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頑張りすぎずに、自分らしく。韓国で広がる新しい「健康」のあり方――【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」

NHK出版デジタルマガジン

頑張りすぎずに、自分らしく。韓国で広がる新しい「健康」のあり方――【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」

人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます

 流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら。

#10 헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)

 サラダボウルに彩り豊かな野菜を盛り、ノンアルのスパークリングティーでひと息つく。ジムで激しく汗を流す代わりに、公園をゆっくり散歩する。最近の韓国では、そんな「頑張りすぎない健康法」を選ぶ女性たちが増えている。

 キーワードは「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)(ヘルシープレジャー)」と「저속노화(チョソクノファ)(スローエイジング/低速老化)」。前者は、体にいいことを「義務」ではなく「楽しみ」として取り入れるライフスタイル。後者は、年齢に抗うのではなく、食事や睡眠など日々の習慣を整えることでゆるやかに老いと向き合う考え方だ。

 共通するのは、完璧を目指さないという姿勢。ストイックな食事制限や最新の美容医療に頼るのではなく、自分のペースでちょっとだけ気を付ける。そんな穏やかな自己管理が、いまの韓国で静かな共感を呼んでいるのだ。

 かつては、健康であることが「意識の高さ」や「自己管理能力」の象徴とされ、他人との比較やSNSでの発信が競争をあおっていた。だが、いまは違う。

 韓国で広がる「頑張らなくてもいい」という健康観が、社会を少しずつ変えているように思う。そんな時代の空気を、「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」と「저속노화(チョソクノファ)」というふたつの言葉からひも解いてみたい。

韓国の新しい「健康」観

 2000年代初頭、韓国の健康観は「努力して理想に近づくもの」だった。良質な素材を選び、丁寧に調理し、栄養バランスを考えて食べる。そんな自分を律した姿勢が美徳とされていた。

 見た目の若さを追い求める空気も強かった。女性であれば、痩せていること、肌にハリがあること、体脂肪率が低いこと――数値や見た目で健康が評価される傾向が色濃く、そこにルックス至上主義が重なって、「健康=美しさ」という図式が定着していった。

 2010年代になると、「アンチエイジング」がキーワードとなる。加齢に抗い、若さを維持することが、自己管理や意識の高さの証とされた。皮膚科でのレーザー治療や高機能コスメ、パーソナルトレーニングなど、外見的な変化を求めて時間やお金を費やす人が増えていった。

 しかし2020年代に入り、そうしたストイックな健康観に違和感を抱く人が増えてきた。「頑張ること自体がストレスになる」という考え方が、じわじわと広がってきたのだ。

 背景には、韓国社会が抱える慢性的なストレスと不安がある。超学歴社会の競争、物価高騰や不安定な雇用、過労、少子化といった構造的な問題が、日常生活のゆとりを奪っている。とくに20〜40代の間では「これ以上、何を頑張ればいいの?」という疲れが静かに蓄積している。

 SNSの普及も拍車をかけた。他人の完璧なトレーニング記録や、映える自炊生活、ツヤ肌のセルフィーが日々のタイムラインに流れ、自分との落差にひそかに傷つく人も少なくない。

 そんな中で「頑張らないこと」に価値を見出す動きが出てきた。それが「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」と「저속노화(チョソクノファ)」という言葉に象徴される、新しい健康観だ。

「罪悪感のない選択」をする若者たち

 MZ世代を中心に注目されているのが「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」。無理なダイエットやストイックな食事制限よりも、見た目も楽しくて、気分が上がるような食事を「おいしく、気軽に」取り入れることが重視されている。

 人工甘味料を使わない低糖質スイーツや、彩り豊かなサラダボウル、カフェインレスのクラフトティーなど、体にやさしく、同時に満足感もあるアイテムが人気だ。

 最近では、低アルコールやゼロシュガーをうたうお酒も続々と登場しており、たとえばアルコール度数の低いビール「TERRA LIGHT」や、度数を抑えたゼロシュガー焼酎「새로(セロ)」などが、大学街のコンビニなどで存在感を増している。

 「健康のために我慢する」のではなく、「楽しみながらちょっと気をつける」。その気負わない姿勢が支持されている理由だ。SNSでは、「새로(セロ)」とトニックウォーターを合わせた「새로토닉(セロトニック)」という飲み方も話題になっている。「飲むことも楽しみたいけど、少しは体のことも考えたい」という若者たちの、欲張りな気持ちに寄り添った工夫だ。

 もっとも、トニックウォーター自体に糖分は多く含まれるため、厳密には「ヘルシー」とは言い切れない。けれど、すべてを完璧にするのではなく、「まあこのくらいならOK」というゆるさこそが「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」の本質なのだ。

老いに抗わず、暮らしを整える

 30〜40代の女性を中心に共感を集めているのが、「저속노화(チョソクノファ)」という考え方。年齢に抗うのではなく、いまの自分の状態を受け入れながら、生活習慣やスキンケアを少しずつ整えていく姿勢が特徴だ。

 かつては「アンチエイジング」が主流で、「若く見せる」ことが美徳とされた。高価なエステや美容医療、即効性をうたう高機能コスメが注目を集めたのもその一例だ。

 だが最近では、「自然な変化を受け入れたい」という声が増えている。とくに30〜40代の女性や、美容感度の高い若年層の間で、無理に若さを保つよりも、自分らしく年齢を重ねるというスタンスが共感を呼んでいる

 こうした変化は、化粧品業界にも表れている。強い成分を使った美容液より、保湿・トーンアップ・紫外線ケアといった基本機能を組み合わせた「生活密着型」のスキンケアセットが人気を集めているのだ。

 広告の表現にも変化が見られる。「10歳若返る」「シワを完全に消す」といった誇張は減り、「肌の調子を整える」「健やかな印象に導く」といった、穏やかで現実的なコピーが増えてきた。

 「저속노화(チョソクノファ)」は、老いを遠ざけるための闘いではない。暮らしそのものを丁寧に見直し、結果としてゆるやかに老いていくことだ。

少しの変化から始めよう

 一方で、こうしたトレンドに対する懐疑の声も少なくない。

 とくに「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」は、SNSで映えるような彩り豊かな食事や洗練されたライフスタイルが強調されるあまり、「結局はお金と時間に余裕がある人の楽しみ」と受け取られることもある。

 実際、オーガニック食材や低糖質スイーツ、パーソナルジムでの栄養指導といったサービスは、誰にでも手が届くわけではない。ミネラルウォーターにこだわったり、グルテンフリーのパンを選んだりする行為自体が、ある種の「ステータス」になっている面も否定できない。

 それでも、「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」の本質は、もっとささやかで身近なものだ。朝起きて白湯を1杯飲む、エレベーターではなく階段を使ってみる、週に何度も食べていた揚げ物を控える――そんな小さな習慣を無理なく続けていく姿勢こそが、支持されている理由でもある

 同様に「저속노화(チョソクノファ)」も、年齢を巻き戻すのではなく、年齢にとらわれずに自分のペースで心地よく過ごすことに価値を置く。今日からでも遅くない。いまの自分の状態を認め、少しだけ丁寧に扱ってみる。その柔軟な姿勢が多くの共感を集めている。

 若さや完璧さを全体にしないこれらのアプローチは、見た目や年齢を武器にしない社会への、小さくても確かな一歩なのかもしれない。

他人ではなく、自分に目を向ける

 こうした背景を思えば、「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」も「저속노화(チョソクノファ)」は、単なる流行語ではない。韓国社会の価値観が、いま確かに変わりつつあることを映し出す鏡のようなことばだ。

 かつて「健康」は数字で競われるものだった。何キロ走ったか、どれだけ糖質を減らしたか。努力の結果は可視化され、比較され、時に消耗すら強しいた。

 けれど、いまは違う。「今日は散歩だけにしよう」「甘いものも、ごほうびとして楽しもう」――そんなふうに、自分にとって心地よいペースを大切にする人が増えている。

 走るより歩く。減らすより満たす。他人と比べるより、自分のいまに目を向ける。そんな「ゆるやかな健康観」が、静かに社会の主流になりつつある。

 最近、知人が言っていた。「ダイエットっていうより、メンテナンスの時間を取ってるだけ」。ふと「ああ、これが저속노화(チョソクノファ)の考え方か」と思った。

 やせるために動くのではなく、気持ちよく過ごすために体を整える。食べるために我慢するのではなく、おいしく味わうために選ぶ。そんな「目的の逆転」が、確かにいま、始まっている。

ゆっくり老いるのも悪くない

헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」や「저속노화(チョソクノファ)」という言葉の背景には、「こう生きなくては」ではなく「こう生きてもいい」という、どこか力まず過ごせる空気が流れている。

 私自身、つい暴飲暴食してしまった夜も「ま、明日からまた整えればいいか」と思えるようになった。昔だったら自己嫌悪に沈んでいたところを、いまは笑ってスルーできる。ストイックじゃない。でも、それでいい。

 肩の力を抜いて暮らせること。その日々こそが、自然なアンチエイジング=スローエイジングなのだと思う。たとえ足取りが少し遅くなっても、自分のペースで進めるなら、それはもう立派な「헬시 플레저(ヘルシー・プレジョ)」であり「저속노화(チョソクノファ)」だ。

 「ゆっくり老いる」って、ちょっと優雅で、なんだか悪くない。

プロフィール

金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。

タイトルデザイン:ウラシマ・リー

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