113系・115系の礎 JR四国で生き残った「111系」独自進化したその全貌とは?
text:MSかぼちゃ(X:@MS3167)
111系・113系・115系といった直流近郊型電車の研究を活動のメインとし、鉄道系サークル「日本かぼちゃ電車学会」の主宰も務め、動画や同人誌でその成果を発表しているMSかぼちゃさんの連載!「徹底研究!国鉄近郊型電車113系115系」。今回は少数ながら存在感があったJR四国に所属した111系電車の歴史について詳しく触れていきます。(編集部)
1962年に登場し、113系・115系の礎となった111系電車。同系列は出力に劣るMT46形モーターを装備していたため、113系のクハとして使用された一部の制御車を除くと、ほとんどが国鉄時代に廃車されています。しかし、たった4連5本のみではあるものの、JR四国に継承された車両も存在するのです。今回は、そんなJR四国所属の111系について紹介していきましょう。
▲JR四国に所属する111系は独自の塗装が特徴的だった。
‘89.1.6 クハ111-27 山陽本線 岡山 P:永尾信幸
JR四国の111系について解説する前に、当時の四国島内の国鉄・JR線の電化状況について振り返ってみましょう。
四国島内の国鉄線がはじめて電化されたのは、国鉄民営化直前の1987年3月23日の事でした。この時に電化された区間は予讃本線高松〜坂出間/多度津〜観音寺間と、土讃本線多度津〜琴平間に限られた暫定的なものであり、本四備讃線(瀬戸大橋線)の開業を見据えて高架化・線路切替工事が行われていた最中の坂出〜多度津間においては、電化は民営化後に予定される高架化開業と同時に行うこととなりました。
これに先立ち、国鉄は静岡で使用されていた111系のうち4連3本を高松運転所に転属させます。転属からしばらくの間は運用に就かずに留置され、そのままJR四国に承継されましたが、1987年10月2日の宇多津・丸亀駅高架化開業とそれに伴う坂出〜多度津間電化開業と同時に運用を開始します。この時、塗装を湘南色から白地(クリーム10号)に水色(青26号)帯の独自のものに変更しているほか、更新工事も行なっています。この工事はアコモデーションの更新や便所の撤去のほか、1編成を除き側面窓をユニット窓に交換するなど、当時としては非常に大規模な工事がなされています。また、2両編成の121系と取り扱いを共通化するために、モハ110の車端部に中間車掌スイッチが設置されていることも特筆されます。さらに、運用開始直後の11月には、4連1本ずつにそれぞれ「コカ・コーラ」と「UCCコーヒー」の広告ラッピングがなされ、同時に各社による飲料自動販売機が設置されています。
▲側窓が原形のまま維持されていたB2編成。このように、冷房化改造と同時に前照灯がシールドビーム化された編成は3本存在した。
‘91.8.3 クハ111-323 山陽本線 岡山 P:闇麺鉄道蔵部
1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)では、開業時に運転された岡山行き臨時快速にも使用されており、そのうち一部列車は2本を組み合わせた6両編成も運転されました。
また、この時期には国鉄清算事業団保有の車両を復籍する形でさらに4連2本が増備されます。この時導入された車両も同様の更新工事が施工されましたが、コンプレッサーを搭載し基本的に下り向きの先頭となるクハ111 300番代が含まれていなかったため、クハ111 0番代を種車としてコンプレッサーの搭載を行ったクハ111 3000番代が登場しており、上り方先頭車のクハ111 0番代についても、便所が更新の上存置されているなど、先に登場した車両とは一部に差異が生じています。また、これとほぼ同時にAU101形分散クーラーを使用した冷房化改造が行われており、モハ110に設置されていた車掌スイッチについても、これと同時に一部座席を撤去して専用区画に移設しています。
▲モハ110には冷房化改造と同時に車掌台区画が設置された。
‘89.1.6 モハ110-13 山陽本線 岡山 P:永尾信幸
この時点での運用範囲は予讃線高松〜観音寺間・土讃線多度津〜琴平間で、瀬戸大橋線で90年代以降に電化された予讃線の観音寺〜伊予市間については狭小トンネルに対応していないため、基本的には運用されませんでした。しかし、1994年ごろに2編成に限りパンタグラフを狭小トンネル対応のS-PS58に交換しており、団体列車として数度入線しています。
このように、高松近郊での通勤輸送を中心に運用されていた111系ですが、導入時点で新製から四半世紀が経過していたこともあり、1995年より置き換えが開始されます。6000系電車の新製により、111系は瀬戸大橋線の運用から撤退し、4連2本が廃車となります。その後も残った4連3本が四国島内で運用が続けられていましたが、2001年にはJR東日本から113系を購入し、大規模改造の上111系の運用に入ります。これにより、残存していた車両も2001年3月末に運用から離脱し、111系は1962年の新製から39年、四国での運用開始から14年の歴史に幕を下ろしました。
▲現役再末期の1か月のみ、B4編成の塗装が湘南色に復刻された。時には四国に乗り入れていたJR西日本の113系とも並ぶことがあった。
‘01.3.31 B4編成(写真右) 琴平 P:織花蛍
さわやかな水色帯を纏い、高松近郊で活躍した111系。その活躍期間は決して長くはありませんでしたが、他の地区では見ることのできないガラパゴス的進化を遂げた、まさに「JR四国らしい」車両だったといえるでしょう。
(2024年10月2日 11:50 修正の上掲載)