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沖野修也 インタビュー――Kyoto Jazz Massive デビュー30周年記念 ~ KJMのこれまでとこれから

encore

ジャズやファンク、フュージョン、ブギー、ブラジリアン、サルサ、ハウスミュージックなど、さまざまな音楽をクロスオーバーする音楽性を持つKyoto Jazz Massive(以下、KJM)。2021年に19年ぶりとなる2ndアルバム『Message From A New Dawn』をリリースし、バンドKJMとしてヨーロッパライブツアーも開始。さらにデビュー30周年を記念して、これまでKyoto Jazz Massiveがカヴァーしてきた楽曲のコンピレーションアルバムをリリースする。

今回は、沖野修也氏に、KYMの活動30年、沖野修也としてのDJの35年、それぞれ振り返っていただくとともに、現在の活動、そしてこれからの野望についてインタビューした。

──KJMが30周年で、DJデビューが35周年とのことで、まずは、KJMデビューの30年はどういう30年でしたか?

「山あり、谷あり…と言いたいところですが、ジャズシーンも音楽業界もシュリンクしている感じで、坂を下る一方です(笑)。でも、そんな状況の中で生き残れているのはすごくラッキーですし、それなりに踏ん張ってきたという自負はあります」

──30周年って、バンド的な話でいうとかなりすごいことだと思うんです。10周年も迎えられないバンドも多いですし…。

「若い頃は盛り上がっていましたが、実はそれがピークで、あとは下るのを踏ん張っている感じですよ。別に、ネガティブに言っているのではなく、セールスとか集客とかが減っているのは事実で現実問題として、です。でも、その中で作品を作り続けて、海外に招聘されているのは、自分でも“踏ん張れているのかな?”と思います。それを辛いとか、苦しいとか思っていないのも救いで、わりと楽しんで作品を作ったり、海外を旅したり。楽しんでやれているのはよかったと思います」

──30年間、バンドとしてはいろいろあったと思いますが、いかがでしょう?

「最初のKJMでのヨーロッパツアーは、1ヶ月で35ギグもあったんです。僕と弟(沖野好洋)で廻って、途中離れて、また合流してって1ヶ月を過ごしました。でも、現在もヨーロッパツアーはしていて、ゼロにはなっていなくて…しかも、元々DJでしたが今はバンドで行けているからギャランティ自体は増えています。僕個人に入るお金は減っていますけれどね(笑)。だから、いい面もあるし、悪い面もある。そんな30年かな」

──DJとしては35周年を迎えましたが、アンダーグランドとオーバーグランドのちょうど中間の音楽シーンを俯瞰して見て、どう感じていますか?

「DJの認知は格段に上がりましたね。ルイ・ヴェガ然り、ジャイルス・ピーターソン然り、ムーディーマン然り、35年前は今ほど知名度はなかったです。だから、実力派DJの認知度とその影響力は、この35年で圧倒的に大きくなったと思います。でも、DJの数も増えたので、パイを取り合っている側面もあります。それは国内外問わずですね」

──認知度と影響力が大きくなったからこそ、音楽シーン的な部分で変化した部分はありますか?

「それぞれの国のシーンはシュリンクしているかも?…だけど、世界レベルで見るとトータルでは広がっていると思います。それはやっぱりインターネットの普及以降に。インターネット以前は情報がなかったので、一部のマニアしか情報をゲットできませんでした。だけど、今は世界中の人がトップDJに限らず、僕の存在ですらチェックできるようになったのは大きな変化で、ポジティブな変化だと思っています。一方で、インターネット以降は貧富の差…つまり、拡散力がうまく働いている人と、拡散力がまったく働かない人との二極化というのはあります。それはインターネットの負の側面かな?」

──ヨーロッパとアメリカの音楽シーンとでは全く違うものだと思いますが、そのあたりはビジネスとしてもどういう風にみられていますか?

「全く違いますね。実は、Spotifyのユーザー分析をしてみると僕のリスナーはアメリカの方が多いんです。曲でいうと「Still In love」は50%くらいはロンドンとかなんですが、KJMとかトータルのセールスではアメリカです。ただ、アメリカはちょっと特殊で、人種とか性別、地域によって音楽リスナーが別れていたりします。例えば、東と西とか、南部と北部とかで音楽の趣味や流行も違います。でも、ヨーロッパって、どこの国に行ってもいろんな音楽ファンがいるんです」

──なるほど。

「アメリカの方が音楽がジャンルとかリスナーでセグメントされていて、ヨーロッパは音楽も混ざっているし、リスナーも混ざっている、そういう実感がありますね。アメリカには全然呼ばれず、いつもヨーロッパに行くのは、ヨーロッパの方が音楽を発信する方も受け取る方も自由度が高いからです。例えば、僕はジャズですがハウスミュージックもDJでかけるじゃないですか。それってヨーロッパの人はあまり気にしていなくて、DJが良ければ受け入れてもらえます。だから、ヨーロッパの方が表現するのもリスナーの感性も自由だと思います」

──現在、ヨーロッパを中心に活動をされていますが、どのような活動をされているのでしょうか?

「ヨーロッパは基本、バンド活動なんです。バンドの合間にDJをやって…という感じです。バンドメンバーがパリ在住だから、パリに行ってリハーサルをして、そこからヨーロッパ各地をツアーしている、それが活動のベースです。昨年からは、パリのメンバーで録音も始めていて、この6月にリリースしたEP『KJM EOANDO ~ KJM 30th Anniversary Edition』はパリのメンバーとのコラボレーションです。今後予定している3rdアルバムはパリチームとのコラボを含めて、日本人メンバーでアルバムを仕上げる予定です」

──それにしても、KJMって時代を経て変化していて、最初はバンドの人たちを集めたコンピでしたよね?

「音楽集団がスタートで、その後、兄弟のDJユニットになって、ライブも始めて、アルバムをリリースして、今はヨーロッパでバンドという…時代とともに変わっていますね」

──それぞれにターニングポイントがあって変わっていったと思うのですが、最初のコレクティブから兄弟DJユニットとして変わったというのは…何かあったんですか(笑)?

「何かあったんですよ、まさに(笑)!最初は、音源制作をする予定はなく、MONDO GROSSO(モンドグロッソ)のメンバーのソロとか、京都時代の友人の総称としてのKJMだったんです。大きかったのは松浦(俊夫)くんです。彼がU.F.O.(United Future Organization)時代にリリースしたコンピレーションアルバム『Multidirection』に参加して欲しいとか 、U.F.O.のリミックスをやって欲しいとか、オファーをくれて。でもその時、KJMは音楽集団だったからあまりにもくくりが漠然としていて伝わらないと思ったんですよ。それが悪いというワケではなく…。松浦くんから見たら、というか第三者からは“KJM=沖野兄弟”って、松浦くんのオファーで気づきました。その後、Compost Recordsからもオリジナル曲のオファーが届いて、僕と弟でKJMの名義の曲を作り始めて、その辺が音楽集団から音楽制作ユニットに変わらざるを得なかったターニングポイントです」

──では、松浦さんがきっかけなんですか?

「その時代って、U.F.O.しかり、竹村(ノブカズ)くんしかり、DJ KRUSHとかDJが音源を発表していった時期だったですよね。でも、KJMはオリジナルをリリースする発想が全くなかったんです。曲を作るなんて恐れ多いと思っていましたから…」

──その後、兄弟音楽制作ユニットから、さらにバンドへと形態を変化させていったわけですよね。

「2002年にCompost Recordsから、KJM名義のフルアルバム『Spirit Of The Sun』をリリースしまし。このアルバムがクリエイターとしてのファーストアルバムで、他のDJに比べたら一番遅かったんです…Jazzanovaよりもライナー・トゥルービーよりも後で。一番最後にデビューしたものの、他のDJと差別化していくのに、我々にできることを考えたときに思いついたのがライブです。それで恵比寿ガーデンホールで初めてライブをやりました。ぼくは元々MONDO GROSSOのマネージャーでしたし、SLEEP WALKER(スリープウォーカー)のプロデュースもしていたし、自分のキャリアとか、経験を活かせば、KJMをバンド化できると思ったのが2004年です。ただ、その後、2002年から2021年までの19年間、アルバムをリリースしないんですけど(笑)」

──COSMIC VILLAGE(コズミック・ヴィレッジ)としての活動もありましたね。

「僕のソロもあったので活動はしていました。KJMとしては、時々ヨーロッパツアーとか、国内のツアーとかフェスとかに出演していましたけど、COSMIC VILLAGEは2010年くらいにはほぼ消滅していましたね(笑)」

──それで、またKJMを活動再開し始めたワケですが。

「19年ぶりに2ndアルバム『Message From A New Dawn』をリリースして、でも、ヨーロッパでバンド活動というのはまったくプランにありませんでした。パリの老舗ジャズクラブ“New Morning”のDJ兼ブッキング担当のエティエンヌ・デュパイからKJMのライブのオファーがあったんです。彼とはTHE ROOMで一緒にDJしたこともあって、その彼が2ndアルバムを聴いて“パリでぜひやりたい!”って。でも、メンバー全員を呼ぶのは難しいと…。彼はいろんなミュージシャンを知っているので“KJMをライブで再現するベストメンバーを選ぶ!”って提案してくれたんです。それが現在のバンド活動の始まりです」

──なるほど。

「招集して、リハーサルをしてみて、“あかんかったら帰るか…”とか(笑)。でも、言葉も通じないけれど、今までいろんな海外のDJとも仲良くやってこれたので、“なんとかなるかな?”と思ってやりだしたのが3年前の2021年です」

──その間にも、KYOTO JAZZ SEXTETとか…

「もやってましたね」

──本当にいろいろと形態を変えながら…

「やってます! ソロアルバムをリリースしたり、Shuya Okinoライブセットとか、ライブはずっとやっていますね。ただKJMのライブは久しくやっていなかったですけど、やってみたらうまくはまったという感じです。すごくラッキーだと思います。誰もクビにしていないし(笑)」

──そうなると、二つ目のターニングポイントはエティエンヌさん?

「そう!彼からのオファーです。それが僕の人生を変えたというか…まさかこんなに頻繁にヨーロッパに行くとも思ってもいませんでしたし。だから、彼には“パリに住んでほしい!”って言われているんです。ツアーとはいえ、僕の往復の交通費がギャラから引かれるので、“修也の交通費をみんなに分けられる!”って(笑)」

──もしかしたら3拠点アーティストになるんじゃないですか?滋賀と東京とパリ…京都もですか?

「京都もいるっちゃいますね(笑)。だから4拠点ですね」

──なかなかいないですね、4拠点アーティスト(笑)!

「いないですね」

──ターニングポイントはすべて"人"なんですね。

「人ですね。松浦くんだったり、エティエンヌだったり。人に恵まれているというか、セルジオ・メンデス、ファラオ・サンダースやロイ・エアーズ、いろんなレジェンドにも会ってきましたし、若いUKのジャズミュージシャンとも仲が良くて。けっこう厚かましい性格、プラス人懐っこいというか…人好きなので(笑)。ラッキーだと思います」

──今回のKJMヨーロッパーツアーは、どんな感じで進行しているんですか?

「今回は、パリでのリハーサルの後に、クロアチア、セルビア、ブルガリア、スイスと回ります。基本は、6月にリリースしたEP、プラス2ndアルバムの曲の再現です。DJではセルビアもクロアチアもブルガリアも行っていますが、ライブは初めてで、スイスは2回目です。もともとDJとして東ヨーロッパでの需要はあったので、僕としては東ヨーロッパの人がライブを見てどういうリアクションをするのかがすごく楽しみです」

──どのくらいの規模の場所なんですか?

「大体500人から1,000人くらいです。フェスとかだと8,000人とかですけど。小さいところだと350人くらいだから、アベレージでいうと500人キャパですね。MONDO GROSSOがデビューしたときのヨーロッパツアーと感覚的には似ているかな?…“はじめの一歩”としてはこれくらいですね。今回はやらないですけれど、ロンドンでは半年で3公演やって全公演ソールドアウトしたので、わりと定着したと思います。エティエンヌさんがマネージャーとして同行しているんですけれど、戦略的にやってくれているんじゃないかな」

──現状、ライブをやってみて印象的だった場所はありますか?

「ロンドンのJAZZ CAFEがぶっちぎりで良かったです。MONDO GROSSOでも約30年前にやっている場所なんですが、前はマネージャー時代だったので、ステージに上がっていないわけです。で、今回はステージに上がって見える景色も違ったし、JAZZ CAFEのリアクションはどこよりも良かったです。自分的にも30年経った現在との比較もできるので。僕ら系の音楽に特化しているハコだし、目の肥えたお客さんが多いので、そこでの反応って大事なんです」

──12月4日には、30周年企画としてカバーアルバム『KJM COVERS - Kyoto Jazz Massive 30th Anniversary Compilation』がリリースされましたが、どういう感じのアルバムなのでしょうか?

「この30年でカバーしてきた作品を集めたコンピレーションで、カヴァー集です。でも、実はKJMの2ndアルバムをリリースしたときに“もうカバーはやらない!”って決意したんです」

──それは何故ですか?

「ロンドンの某センパイDJに“日本人カヴァー多すぎやろ!”って注意されまして(笑)。僕がリリースした曲のヒット、もちろんオリジナル曲のヒットもありますけど、「Still In love」もカバーでしたし。オリジナル曲でそれを超えないと、作曲家としての自分の実力を証明できないと思って、カバーを封印したんです。KJMは、この先、二度とカバーをしません、一応、現時点では…(笑)」

──だけど、カバー集をリリースする?

「6月にEPをリリースして、もちろん今、3rdアルバムも作っているんですけど、まだまだ時間が掛かります。“30周年記念で、弟と何かやれる特別なことないかな?“と考えたときに、30周年という節目の年ならば、今までリリースしたカバー曲のコンピレーションは”許されるんじゃない?“みたいな(笑)。あと、もうひとつ狙いがあって、3rdアルバムの制作にあたって、自分たちが受けてきた音楽的な影響を、改めてまな板にのせて、もう一回検証をしてみようと…」

──再確認ですね。

「再確認の狙いもありました。でも、既発曲ばかり集めただけだとその曲をすでに持っているファンもいるので、1曲だけ新録しています。“カバーをやらない!”と言っておきながら(笑)」

──それはどの曲ですか?

「Medina & Mensahの曲で、「Kowree Sambazzi feat.Vanessa Freeman & Bembe Segue」です。かなりマニアックな、レアな12インチなんです。これは、たまたま12インチをDJでかけていたら、弟が“アニキ、これ持ってるの?”って。弟が強烈にプッシュしてくれたし、僕も好きな曲だったので」

──それにしても兄弟、仲良いですよね。

「仲良いかな?(笑)。喧嘩はしないですね」

──バンドだと、オアシスとかもそうですし、やっぱり兄弟喧嘩がスゴいじゃないですか?

「僕のところは、“アニキは言うこと聞かんやろ!”くらいに、弟がほぼ諦めているというか(笑)」

──沖野兄弟のエピソードで一番おもしろかったのは、ハロウィンイベントで沖野(修也)さんがダースベーダーの格好をしてDJブースに上がったら、(沖野)好洋さんが修也さんだって気づかずに、ブースから首根っこつかんで追い出したというお話です(笑)。

「アレ以降、優しいです(笑)。だって、それまでKJMの19年のブランクって、弟にデモを送っても16年で2曲しかO.K.もらえなかったんですよ。8年で1曲って、アルバムが終わるのに80年、当時45歳だから125歳。“俺、125歳までアルバムをリリースできんのか?”と思って(笑)。だから、全部新曲でライブをやって、お客さんの反応を弟に見せて、やっとO.K.をもらえました。というくらい、厳しかったんです。彼は、DJで、DJプロデューサーで、リミキサーで、レーベルオーナーで、レコード屋なので、すごくハードルが高いんです。今は優しいですけど(笑)」

──今回の、カバー集で一番のおすすめ曲は?

「やはり、「Kowree Sambazzi feat.Vanessa Freeman & Bembe Segue」です。ブラジルの要素も入っていたりして、わりとKJMのファーストアルバムに近い、スピリチュアルジャズとサンバの合体みたいな曲で原点回帰している曲です。そういう意味では、今後のKJMの動向を占う一曲なんじゃないかな…と思いますが、全然そうでもなかったりして(笑)」

──今後の目標といいますか、野望を教えてください。

「まず、3rdアルバムを一刻も早く完成させることです。19年ぶりと言わずに、来年には出したいです(笑)。長期のプランでいうと、近視眼的な野望と壮大な野望とがあります。壮大な野望は、KJMを100年続くブランドにしたいです。例えば、ファッションブランドの“Gucci(グッチ)”だったら、クリエイティブディレクターが変わっていくじゃないですか。今は僕がKJMのクリエイティブディレクターですが、この先、僕が解任されても新しいDJかプロデューサーが入ってKJMという名前は100年残る。そういえば、ぼくの座を狙っているTABU ZOMBIE(タブゾンビ)ってのがいるんですけれど、彼は二代目襲名とか言っているし(笑)」

──SOIL&“PIMP”SESSIONSじゃないですか(笑)。

「野崎(良太)くんが入ってJazztronikとKJMをやるってのでもいいかもしれないし、大沢伸一くんがKJMのクリエイティブディレクターになるってのもありかもしれないです。とにかく100年つづくブランドにしたいというのが野望です」

──近視眼的な野望は?

「今までリリースしてきた曲より良い曲を作ることにしか興味がなくて、そこにフォーカスしています。これまでいろんな曲をリリースしていますが、人と比べて自分がどうとか?はなく、オリジナル、カバー問わず、自分が今までリリースしたものよりも良い曲を作るというのが、ぼくの使命であり、ぼくの関心…興味というか、それしかないんです。もちろん、バンドでもっといろんな国に行きたいとか、アメリカも行きたい、アフリカも行きたいとかも当然ありますが、そこに呼んでもらうためにも良い曲をリリースしないと呼ばれないので」

──作曲方法は鼻歌だとか?

「今もiPhoneに800曲くらい入っていますが、ベースラインとか、メロディとか、ホーンのリフとかのスケッチなので。そこから理想は50曲くらい抜粋して、最終的には10曲あるかないかじゃないかな。旅行の間に聴き直すと、“なんじゃこれ!?”というのが多くて(笑)。吹き込んだときは、頭の中で全部の楽器が鳴っているんですけど…。でも、作品になって聴くとかなり感動するんです(笑)。そういう意味では、自分の鼻歌がいろんな人の協力を経て作品になっているというのはこれまたラッキーだと思います。誰もが自分の鼻歌を作品化してライブで再現化できるわけじゃないですから。それが出来ているし、ヨーロッパにも呼んでもらっている、作品が形になってツアーが出来ているだけでもすごくラッキーです。だって、アシッドジャスの頃から生き残っている人も少ないと思いますよ。ジャミロクワイとかインコグニートは別格ですけど」

──いないですね。

「あとは、昨今、レジェンドがどんどんお亡くなりになっているので、僕がレジェンドの枠に入れるかどうか…。現時点では正直まだ入れないと思っています。演奏の内容で劣っているとは思いませんが、ちょっと格が違うというか、認知から言うとまだマニアックというか、アンダーグランドな感じなので、レジェンド枠に入るにはもう一皮むけないと。それに長く活動していきたいから、どれだけ良い曲を残せるか。まだまだ名曲と呼ばれるオリジナル曲を作れていないという反省もあります。でもね、難しいんですよ(笑)。曲を思いつくのは簡単なんですけれど、それがヒットするとか、名曲と呼ばれるか?といったら、やっぱりリスナーがあってのものなので」

──それはわからないですよ。

「自分で良いと思っていても、誰も反応しないこともあるので。だから、そこは努力していきたいです」

──ありがとうございました。

「ありがとうございました。あの…これからも頑張りますので(笑)」

(おわり)

取材・文/カネコヒデシ
写真/野﨑 慧嗣

RELEASE INFORMATION

2024年12月4日(水)発売
POCS-23048/3,300円(税込)

Kyoto Jazz Massive『KJM COVERS - Kyoto Jazz Massive 30th Anniversary Compilation』

LIVE INFORMATION

『KJM COVERS』Release Party ft. Vanessa Freeman
2025年1月16日(木)
東京 COTTON CLUB ※Full Band Live
 [1st.show] open 17:00 / start 18:00
 [2nd.show] open 19:45 / start 20:30
2025年1月17日(金)
名古屋 24PILLARS ※PA LIVE
2025年1月18日(土)
大阪 BAR Inc ※PA LIVE

KYOTO JAZZ MASSIVE 30th Anniversary Live

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