人間は、日本人は、どこから来てどこへ行くのか。平藤喜久子さんとたどる、私たちの「神話」【宗教のきほん】#1
私たちはどこから来たのか、何者なのか、そしてどこへ行くのか──。このような問いへの答えとして、世界各地に伝わる「神話」。
國學院大學教授で神話学者の平藤喜久子さんが、日本と世界のさまざまな神話を取り上げ、その多彩な物語の背景と私たち人間に共通する思考をたどっていく『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』が発売となりました。
「知りたい」に手が届く、NHK出版「宗教のきほん」シリーズ最新刊の本書より、そのイントロダクションを公開します。
第2回はこちら(5月25日公開予定)
私たちの「はじまり」を知る、神話の旅へ
最初に、一枚の絵を見ていただきたいと思います。フランスの画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(一八九七〜九八年)という作品です。
この絵には、画面の右から左に向かって、人間の誕生、成熟、死が描かれています。また、さまざまな人物や自然、生きもの、像などが象徴的に配置され、そのタイトルの意味するところを見る者に深く問いかける作品になっています。
この絵のテーマである「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いは、実は、神話が語っていることそのものだと言うことができます。
私たちは、自分の生年月日、つまり自分がいつ生まれたのかということを、また自分が誰と誰のあいだに生まれてきたか、ということを知っている──知っているのを当然のように思っています。しかし、突然、それらがまったく根拠のないことで、真実は誰にもわからない──そんなことを明らかにされたとしたら、どうでしょうか。もちろん、だからといっていまここにいる自分という存在がなくなるわけではありませんが、自分の「ルーツ」となるものがすっかり失われてしまったということに対して、根源的な不安を感じるのではないかと思います。
自分はどこから来たのか。自分は何者なのか。そしてどのように生き、死後はどうなるのか──。これは人間にとって普遍的な問いです。そして人は、自分ひとりのことにとどまらず、人類全体について、また私たちが生きるこの世界や、祖先から受け継がれてきた文化などについても、それがどこから来たのか、どこへ行くのかを知らずにはいられません。
こうした問いへの答えを、「神」という人間を超えた存在を主人公にして物語ることを通して、探究してきたもの。それが神話です。文字を持つ持たないにかかわらず、神話を伝えなかった民族や文化は、世界中のどこにもないと言われています。神話は単なる物語を超えている。神話とは、人間が人間である以上、必要とするものだと言えるでしょう。
では、そのようにして生み出され、語られ、残されてきた神話から、現在に生きる私たちは、何を知ることができるのでしょうか。先ほど述べたように、神話とは、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いに、世界各地の民族や文化が、さまざまな物語を紡ぐことで答えてきたものです。そのような多彩な神話を「比較」しながら見ていくことで、この問いに答えようとしたのはどんな人たちだったのか、彼らが生きた時代はどのような時代だったのか、どのような文化的背景に基づいてその問いに答えようとしたのか──が見えてくるでしょう。同時に、その多様な営みのなかに、同じ人間としての共通点、すなわち人類の普遍的な思考のようなものが見出せるかもしれません。
また、十九世紀末にゴーギャンが描いたこの絵がいまなお私たちの心をとらえることからもわかるように、この問いは、現代でも問われ続けているものだと言えます。そうであるならば、神話は、ただ過去を知り学ぶためのものではなく、現代という時代や社会について考えるときにも、私たちに示唆を与えてくれるのではないか──。そんな可能性も見えてきます。
神話は、そうした普遍性とともに、それぞれの地域や文化に深く根差すと思われるような要素も色濃く持っています。日本には日本固有の神話があり、それを知ることは、日本という国や文化、そして日本人について理解を深めることにつながります。古代に語られたもの、それらをもとに改めて表現(再話)されたもの、文学(言葉)だけでなく絵画や彫像などで表されたもの──。それらを、他の地域や文化の神話と比べることで、日本人がこの問いにどう答えてきたのかを、より多角的に知ることができるでしょう。
本書では、日本および世界のさまざまな地域の神話を取り上げ、それらを比較しながら見ていきます。人間について、また日本人について、彼らがどこから来たのか、何者であるのか、そしてこれからどこへ行くのか──。その旅路を一緒にたどっていきましょう。
本書『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』では、「神話を知るために」「神について考える」「神話が伝えていること」「神話と歴史はどう関わるのか」「神話から何が学べるのか」という章構成で、愉快で深い「私たちの起源」を探っていきます。
著者
平藤喜久子(ひらふじ・きくこ)
山形県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(日本語日本文学)。専門は神話学、宗教学。現在、國學院大學神道文化学部教授。NHK Eテレ「趣味どきっ!」の「ニッポン神社めぐり」シリーズで講師を務める。著書に『神話学と日本の神々』(弘文堂)、『日本の神様 解剖図鑑』『世界の神様 解剖図鑑』『物語をつくる神話 解剖図鑑』(いずれもエクスナレッジ)、『「神話」の歩き方』(集英社)、共編著に『神の文化史事典』(白水社)、『〈聖なるもの〉を撮る 宗教学者と写真家による共創と対話』(山川出版社)など多数。
※刊行時の情報です。
■『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』(平藤喜久子 著)より抜粋
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