文字にこもるもの(歌人・俵 万智)【NHK短歌】
「NHK短歌」テキストより、短歌の魅力についての解説をご紹介
2024年度『NHK短歌』の講座「光る愛の歌」では、俵 万智(たわら・まち)さんが講師を務めています。
自分の人生や日常や興味関心に目をこらし、それをカタチにするべく言葉を探す。その過程で、意外な自分に出会ったり、よりはっきり見えてくるものがあったり。結果としての短歌のよしあしは二の次と言っては言い過ぎかもしれませんが、でも作る過程を含めて短歌で、そこに醍醐味があると俵さんはいいます。
今回は「文字にこもるもの」について、大河ドラマ「光る君へ」を例に挙げながらご紹介します。
「光る君へ」では文字にまつわる印象的な場面がいくつもあるが(そもそも題字が、まことに美しいし、筆の運びを再現するオープニングに毎回うっとりする)、なかでも私が好きなのは、道長(みちなが)がまひろの書く文字を覚えていたシーンだ。
父、為時(ためとき)が書いたと見せかけて、越前守(えちぜんのかみ)への任命を冀(こいねが)う申し文を、まひろは漢詩をもって表現した。山と積まれた申し文の中から、それを見つけた時の道長の目の輝き。他の申し文が、文字ぎちぎちで訴えかけて暑苦しいのに比べて、すっきりとした漢詩はひときわ鮮やかに目に飛びこんでくる。帰宅して早速、かつてまひろから届いた手紙と照合する道長。背後からその様子を窺(うかが)う妻倫子(ともこ)は、過去にその漢詩で書かれた手紙を怪しんだ。そして友人としてまひろ本人に、どう思うか聞いたりしていた。文字の織り成すスリリングなドラマである。
二つの文の「為」という漢字が大写しになり、まぎれもなく同一人物の文字であることが、道長とともに視聴者にも確認できた。まるでそこに彼女が存在しているかのような感動。本人の文字であることの重みが伝わる場面だった。
対照的なのは、まひろの結婚話を知った道長が、贈り物を届けさせたときに添えた文だ。はやる心を押さえるようにして文を開いたまひろの顔には、失望の色が広がる。「あの人の字ではない」。落胆のまま、彼女は文を書き、従者である乙丸(おとまる)に託す。ドラマを見ていたとき、これは道長宛ての文かと思ったのだが、その直後に画面に映ったのは、夫となる宣孝(のぶたか)を部屋で待つまひろの姿だった。つまり「直筆でない」道長の手紙が、彼への思いを断ち切らせたということだろう。がっかりした勢いで、宣孝を招いてしまうとは。
登場人物の中で、もっとも美しい文字を書くのは藤原行成(ふじわらのゆきなり)だ。言わずと知れた三蹟(さんせき)の一人である。彼が書き写し献上した『古今和歌集』を、一条(いちじょう)天皇と定子(さだこ)はたいそう愛(め)でた。後に定子に会えなくなった一条天皇が、なんとか行成に手引きをしてもらいたくて、この『古今和歌集』をダシにする。定子が気に入って、二人で何度も見たため傷んでいることなどを伝え、定子が気に入っている歌として、次の一首を示した。
夢路にも露やおくらむ夜もすがらかよへる袖のひちて乾かぬ
【万智訳】目覚めれば濡(ぬ)れている袖 夢で逢(あ)う道にも露はおりているのか
紀 貫之(きのつらゆき) 『古今和歌集』
定子が好きな歌と言いながら、これは帝(みかど)の現在の心境でもあるだろう。どれほど逢いたいかということを、夜通し涙にくれているという歌で伝えている。行成の文字で書かれたことで、いっそう流麗で切なさを増したであろう和歌。帝が手にしているのは、今風に言えば、作者紀貫之と書家藤原行成のコラボ作品である。
さて、現在は文字というと毛筆の手書きだけではない。書籍や新聞・雑誌などの印刷された活字をはじめ、ネットの普及にともない、電子の画面で文字に触れる機会も飛躍的に増えた。フォントもさまざまだし、絵文字という文化もある。短歌は時代を映す鏡なので、おのずと文字の歌もバラエティに富んでいる。そのなかで「手書き」というものが、独特の位置を占めるようになったことも感じる。機械編みが普及することで、手編みのセーターに新たな価値が生じたように。新しい素材を楽しんで詠むもよし、現代ならではの手書きのニュアンスを詠んでもいい。
それでは、文字を詠んだ新旧の短歌を味わってみよう。
良寛が字に似る雨と見てあればよさのひろしと云ふ仮名も書く
与謝野 晶子(よさのあきこ) 『白桜集』
良寛(りょうかん)の書く文字のようだなと雨を見ていたところ、よさのひろし、という仮名文字のようにも、その雨足が見えた……という一首。夫である与謝野鉄幹(てっかん)(寛(ひろし)が本名)を亡くした後の歌である。実際にそういうふうに雨が降ったというよりは、何を見ても鉄幹に寄せて見えてしまうということだろう。
Fox Emoji 嘘っぽく日々は過ぎていった Fog Emoji 日々は嘘っぽすぎた
青松 輝 (あおまつあきら) 『4』
スマホに「Fox Emoji」と入力するとキツネの顔の絵文字が出る。「Fog Emoji」なら霧に煙けぶる灰色の絵文字だ。人を化かすキツネ、視界の悪い霧。それぞれが日々の嘘うそっぽさと響きあう。今風の言葉を定型に収める面白さがありつつ、現代詩のようなニュアンスもある一首だ。Fox とFog は一文字違い。その差は、嘘っぽく日々が過ぎるのと、日々が嘘っぽいのとの違い程度……という言葉の歌とも読めるかもしれない。
最後に、手書き文字の拙作を一首。
母の字で書かれた我の名を載せて届いておりぬ宅急便は
俵 万智『かぜのてのひら』
俵 万智(たわら・まち)
1962 年大阪府生まれ。歌人。歌誌「心の花」所属。早稲田大学在学中に短歌を始める。歌集に『サラダ記念日』(現代歌人協会賞)、『プーさんの鼻』(若山牧水賞)、『未来のサイズ』(迢空(ちょうくう)賞・詩歌文学館賞)ほか。長年の清新な創作活動と短歌の裾野を広げた功績により朝日賞ならびに紫綬褒章。最新歌集は『アボカドの種』。
◆『NHK短歌』2024年9月号「光る愛の歌~文字にこもるもの」より一部抜粋
◆文 俵 万智
◆トップ写真 ©Shutterstock(テキストには掲載していません)