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前方後円墳の起源から見えてきたヤマト王権と朝鮮半島のつながり【新・古代史】

NHK出版デジタルマガジン

前方後円墳の起源から見えてきたヤマト王権と朝鮮半島のつながり【新・古代史】

 韓国で近年相次いで発見されている前方後円墳。ヤマト王権のシンボルであり、日本列島特有の陵墓とされてきた前方後円墳が、なぜ韓国に存在するのか? その起源を探る過程でみえてきたものとは――
 累計5万部を突破した話題書『新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権』より、第7章「ヤマト王権と朝鮮半島情勢」の冒頭を特別公開。

NHKスペシャル取材班『新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権』

ヤマト王権と朝鮮半島情勢

 この章では、「空白の四世紀」が明けようという四世紀末から五世紀はじめの倭国について、現代にいたるまで長い交流の歴史を持つ朝鮮半島とのつながりを糸口にして見ていく。
 五世紀とは、大きな力を誇った倭の五王が登場する直前の時代。東アジア、そして倭国は激動の時代を迎えていた。台風の目となっていたのが、朝鮮半島北部に君臨した古代国家、高句麗。広開土王と呼ばれる王が、朝鮮半島南部に勢力を拡大させており、戦乱の余波は遠く離れた倭国にも届こうとしていた。

南北朝時代、5世紀の東アジア勢力図(『詳説日本史図録』〈山川出版社〉をもとに作成)

 こうした状況下で、なぜ島国として位置する古代日本が、朝鮮半島で勃発した動乱へと身を投じていくことになったのか。東アジア各地に残された貴重な手がかりから、文献史料には記されていない実像に迫っていこう。

発見が相次ぐ韓国の前方後円墳

 そもそも、四世紀末の東アジアは一体どのような状況にあったのだろうか。この時代を解き明かしていく鍵が、海を隔てた先、朝鮮半島に今も残る前方後円墳である。
 少し時代は下るが、およそ五世紀後半から六世紀前半にかけて、朝鮮半島の西南部、現在の韓国・栄山江(ヨンサンガン)流域に築かれたもので、その姿は日本列島で見られる前方後円墳と瓜二つ。台形と円形を組み合わせた鍵穴の形をしている。

 韓国ではその形状から、研究者によって様々な呼び方がなされており、「前方後円墳形古墳」や瓢箪(ひょうたん)のような形をした韓国の伝統楽器・長鼓(チャンゴ)とよく似ていることから「長鼓墳(チャンゴブン)」などと呼ばれることもあるが、本書では統一して「前方後円墳」という名称で表記する。

 朝鮮半島の前方後円墳をめぐっては、じつは、近年もその発見が相次いでいる。そのうちの一つが、2022年(令和四)、全羅南道(チョルラナムド)の西部にある羅州(ナジュ)市で高速道路の建設工事を行っていたさなか、新たに見つかった一基の前方後円墳だ。朝鮮半島における前方後円墳はこれで一五基目、羅州市においては初めての発見となり、韓国KBSニュースなどでその発見は大きく報じられることとなった。

 2023年(令和五)11月、発掘調査を担当した蔚山(ウルサン)文化財研究員・調査研究部長の金賢植さんに、羅州市の現場で話をうかがった。取材班が足を運ぶと、そこは周囲に畑が広がる小さな丘のような場所だった。冬が近づきつつある中、なおも生い茂る草木をかき分けながら、丘を登るように金さんの後に続くと、一見するとわかりにくいが、目の前に前方後円墳らしき土の盛り上がりが姿を現した。

「ここが、つい最近確認された前方後円墳です。私たちが前方後円墳だと推定したきっかけはトレンチ(試掘坑)でした。円筒型土器片と積石と推定されるものがトレンチ探査によって確認されたのです。そのため、ここに墓があるかもしれないと疑いを持つようになりました」
 そのトレンチ探査を行った当時は、取材時よりもさらに多くの草木が茂っていた。墓の可能性があると考えた金さんたちは、そうした周辺の草木をすべて取り除き、全体の形態を確認した。すると、後円部にあたる部分に少し凹んだような痕跡が見つかり、この陥没部分にもトレンチ探査を行ったところ、石室の壁と推定される石を発見したという。この石を確認したことで、それまでに抱いていた前方後円墳ではないかという金さんの疑いは確信へと変わった。
「これまで光州(クアンジュ)市や咸平(ハムピョン)郡、海南(ヘナム)郡など、全羅南道の西部地方から前方後円墳がまんべんなく出てきています。今回、羅州市で初めて前方後円墳が発見されたことで、改めてその分布圏を確認することができました」

 調査・整備が進められ、石室の内部構造が明らかにされている前方後円墳もある。その一つが、光州市にある月桂洞(ウォルゲドン)1・2号墳。1号墳は全長45.3メートル、2号墳は全長33メートルで、現在、周囲には商業施設や団地が並び立っている。

朝鮮半島に築かれた前方後円墳、光州月桂洞1号墳(奥)・2号墳(手前)

1号墳の後円部には横穴式石室があり、その中で「玄門立柱」と呼ばれる方柱状の石材を立てた様式が確認されていることから、九州北部と共通する構造を持つと指摘されている。

 さらに、咸平郡で見つかった新徳古墳(シンドッゴブン)という前方後円墳では、九州北部の古墳で見られる共通の特徴として、石室内部の壁に赤い顔料が塗られていたほか、古墳の墳丘部分を覆う葺き石も確認された。光州市の明花洞(ミョンファンドン)古墳でも、日本列島にだけ分布するとされてきた埴輪が出土。前方後円墳という形状だけではなく、その築造方法に至るまで日本列島のものと極めてよく似通っていることが明らかになっている。

朝鮮半島の前方後円墳分布図(『立命館文学』632巻、崔榮柱論文の資料をもとに作成)

なぜ韓国に前方後円墳は築かれたのか

 前方後円墳は、ヤマト王権のシンボルであり、日本列島特有の墳墓と考えられてきた。しかし、ここまで見てきた通り、近年の発掘調査の進展によって、朝鮮半島にも存在することが証明され、古代日本、特に九州とのつながりを示す共通点を数多く持つことが明らかになっている。

 果たして、なぜ前方後円墳は朝鮮半島にも存在するのか。これらの前方後円墳が五世紀後半から六世紀前半にかけて築かれるようになったのは、それ以前に一体どのような経緯があったからなのだろうか。その前に、韓国の前方後円墳をめぐる調査研究の経緯を簡単にまとめておこう。

 この謎をめぐる研究の歴史は、およそ40年前にさかのぼる。1983年、韓国の考古学者・姜仁求(カンイング)が、それまで日本列島特有と考えられてきた前方後円墳が韓国にも存在すると主張したことが始まりだった。日韓の考古学界では、これをきっかけに改めて前方後円墳の起源が大きな注目を集めることとなる。
 さらに1990年代に入ると、朝鮮半島各地の前方後円墳で発掘調査が進展。石室内部の構造や出土品などの確認も進み、その実態が明らかになるにつれて、誕生の経緯をめぐる議論も盛んに行われるようになっていった。

 特に議論の焦点となったのは、前方後円墳に葬られた人物像について。これまで日韓両国の考古学者によって、次のような大きく三つの説が類型化され提示されてきた。1地元の首長が倭国で盛んだった古墳の形式を取り入れたという「在地首長説」。2当時、朝鮮半島に存在していた百済という国に仕えた倭人の有力者の墓という「倭系百済官僚説」。3朝鮮半島に集団で移住した倭人の墓とする「倭人説」である。

 問題を複雑にした理由は、前方後円墳から出土した副葬品の内容にある。例えば、咸平郡の新徳古墳を例に挙げると、持ち手部分に棒をねじったような装飾が施された「ねじり環頭大刀」という出土品が見つかっているが、これは韓国では見られない古代日本起源とされる製品である。しかし、それと同時に出土した槍や馬具、甲などは、百済に由来するとみられるものだった。

新徳古墳から出土したねじり環頭大刀(中央)。持ち手部分にねじったような装飾がある

 すなわち、朝鮮半島で見つかった前方後円墳には、倭国だけでなく、朝鮮半島の様々な国とのつながりを示す国際色豊かな副葬品が納められていたのである。

 現在、新徳古墳で見つかった副葬品を所蔵している国立光州博物館・学芸員の盧亨信(ノヒョンシン)さんは、倭国や百済に由来する副葬品が出土するのは、権力を象徴する威信財として賜ったからであり、そこにはそれぞれの勢力と密接な関係が築かれていたのではないかと分析している。
「この前方後円墳の主については、非常に様々な解釈があります。しかし、お墓の主が誰であろうと、副葬品が多様な文化的特徴を示していることから、様々な文化と交流を持っていた人物である可能性がとても高いと考えています」

 韓国では前方後円墳だけでなく、倭国の古墳の形式を取り入れたとみられる円形の古墳、「倭系円墳」も複数存在している。代表的な倭系円墳の一つが、高興雁洞古墳(コフンアンドンゴブン)。その副葬品の内容からは、被葬者の人物像についていずれかの説を決定づけるものは今のところ見つかっていない。とはいえ、倭系の甲冑とともに、百済の特徴を持つ金銅製冠帽や飾り履が出土。ここでも葬られた人物が多様な交流、文化的背景を持っていたことがうかがえる。

 初めて韓国の前方後円墳の存在を指摘した考古学者・姜仁求は、古墳時代における他の文化や技術とともに、前方後円墳という形が朝鮮半島で生み出され、日本列島に伝わったと考えた。ところが、前方後円墳の発掘調査、さらには納められていた副葬品の調査分析が進むにつれて、当初の想定とはまったく逆の流れが明らかになってきた。つまり、前方後円墳という墳墓の形式は日本列島で生まれ、その後、朝鮮半島へと伝わったという流れである。

 日朝関係史研究の第一人者で、大阪大学大学院への留学経験も持つ慶北(キョンブク)大学教授・朴天秀(パクチョンス)さんは、前方後円墳の起源が日本列島にある理由として、出土物から割り出された日本と朝鮮半島それぞれの古墳が築かれた時期に注目する。
「韓国で発見された前方後円墳は、すべて五世紀末から六世紀初めにつくられたものですが、日本の前方後円墳は三世紀中頃にはつくられています。そのため、日本に起源を持つと考えるのが正しいと思います」

 前方後円墳に眠る被葬者が誰かという問題については、いまだ議論が続けられており、それぞれの研究者によって百家争鳴(ひゃっかそうめい)の状態にある。しかし、共通した見解として考えられているのは、倭国と海を隔てた先の朝鮮半島が密接につながり、前方後円墳という日本特有と考えられていた墳墓が確かに海を渡っていたということである。そのことが必ずしも倭国の勢力範囲の拡大を意味するわけではないことに十分な注意を払う必要はあるものの、当時の人々は文化を持ち寄り、相互に授受する形で交流を積み重ねていたことがわかる。

NHKスペシャル取材班

私たちの国のルーツを掘り下げ、古代史の空白に迫るNHKスペシャル「古代史ミステリー」の制作チーム。他にもこれまで「戦国時代×大航海時代」「幕末×欧米列強」といったテーマを掲げ、グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた。

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