑が確定した。事件発生から31年後の1981年に高松高裁で再審開始が確定し、高松地裁で開かれた再審公判で無罪判決が言い渡された。

<松山事件>
1984年7月には、宮城県の「松山事件」で、殺人・放火事件の犯人とされ死刑判決を受けた斎藤幸夫さん(当時24歳)が再審無罪となった。1955年、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で発生した本件は、火災の跡から一家4人の焼死体が見つかったもので、別件の暴行事件で逮捕された斎藤さんが、本件についても自白させられ、1960年に死刑が確定した。
再審請求では、斎藤さんの自宅から押収された布団カバーや斎藤さんの着衣への血痕付着状況が不自然だと指摘され、1983年には仙台高裁が再審を開始。再審公判が開かれた仙台地裁で、無罪判決が言い渡された。

<島田事件>
1989年に再審無罪が言い渡されたのは、静岡県の「島田事件」である。1954年、静岡県島田市で6歳の女児が誘拐され、大井川沿いの山林で遺体が発見された幼女強姦殺人事件で、犯人とされたのが赤堀政夫さん(当時25歳)だった。赤堀さんは別件の窃盗罪で逮捕され、代用監獄での暴行や脅迫による取り調べの末に自白させられ、1960年に死刑が確定した。赤堀さんの自白によると女児を殺害した凶器は石とされていたが、再審請求では、被害者の傷痕が石では生じないことが明らかにされた。そして第4次再審請求の結果、1987年に東京高裁が再審を開始。事件発生と逮捕から35年後の1989年、静岡地裁が無罪を言い渡した。

「島田事件」は、「袴田事件」と同じ静岡地裁に係属していたこともあり、「袴田事件」の審理進行にも少なからず影響したと言われている。当時、獄中にいた袴田巖さんは、「次は自分の番だ。」と手紙などに綴り、島田事件の再審無罪に大いに勇気付けられたことが知られている。実際には、袴田さんに無罪が言い渡される見込みとなったのは、「島田事件」から遅れること35年の2024年だった。

※参照:日本弁護士連合会ホームページ

『拳と祈り —袴田巖の生涯—』は2024年10月19日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開中

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