平成時代に大ブームとなった “人面魚” を探しに行く! 私が出会った彼は果たして本物か
キミは「人面魚」を覚えているだろうか。「そもそも知らんわ」という若い読者もいるかもしれないが、1990年代に “人の顔をもつ魚” として大ブームになった生き物だ。
人面犬のような真偽不明の都市伝説ではなく、実際に会って、写真を撮って、観察できる人面魚は連日メディアを騒がせた。その元祖と呼べるのが山形県鶴岡市の「貝喰池(かいばみのいけ)」だ。
あれから数十年。当地では今も人面魚が複数いて、龍神の使いとして大切にされているという。トランプショックでNISAはぼろぼろ、大事なメールを見落としてチャンスを逃すなど運気がダダ下がり気味の筆者も、もし人面魚に会えたらいいことありそう。「何かご利益ないか」と邪心を抱きながら現地を訪ねてみた。
・元祖人面魚の棲む「貝喰池(かいばみのいけ)」
平成のはじめ、週刊誌報道がきっかけで全国に知られた人面魚。その名のとおり人の顔に見える魚なのだが、とりわけ「中年の男性の無表情な顔に見える」黄金色の鯉が有名ではないだろうか。
池は古刹・善寳寺(ぜんぽうじ)境内にある。総門や本堂からは少し離れた、山道のようなところが入口となっていた。
途中で案内板もあるので迷うことはない。よく出現するスポットも図解されていた。
石畳の道を少しだけ歩く。周囲は樹上が見えないほど高い木々で覆われているが、よく手入れされていて気持ちのいい道だ。
すぐにパッと開けた場所に出た。未確認生物が潜んでいると言われても納得してしまいそうな大きな池が広がる。龍神伝説の残るこの池は、地底で海と通じていると言われ、龍が貝を食べる=貝喰池(かいばみのいけ)と呼ぶのだそう。
遊歩道が整備され、参拝客のグループも複数いるが、静かで清らかな空気が漂っている。人面魚ブームの頃には、SNSもない時代なのに1日1万人もの人が訪れたという。
まずは参拝から! 池のほとりにひっそりと「龍神堂」が建ち、龍神様を祀っている。
さらに奥には、水を汲める清流があった。使い古された表現で恥ずかしいが、「まるでジブリの世界」と言いたくなるような幻想的な場所だ。新緑が目にまぶしく、まさに聖域。
「登竜門」という言葉があるとおり、鯉は滝を登って龍になるという伝説がある。子どもの立身出世を願う「鯉のぼり」も同じ由来。山から海へと循環する日本の豊かな水資源、大きな池、龍神信仰、鯉……すべてが有機的に繋がっている。
・人面魚を探す!
さて、聖域で悟りを得てすっかり心が清らかになったが、本日のメインはこれから。人面魚を探すのだ。水の恵みに感謝し、龍神に思いを馳せるだけでは満足せず、俗人の筆者は珍しい人面魚を激写してドヤりたいのだ。
うわぁ……この大混雑から……探すのかぁ。めちゃくちゃ鯉がいる。そして亀とナマズもいる。
「泳ぐ宝石」とも言われる錦鯉。時に億を超える金額で取引される芸術品だ。池にも目が覚めるような金色の鯉や、絵の具で染めたのかと思うほど濃い深紅の鯉が泳いでいた。
しかし、人面魚はいないなぁ。筆者の記憶だと、ややくすんだ黄色っぽい体色だったと思う。
もちろん人面魚は展示などされているわけではなく、自由意志で池を泳いでいる。黄色は目立つから、すぐにわかると思うんだけど……
観察すること30分。鯉のエサを販売しているらしく、時折まいている人がいる。そっと近寄り、便乗して水面を観察する。しかし人面魚は一向に現れない。エサを購入した人にタダ乗りしている筆者を見抜いているのだろうか。
周囲の会話に耳をすませば、「人面魚……」「人面魚……」というささやきばかり聞こえる。参拝客の九割方は人面魚が目的だと言っていい。みんな覚えてるんだなぁと驚いた。実際に会ったことがあるという初老の男性は「ホントに人の顔そのまんま」と期待をあおるようなことを言う。
小さな女の子がエサ袋を手に、楽しそうにはしゃいでいる。それはもう「箸が転げてもおかしい」と表現したくなるような、鈴の音のような笑い声が境内に響く。彼女は人面魚かどうかなんて気にしていない。ただエサに食らいつく魚が面白く、その生命体としての不思議さや力強さに無邪気に声を上げている。
……まぁ、人面魚には会えなかったけど、そろそろいいか。
山の空気を十分楽しめたし。
人面じゃない鯉ならたくさん見れたし。
普通の鯉を「ハズレ」みたいにガッカリするのも違うしな。帰るか。
筆者は龍神堂のあるメインスポットを外れ、手前の遊歩道に戻ってきた。途中にも人面魚出現スポットが2つほどあり、エサをあげられる張り出し台もあったりする。
そこで見たのは、こちらに泳いでくる1匹の茶色っぽい鯉だ。記憶にある金色の鯉とは少し違うが……
ん~?
んんん?
貴方……もしかして……
人面魚じゃないのぉ!!!!????
・龍神の使徒か、目の錯覚か
ミもフタもないことを言うが、人面魚とはたまたま鼻孔が人間の目の位置に見え、頭部の模様が人間の鼻筋のように見える鯉のことだ。異常だとか希少だということでもない。天井の染みなどが人の顔に見える「パレイドリア現象」との関係も指摘されている。
だから筆者が見つけたのが、正真正銘(?)の人面魚かはわからない。なんなら脳が作り出した「そうだと言われれば、そう見えなくもない」幻想かもしれない。けれど帰宅後の今は非常に満足している。
奇跡的に晴れて差し込んだ神々しい木もれ日や、「七つ前は神の内(=7歳までの子どもは神様の世界のもの)」という言葉を連想する女の子のはしゃぎ声、鯉のエサが手について臭いと話していた家族連れなど、すべてが鮮明に記憶に焼きついている。ご利益があるかどうかは、数か月もすればわかるだろう。
参考リンク:龍王尊善寳寺
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.