篠原ともえ、正倉院の宝物「漆胡瓶」をドレス作品へと昇華ーー特別展『正倉院 THE SHOW』コラボのテーマは“纏うアートピース”
9,000件にも及ぶ宝物を1300年近く守り伝えてきた奇跡の宝庫・正倉院。時代を超え、人の手と心を通して脈々と受け継がれてきた宝物と正倉院の物語を、新たな視点と技術で紐解く特別展『正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-』が6月14日(土)から大阪歴史博物館・6階特別展示室で始まっている。この展覧会では「愛 美 紡ぐ」の3つをテーマに掲げて展示。最新のデジタル技術を駆使して作成された正倉院宝物の3Dデジタルデータと、正倉院宝物再現模造品を組み合わせ、これまでにない手法で正倉院と宝物を紹介する意欲的な試みとなっている。
この開催に際し記者発表・内覧会が行われ、デザイナー/アーティストの篠原ともえが来場。篠原はこの展覧会の中でも注目されている「正倉院の宝物からインスピレーションを受けて制作した新作を発表する」というプロジェクトにコラボレーションアーティストとして参加している。この日は自身が手がけた作品「LACQUERED EWER SHOSOIN DRESS」をマスコミ各社にお披露目。SPICEでは篠原に単独インタビューを行うことができた。作品制作にかけた想いや制作の舞台裏について、たっぷりと語ってもらった。
●守り受け継がれてきた宝物を五感で楽しむ展覧会
まずは特別展『正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-』について紹介したい。宮内庁正倉院事務所の全面監修により実現した本展では、アートとテクノロジーが織りなす“時空のインスタレーション”が展開されている。
見どころのひとつめは、最新のテクノロジーを用いて宝物を360度からスキャンして取得した高精細な3Dデジタルデータを、巨大なスクリーンで鑑賞できることだ。最新の3次元計測や高精細写真撮影を用いることで、肉眼では捉えにくい宝物の細部や質感も捉えることができる。質感取得技術を駆使して作成されたデジタルアーカイブを投影するスクリーンもまた、最新鋭のもの。ノーベル賞を受賞した技術を応用し、映像をより鮮明に美しく輝かせる最新のスクリーン塗料が導入され、これまで体験することができなかった宝物の美のディテールをたっぷりと味わうことができる。
そしてふたつめは、織田信長が熱望したと言われる香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を高砂香料工業の協力のもと科学的に分析を重ね、その香りが忠実に再現されていること。会場ではガラスボールの中に香りを閉じ込めて展示され、来場者は実際に香りを嗅ぐことができるという前代未聞の体験が可能だ。
そして最後がデザイナー/アーティストの篠原ともえらが参加した、現代アーティストが正倉院からインスピレーションを受けて手がけた新たな作品のお披露目というプロジェクトだ。篠原以外にも、音楽プロデューサー/ベーシストの亀田誠治、写真家の瀧本幹也、陶芸家/絵付師の亀江道子がそれぞれの分野で正倉院や宝物から受け取った感覚を自らの作品へと落とし込み、展示が行われている。
内覧会の際のメディアセッションで自らが手がけた作品について語った篠原。作品のモチーフに選んだ鳥の頭を象った蓋をもつペルシア風の水差し「漆胡瓶(しっこへい)」について、「その独特な存在感に魅了され、シルエットとオリエンタルな魅力を形にしたいと感じたことがアイデアの着想になりました。このプロジェクトに参加することが決まった時に楽しみにしていたのが、宝物がどのようにして作られたのかを知るということでした。制作を通して職人たちと会話をしているような瞬間が何度もあって、夢中で宝物と向き合うことができました」と話した。
●変わらぬ手仕事の価値を未来へ届けるドレス
篠原ともえが今回発表した作品のタイトルは、「LACQUERED EWER SHOSOIN DRESS」。正倉院に所蔵されるおよそ9,000件の宝物の中から、当時の精緻な工芸技術が結晶した水瓶「漆胡瓶」をモチーフにチョイス。この宝物は草花や鳥獣が表され『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』にも記載された至宝だ。構想から約1年もの月日をかけて取り組まれた本作品は、制作チームにコムデギャルソンのメゾンドレスの制作にも携わった経験を持つ安部陽光を迎えて構築。さらに文様を再現するプロセスでは400種以上にも及ぶパーツを用いて完成へと導いた。参加を熱望されたプロジェクトのスタートから、公開された現在に至るまで心にあった想いについて篠原に訊いた。
――今回の『正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-』は“正倉院の魅力を現代に再構築する”という斬新な試みの展覧会となっています。まずこの試みに対して感じたことから教えてください。
プライベートでも奈良に足を運んでおりますし、東大寺のご朱印帳をデザインさせていただいているご縁もあります。そんな中で正倉院事務所が“正倉院の魅力を現代に再構築する”という企画をされていると知り、「すごく画期的なことだな、参加させていただきたいな」というのが最初の印象でした。
――正倉院を未来へとつなぐことができるという意味で、画期的なのでしょうか。
はい。この展覧会には正倉院とそこに保管される宝物をたくさんの人々の努力をもって守り継いできた物語やその証を紐解きながらも現代へと蘇らせたいというコンセプトもあったので、それも新しい挑戦だと思いました。実際に制作がスタートしてから、展示に参加するチームも主催スタッフも高い熱量を持ってこのプロジェクトへの想いを開催までつないできました。
――今日の記者発表やメディアセッションを通してもみなさんの熱量をひしひしと感じました。今回発表された「LACQUERED EWER SHOSOIN DRESS」についてお伺いしていきたいのですが、作品制作にあたって“ドレスを作る”ということは最初から決まっていたのでしょうか。
何を制作するかを考える前に、まず正倉院の歴史を調べ、学ぶことから始めたいと考えて、宮内庁正倉院事務所の方に宝物にまつわるありとあらゆる資料をいただきました。正倉院に納められている宝物約9,000件の中からモチーフとしてひとつを選ぶことに注力しました。
――約9,000件から選ぶと聞くと……途方もない数ですね。最終的にモチーフに抜擢された「漆胡瓶」を選び出したポイントはどういったことですか。
やはり圧倒的な存在感です。水瓶の持つ独特な雰囲気、そしてオリエンタルなフォルム。宝物を“纏うアートピースの象徴”としてどうファッションに進化させるか、そしてファッションに進化させた時に自分自身にどんな感情が湧き上がるのか。その感情と向き合いたいと思ったのが最初のスタートでした。
――「漆胡瓶」のフォルムに惚れ込んでこそドレスにしようというアイデアが浮かんだのだと思うのですが、水瓶をモチーフにドレスを制作するにあたり、どんなことから着手されたか伺えますか。
今回本当にたくさんの資料をご提供いただいたのですが、中でも制作の軸となったのは高精細な3Dデジタルデータです。このデータを元に水瓶のフォルムと文様を紐解くことが最初のプロセスでした。資料をいろいろな角度から眺めたあと、水瓶に描かれた400種類以上あった文様のひとつひとつを全て手作業でなぞっていったんです。
――手作業で!? いわゆるトレースですか?
はい。そういう地道な作業を続ける中で、文様のモチーフになっている動物や昆虫が雄と雌のつがいで描かれているということ、同じ文様が変化もしながら存在していることに気がつきました。そしてその作業を続けるうちに、水瓶に施されたデザインそのものが物語を描いているような世界観を作り出していると読み解くこともできたんです。
――宝物を知ることから始めて、次に纏うことへの落とし込みはどのように進められたのでしょう。
水瓶のフォルムからドレスを制作するという道筋が見えた時に、これを現代のファッションに変換するのではなくなるべくそのままの形で届けたいという想いが生まれました。そこから3Dデジタルデータを元に人尺(人間の背の丈)に拡大し、マネキンと合体して検証を行ったんです。
――その検証から見えてきた制作のポイントはありましたか?
宝物が持つ魅惑的なシルエットをできるだけ忠実に再現するということですね。それが大きなポイントでした。
――まさに宝物そのものがドレスになっているということなのですね! 実は個人的に1点、気になったことがありました。作品制作に関わられたスタッフのみなさんのクレジットを拝見して、デザイナーやコスチュームディレクションのご担当はチーム内にいらっしゃるのに、パタンナー(デザイナーが描いたデザイン画を元に、服の型紙を作成する)が不在でした。これは先ほどのお話から察するに、3Dプリンターを用いて人尺にするというプロセスを踏んだために型紙が必要なかったということなのでしょうか。
そうなんです。とある美術館で私が魅了された素敵な衣装と出合い、その作品の制作者にアプローチをしたんです。それがコムデギャルソンのメゾンドレス制作に携わられた経験を持つ安部陽光さんです。彼をチームにお招きして一緒に作り上げていきました。これまで私も多くの衣装をデザイン・制作してきましたが、パターンを引いてミシンを使って洋服を作り上げるというプロセスではなく、3Dデータを元にプロダクトのようなアートピースを作るというのは初めての挑戦でした。
――チームで取り組んだからこそ完成したアートピースなんですね。
安部さんが3Dプリンターの縮小模型でシルエットを構築して、イメージを共有してくれました。そこからはチームで判断して作業を進めていくのですが、クリエイティブディレクターとして夫の池澤樹が統括しています。彼が空間に合うのか、ビジュアルとして強いものになっているのかなど一気通貫したプロセスを示し、皆で手を動かしていくという形です。クリエイティブチーム全員で、役割を全うし手間暇をかけた手作業を集結することで完成した作品だなと感じています。
――そして作品を拝見して魅了されたのは、ドレスに使用されている素材でもありました。ボディに使用されている黒いベースの素材がとっても素敵で!
土台も実はさまざまな素材を試行錯誤して選んだのですが、多面的な光を受け取るクラッシュベルベットを使用しています。これもまた手作業で質感がさらに出るように工具で擦るなどして風合いをつくり、宝物が現代に至るまで紡がれた月日を表現しています。
――至近距離で拝見することができたので、すごく手仕事の風合いを感じることができました。
宝物を守り残された記憶をなぞり現代へと蘇らせるというコンセプトがありましたし、1300年紡いできた月日を届けたいという願いを感じてもらえれば嬉しいです。
――それはデザインに施されている真鍮のモチーフに関しても同じ考えですか?
はい。そもそも真鍮という素材に辿り着くまでに銅板だったり厚みを変えたものだったりさまざまな素材を試しました。この真鍮を薬剤を使ってエイジングさせています。制作の安部さんが本当に繊細に私たちのイメージを汲み取ってくださいました。
――目指した質感とはどういったものだったのでしょう。
3Dスキャンデータで見た「漆胡瓶」の文様そのものですね。常に試行錯誤が繰り返された結晶であることを私の作品でも伝えたいと思いました。
――ここにも細やかな手作業が施されているのですね。この真鍮の文様は少し引きで見ると刺繍かな? と感じる瞬間があって、作品を至近距離から鑑賞することで細やかなディテールまでよくわかり、新しい驚きがありました。とにかくすごく楽しい驚きでした。
デザイナーによっていろいろな手法があると思うのですが、やはりこの月日の流れを永遠のアートピースとして残しておきたいという想いがあったものですから、なるべく覗き込むように鑑賞していただきたいということは心がけたことです。
――こんなにも寄って作品を鑑賞していいんだ……! という感動がありました。
体感型の展覧会であるということも伺っていたので、近くで感じ、自然と生命の賛歌の文様をぜひ愉しんでいただきたいです。
――最後に今回、篠原さんがこの作品を通して表現したいことをお聞かせください。
手仕事の力というものは当時も今も、誰かの心を震わせるものだと信じています。私自身がものづくりを愛する者の1人として伝統の技法を尊び、手仕事の価値を届けたいという想いが強くあります。そして正倉院の宝物の魅力というのも国籍や世代を超えて届けることができたら、これほどうれしいことはありません。
取材・文=桃井麻依子 写真=桃子