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【大正時代の色男】 竹久夢二と3人の美女 ~愛と芸術が織りなす大正ロマン

草の実堂

竹久夢二と3人の女性
画像:竹久夢二 public domain

竹久夢二(たけひさ ゆめじ : 1884年9月16日 – 1934年9月1日)は、日本の大正時代を代表する画家であり、詩人でもある。

彼の作品は、ノスタルジックな美しさとロマンチシズムに満ちており、「大正ロマン」の象徴として広く認識されている。

今回は、竹久夢二の生涯とその芸術、そして彼が日本の文化に与えた影響について詳しく紹介する。

生い立ち

画像 : 夢二生家 public domain

竹久夢二は、岡山県邑久郡本庄村(現在の岡山県瀬戸内市邑久町本庄)に、竹久茂次郎(モジロウ)という名で生まれた。

幼少期から絵画や詩に興味を持っていたが、家庭の事情などもあり15歳で高校を中退。しばらくは父と同じ八幡製鉄所で働いた。

その後17歳で家出を決意して、単身上京。早稲田実業学校の美術専攻科に入学すると、そこでの生活は彼の創作活動に大きな影響を与え、多くの文化人や芸術家と交流する中で、その独自のスタイルを確立していった。

芸術家としてのキャリア

夢二の作品は、女性の美しさを描いたものが多く、細やかな線と柔らかな色彩が特徴である。

彼の描く女性像は『夢二式美人』と称され、大正時代のファッションや風俗を反映している。

また、挿絵や装丁、ポスターなどの商業美術でも活躍し、多くの人々にその名を知られるようになった。

主な代表作

黒船屋(1919年)

画像:黒船屋(1919年) public domain

恋人と別れ、憂鬱な日々を送っていた夢二だったが、近くの表具屋主・飯島勝次郎氏が絵の依頼に訪れ、夢二がこれに応じて制作した作品である。

この作品にいたく感動した飯島によって軸装され、人々の称賛を浴びた。(※軸装とは、書画を掛け軸の形に仕上げること)

長崎十二景(1920年)

画像:長崎十二景 眼鏡橋 public domain

「長崎十二景」は、竹久夢二が長崎を訪れた際に制作した、一連の絵画作品である。

実業家であり、美術品のコレクターでもある永見徳太郎との交流を通じて制作されたこれらの作品は、夢二が長崎の風景や文化に触れた際に感じたイメージを自由に表現したものとなっている。

「長崎十二景」の中でも特に有名な「眼鏡橋」は、長崎の代表的な観光名所である眼鏡橋を描いた作品で、橋の美しさと歴史的な背景を巧みに捉えた作品となっている。

女十題(1921年)

画像:女十題黒猫 public domain

「女十題」は、1921年に発表された一連の絵画である。

このシリーズは、夢二が旅先で得たインスピレーションをもとに、季節の移ろいと共に描かれた様々な女性の生活や風習を表現している。

作品群は、細やかな線と繊細な色彩で描かれ、夢二独特の詩的な美しさが際立っている。

夢二の女性関係

夢二は、その魅力的な絵画や詩によって多くの女性に愛されたが、彼の女性関係も複雑で波乱に満ちていた。

その中でも「たまき」、「彦乃」、「お葉」の3人は、夢二の作品にも強く影響を与えた人物として知られている。

岸 たまき

画像:たまき public domain

1906年に上京した際、たまきは絵葉書店で働いていた。そこで夢二が彼女に恋をし、頻繁に店に通うようになったという。

出会って2ヵ月後、2人は結婚し、彼女は夢二の唯一の戸籍上の妻となった。たまきの故郷である金沢を訪れた際、夢二は彼女への溢れる思いを何通もの手紙に綴り、その感情を紀行文にも記している。

「夢二式美人画」のモデルにもなったたまきの存在は、夢二の作品に大きな影響を与えた。

しかし、1915年には二人の関係は破局を迎えた。夢二の嫉妬が原因であった。

夢二は、たまきが17歳の画学生の青年と浮気していると思い込み、その青年をバットで追いかけ回したのだ。
その後、富山県の海岸にたまきを呼び出し、彼女の髪をつかんで振り回し、短刀で左腕を刺すという事件が起きた。

しかし、実際にはたまきは浮気などしておらず、絵の写しを依頼していただけであった。

笠井 彦乃

画像 : 笠井彦乃 public domain

父が紙商を営む裕福な家庭で育った彼女は、女子美術学校の学生だった。

夢二のファンであった彼女は、彼のもとで絵を学ぶために訪問し、その後交際に至った。
彦乃は、夢二が最も愛した女性とされており、1917年からは京都で同棲を始めた。

しかし、1918年に彦乃は結核を発病し、21歳という若さで亡くなってしまった。夢二は、しばらくショックから立ち直れなかったという。

その後、彼女との愛を描いたとされる新聞連載小説「秘薬紫雪」を執筆し、その愛情の深さを示している。

お葉

画像 : お葉(1919年頃の撮影) public domain

本名は佐々木カ子ヨ(かねよ)であったが、夢二からは「お葉」と呼ばれていた。

1919年に友人の紹介で出会った際、夢二は彼女を「まるで絵から抜け出したような美人だ」と称賛した。

夢二のモデルとして通ううちに同棲を始めたが、夢二が彦乃のことを忘れられないでいることに、お葉は苦しんだ。

彼女はその悩みから自殺未遂を図ったこともあった。一度は関係を修復しようと努力したが、最終的には別れることになったという。

その後の出来事

画像 : 竹久夢二美術館 wiki c みそがい

夢二はアトリエ兼自宅として「少年山荘」を建設し、数多くの作品を世に送り出した。

1932年には長年希望していた海外旅行を実現し、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスなどを巡りながら多くのスケッチを残した。

翌年に帰国したが、結核を患い入院。1934年、49歳で亡くなった。

夢二の死後、その作品はますます高く評価され、彼の名は日本美術史において不朽のものとなった。

東京都文京区には竹久夢二美術館が建てられ、彼の作品や資料が約3300点展示されている。

さいごに

画像 : 東京雑司ヶ谷霊園にある竹久夢二の墓 wiki c Osamu Suzuki

夢二は、大正時代の日本において独特な存在感を放つ芸術家であった。

彼の作品は、当時の風俗や美意識を反映しつつも、普遍的な美しさと哀愁を兼ね備えている。

生涯を通じて、多くの人々に感動を与え続けた夢二の芸術は、今後も多くの人々に愛され続けることだろう。

参考 : 金沢湯涌夢二館 | 竹久夢二美術館
文 / 草の実堂編集部

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