『死を運ぶ虫、神として祀られた虫』世界の伝承が語る“異形の虫”たち
地球上に棲む動物のうち、およそ7〜8割は、昆虫、クモ、エビ・カニなどを含む「節足動物」に分類される。
なかでも昆虫の種数は数百万にのぼり、個体数に至っては百京から千京という天文学的な数が推定されている。
想像を絶するその膨大な数こそが、彼らの生命力を物語っているといえるだろう。
神話や伝承の世界でも、虫は得体の知れぬ異形としてしばしば登場してきた。
多種多様な虫たちは、時に奇怪な怪物へと姿を変え、人々の想像力を刺激し続けてきたのである。
今回も引き続き、虫にまつわる奇妙な伝承の数々を紹介していきたい。
(前回の記事はこちら:https://kusanomido.com/study/fushigi/story/101068/)
1. 恙虫
恙虫(ツツガムシ)は、ダニの一種である。
幼虫の体長はわずか0.2〜0.3ミリメートルほどしかなく、哺乳類の皮膚に取り付いて、刺してリンパ液を吸いながら成長する。
人間も例外ではなく、噛まれると「ツツガムシ病」と呼ばれる病気を発症することがある。
この病は、幼虫の体内に棲むリケッチアという細菌が人へ感染することで引き起こされる。
適切に治療しなければ、重症化して命を落とす危険もある恐ろしい感染症だ。
微小な幼虫は、肉眼ではかろうじて見えるかどうかというほど小さい。
古の人々にとっては、原因不明の病が突如流行すれば、それは妖怪の仕業と考えざるを得なかった。
こうして「恙虫(つつがむし)」という妖怪が生まれたとされる。
夜な夜な人の生き血を吸い、病をもたらして命を奪う怪物として、人々に恐れられてきたのである。
言うなれば、
「奇病が広がる → 妖怪の仕業とされ『恙虫』と名付けられる → 後にダニによる感染症と判明 → 妖怪の名がそのままダニの和名『ツツガムシ』となる」
といった経緯で、妖怪の名が医学用語へと引き継がれた格好だ。
江戸時代の怪談集『絵本百物語(桃山人夜話)第五巻』には、恙虫の姿が挿絵と共に描かれている。
フナムシとハサミムシを足し合わせたような異様な姿で、飛鳥時代の石見国(現在の島根県)に現れ、多くの人を死に追いやったという。
物語では、最終的にとある博士によって封じられたと伝えられている。
ツツガムシは現代の日本各地にも生息しており、いまもなお感染被害が報告されている。
野外に出る際は、肌を隙間なく覆い、虫に噛まれない工夫が重要とされている。
2. 針口虫
針口虫(しんくちゅう)、またの名を孃矩吒(ひくた)は、仏教の地獄に棲みつくとされる怪異の虫である。
仏典『起世経』によれば、地獄には八つの大地獄があり、その周囲にさらに十六の小地獄が存在すると説かれている。
その中の一つ、「糞屎泥(ふんしでい)」と呼ばれる地獄に、この針口虫は現れるという。
糞屎泥に落ちるのは、生前に清らかさや善意を軽んじ、汚穢や悪事を好み、仏の教えを嘲った者たちだ。
この地獄は一面が糞尿の海となっており、罪人はその汚物の中に頭から投げ込まれる。
鼻や口、目や耳など、あらゆる穴という穴から汚物が入り込んでくるという惨状が延々と続く。
そこに現れるのが針口虫である。
鋭い口を持つこの虫は、汚物の中を泳ぎ回りながら、罪人の体に噛みつき、肉を食い破っていく。
やがて死に至るが、地獄においては死も救いにはならない。罪人は即座に蘇生させられ、再び針口虫に食われる苦しみを繰り返すのだ。
こうして無限とも思える責め苦が続けられるのである。
こうした地獄の壮絶な描写は、人々に「悪事を働けばこのような報いを受ける」と恐怖心を植え付け、道徳心や宗教的規律を保たせるための戒めとして語られてきたともいわれている。
3. ジエイエン
ジエイエン(Djieien)は、アメリカ先住民族セネカ族に伝わる怪物である。
巨大な蜘蛛の姿をしており、その体長はおよそ6フィート(約180センチメートル)にも達し、狡猾で邪悪な存在として、人々に恐れられてきた。
この怪物の最大の特徴として、「心臓を体内から取り外せる」というものがある。
心臓を別の場所に隠すことでジエイエンは不死身となり、いかなる攻撃も通じなくなったとされる。
以下のような伝承が伝えられている。
「ハゴワネン」という男が失踪したので、息子の「オセグウェンダ」が探しに行った。
森の中でジエイエンを見つけて後をつけていくと、巣穴からハゴワネンの呻き声が聞こえてきた。
オセグウェンダは、旅立つ前に母からもらったお守りに向かってジエイエンの倒し方を尋ねた。
するとお守りが、「地面の中に奴の心臓が埋まっている。木の枝を投げるがよい」と告げたため、オセグウェンダはその辺の木の枝を切り取り、巣穴に向かって投げつけた。
枝は見事に地中に隠されていた心臓を貫き、ジエイエンは絶命した。
ハゴワネンは全身の肉を食いちぎられ瀕死であったが、オセグウェンダが唾を塗りつけると、たちまち元気を取り戻したという。
4. ケプリ
ケプリ(Khepri)は、古代エジプトにおいて信仰された神のひとりである。
その姿はきわめて特異で、人間の体にフンコロガシ(スカラベ)の頭部が付いている、あるいは頭部そのものがスカラベであるとされている。
顔に虫が張りついているというより、もはや顔全体が昆虫に置き換わったかのような造形である。
現代の感覚からすれば異様にも映るが、そこには古代人なりの深い象徴性が込められていた。
フンコロガシは、糞を球状に丸めて転がす習性で知られる昆虫である。
古代エジプト人は、この糞玉を転がす様子を「太陽が地平線を昇る様子」になぞらえたと考えられている。
こうした連想のもと、ケプリは「太陽の再生」や「日の出」を象徴する神格として崇拝されるようになった。
スカラベと同一視されたフンコロガシは、神聖な存在として神殿で飼育され、死後は丁重にミイラ化されて埋葬された。
古代エジプトにおいてミイラは魂の再生に不可欠とされる重要な宗教的儀式であり、それは人間に限らず神聖視された動物にも適用された。
2018年には、大量のスカラベのミイラが木箱に納められた状態で発見され、考古学界に大きな驚きをもたらした。
このような出土品は、太古の宗教観や自然観を理解するうえで極めて貴重な手がかりとなっている。
参考 :『絵本百物語』『起世経』『地獄草紙』他
文 / 草の実堂編集部