#3 賢治の創作の「エネルギー源」はなんだったのか──山下聖美さんの宮沢賢治「再入門」【NHK別冊100分de名著】
山下聖美さんによる作家・宮沢賢治への再入門 #3
なぜ大人は、宮沢賢治に惹かれるのでしょうか?
『注文の多い料理店』『風の又三郎』『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』……。『NHK別冊100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』では、文芸研究家の山下聖美さんが、賢治の波乱の生涯を追いながら、その作品の核心に迫ります。
大人だから知る「生きることの難しさ」や「人生の気づき」に触れるこの賢治再入門書より、第1講の全文を特別公開します。(第3回/全5回)
ストイックな若者
精神的に深い関係と言えば、妹・トシと賢治の関係も大変濃密なものでありました。賢治より二つ年下のトシは、ちょうど同じ時期に、東京の日本女子大学校(現在の日本女子大学)に進学しています。幼い頃より仲の良かった二人の兄妹は、学生時代にはかなり頻繁に手紙のやりとりをしていたということです。
そもそもトシは、賢治が法華経に夢中になれば、兄とともに信仰を深めてゆく、同志のような存在でした。賢く、もの静かで、兄の精神の理解者であったトシ。彼女は賢治にとっては最も信頼できる女性であったと思われます。ちなみに、トシと賢治については、兄妹以上の感情が指摘されることもあります。
なぜこんな指摘がされてしまうのかといいますと、賢治が生涯独身で、禁欲的な生活を送っていたからであると思われます。賢治の禁欲主義に関するエピソードは数々残っております。性欲を抑えるために、一晩中、山や牧場を歩いていたとか、賢治のことを好きになった女性から猛烈なアタックを受けたときに顔に灰をぬりたくり、自分は病気であると噓を言って逃げたとか、一時ベジタリアンに傾倒し、肉食を避けていたとか、「性欲の乱費は、君自殺だよ」と知人に言っていた、などなど。どれも苦笑してしまうような話ですが、賢治は真剣でありました。
性欲と恋愛との関連については、詩作品「小岩井農場」でこう述べています。
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ
ストイックな真面目さが伝わってくる言及です。賢治は恋愛を崇高で神聖なものと考えていたところがあるようで、女性に対しても大変高い理想をもっていました。理想の女性について、「新鮮な野の食卓にだな、露のようにおりてきて、あいさつをとりかわし、一椀の給仕をしてくれ、すっと消え去り、また翌朝やってくるといったような女性なら僕は、結婚してもいいな」と語っていたともいいます。
一方で、自分自身の童話の原稿を指して「童児(わらし)こさえる代りに書いたのだもや(子供を作る代わりに書いたものです)」と述べていたといいますから、やはり、作品を作ることに全エネルギーを傾けていたのでしょう。
創作のエネルギー源
つまり賢治は、頭で冷静に計算しながらものを書いたというよりも、例えば性欲のような、何か根源的なエネルギーを大切にし、それを創作するにあたってのモチベーションとしたということです。眼には見えない大きな力に身をまかせ、作品創造を行った、と言い換えることもできます。彼のこうした創作状態は、人生のところどころの場面に、伝説的なエピソードとして残っていきます。
例えば、盛岡高等農林学校を卒業し、またもや将来の問題について家族ともめ、悩みあぐねた二十五歳の賢治が、大正十(一九二一)年、東京へ家出をした時のことです。
この時期の賢治は、法華経に熱狂的にのめり込んでおり、太鼓を叩いて花巻町内を練り歩き、近隣住民を驚かせています。奇抜な行動の末に家出をはかった賢治は、東京・本郷で、たった半年ほどではありますが、一人暮らしをします。
ここで有名な伝説が作られます。
それから本郷の菊坂町では、芋と豆腐と油揚げを毎日食べて、筆耕もやったし辻説教もやり、童話もうんと書いたと言う。
一カ月に三千枚も書いたときには、原稿用紙から字が飛び出して、そこらあたりを飛びまわったもんだと話したこともある程だから、七カ月もそんなことをしている中には、原稿も随分増えたに相違ない。
(宮沢清六『兄のトランク』)
昼間は信仰している法華経系宗教団体・国柱会の布教活動を行い、夜は童話創作に徹したと言われていますが、なんと、一ヶ月に三千枚も書いたというのです。計算すると一日に百枚書いた、ということです。現実的に可能なことなのか、首をかしげてしまいます。しかし、ものすごい勢いで創作にエネルギーをそそぎ込んだ、ということは理解できるのではないでしょうか。
一方で、賢治にとって創作のエネルギーとは、うちから湧き起こるものであるのと同時に、外界、とくに自然に充ちあふれているものでもあったようです。賢治という人は、そうしたエネルギーをキャッチすることのできる高感度のアンテナのような存在でありました。
彼がいかに自然から創作の糧をもらっていたかについては、あとで詳しく説明しますが、家出・上京後、花巻に戻り、花巻農学校の教師に落ち着いた二十代後半の頃が、何かを感受する能力が最高の状態にあったと言えます。
詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(ともに大正十三〈一九二四〉年刊行)もこの時期に作っています。これらは、賢治が三十七年の生涯において出版した、たった二冊の本です。今では有名なこれらの本は、当時はほとんど売れず、詩が一部の人間に評価されただけでありました。花巻に変わった詩人がいるぞ、という認識のみであったようです。
本書『別冊NHK100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』では、
・宮沢賢治は何者か
・作品の「わからなさ」を読む
・いのちの「原風景」とは
・苦しみを生き抜くには
・未完成だから人間だ
・「ほんとうの幸い」を探して
という全6講義で、宮沢賢治の「人生の気づき」に迫ります。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』(山下聖美 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※作品の引用は『宮沢賢治全集』(ちくま文庫)に拠り、適宜ルビを振りました。また、本書には、現在の人権意識では不適切と思われる表現がありますが、作品自体のもつ時代性ならびに文学性に鑑み、原文を尊重してそのままとしました。
著者
山下聖美(やました・きよみ)
1972年、埼玉県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科教授、文芸研究家。日本女子大学文学部を卒業後、日本大学大学院博士後期課程芸術学研究科修了。博士(芸術学)。著書に『宮沢賢治を読む』『検証・宮沢賢治論』『宮沢賢治・『風の又三郎』論』(以上、D文学研究会)、『検証・宮沢賢治の詩1「春と修羅」』『検証・宮沢賢治の詩2「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」』(以上、鳥影社)、『宮沢賢治のちから』(新潮新書)、『マンガで読み解く宮沢賢治の童話事典』(東京堂出版)、『賢治文学「呪い」の構造』(三修社)、『女脳文学特講』(三省堂)、『大人のための宮沢賢治再入門』『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』(以上、NHK出版)などがある。
※すべて刊行時の情報です。