八代目菊五郎が『寺子屋』松王丸、六代目菊之助が『車引』梅王丸~襲名披露は2か月目へ! 歌舞伎座『六月大歌舞伎』昼の部観劇レポート
2025年6月2日(月)から27日(金)まで、『六月大歌舞伎』が開催されている。尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎、尾上丑之助改め六代目尾上菊之助という、音羽屋親子の襲名披露公演だ。5月に続き、歌舞伎座での2か月連続興行。6月も襲名にふさわしい演目、充実の顔ぶれがそろった。
午前11時開演「昼の部」をレポートする。
一、元禄花見踊(げんろくはなみおどり)
幕が開くと、満開の桜。尾上右近の出雲の阿国を中心とした美男美女が、花見の宴をひらいている。出雲の阿国は、元禄風の大胆な色づかいの着物に身を包み、独特の古風な美しさで目を奪う。さらに中村隼人の名古屋山三も登場。麗らかな佇まいに、ワア! という反応が客席に広がった。阿国と山三のふたりきりの踊りでは、ステージの照明が変化したかのように、舞台の空気がドラマチックに変化した。
元禄の女に、大谷廣松、中村莟玉、中村玉太郎。元禄の男に、市川男寅、中村歌之助、尾上左近。作品全体を包むファンタジックな趣きが、俳優たちの新鮮な魅力を引き出していた。花笠や鈴など踊りも演奏も賑やかさを増していく。歌舞伎の祖と言われる出雲の阿国、名古屋山三、そして若々しい男たち、女たちが、歌舞伎座を祝祭感で満たした。新・菊五郎、新・菊之助の時代のはじまりを期待させた。
二、菅原伝授手習鑑
歌舞伎の三大名作のひとつに数えられる『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の中から、『車引(くるまびき)』と『寺子屋(てらこや)』が上演される。登場するのは、梅王丸、松王丸、桜丸という三つ子の兄弟だ。3人はそれぞれ異なる主君に、舎人として仕えていた。しかし松王丸の主・藤原時平が、権力を手に入れるために、菅丞相(かんしょうじょう。菅原道真)を失脚に追い込んだことから、三兄弟は敵対する立場に引き裂かれてしまう。
車引(くるまびき)
桜丸(上村吉太朗)と梅王丸(尾上菊之助)は、藤原時平に恨みを抱いていた。そんな2人が偶然再会。主君の恨みを晴らそうと、時平の乗る牛車の前に立ちはだかる。しかし時平のもとには松王丸(中村鷹之資)がいて……。
六代目を襲名した菊之助は、5月に『京鹿子娘道成寺』と『弁天娘女男白浪』で喝采を浴びた。6月は、11歳にして梅王丸という大役を勤める。花道に登場した時は、大きな笠で顔を隠しており、その体つきの印象から可愛らしい梅王丸だと感じた。しかし、その印象はすぐに変わっていった。全身の隅々にまで丁寧に力が込められ、迷いも甘えも見られない。せりふは、思いがけず深いところから響いてくる。11歳とは思えない芸が、11歳の身体に落とし込まれていた。赤い隈取りの顔に、溢れんばかりの気迫が漲っていた。そんな中でも印象的だったのは、花道の引っ込みだ。重い衣裳をものともせず、ぽーん、ぽーん! と弾んでいくような、熱くて軽やかな六方だった。今だからこその疾走感に、今だからこその魅力を感じた。
桜丸は上村吉太朗。柔らかな中にも芯がある。その身を憂う儚げな声に情感があり、印象的だった。中村鷹之資の松王丸は、第一声から大きな存在感で観客を驚かせ、姿を見せてからは、ずっしりしながら伸びやかな見得、一挙手一投足の美しさで、松王丸の大きさと品を物語る。杉王丸は、中村種太郎。新世代が奮闘する『車引』の最後は、中村又五郎の藤原時平が凄みをきかせ、絵面の見得で幕となった。
寺子屋(てらこや)
八代目を襲名した新・菊五郎が、松王丸を勤める『寺子屋』。
舞台は、子どもたちが手習いをする寺子屋。武部源蔵・戸浪夫婦は、寺子屋をひらいている。源蔵(片岡愛之助)は、菅丞相の子・菅秀才(かんしゅうさい)を匿っていた。お芝居は、千代(中村時蔵)が、息子の小太郎を寺子屋へ預けるところからはじまる。後の展開に繋がる場面であり、すでにこの話を知っている方にとっては、早々に涙が込み上げてくるやりとりが紡がれる。千代の目線ひとつ、呼吸ひとつにも覚悟と揺らぎが見え、心が揺さぶられた。
源蔵は、菅秀才の首を差し出すよう迫られ苦悩していた。そして、菅秀才の身代わりに、寺入りしたばかりの小太郎の首を差し出す計画を立てる。首が本当に菅秀才かどうかを確かめるため、松王丸は、春藤玄蕃(中村萬太郎)とともに寺子屋にやってきて……。
八代目菊五郎の松王丸、愛之助の源蔵、時蔵の千代、そして萬太郎の玄蕃という配役は、今回で2度目。息のあったお芝居で引き込まれていく中、ハッとしたのは、八代目菊五郎の松王丸が「無礼者め」と声を荒げる場面だった。菊五郎の声は、美しく冴えた先で不意にあらぶった。松王丸の理性がわずかに翻り、隙間から生々しいほどの悲しみが鋭く胸をついた。
その瞬間、今まで「寺子屋」を、“遠い時代の忠義の物語”と、無意識のうちに割り切って観ていたことを自覚させられた。松王丸が我が子、そして弟に向けた悲しみは、今の時代にも通じる普遍的なもの。悲しみの深さの分だけ愛情があり、それと同等の忠義心があることが、現実味を帯びて伝わってきた。
松王丸が小太郎の潔さを褒め称え、御台所 園生の前(中村魁春)も揃い、皆が守りたかった菅秀才は守られた。悲しさは消えなくとも、松王丸と千代の白装束のように真っさらな気持ちで迎えた幕切れ。客席から、大きな拍手が送られた。新・菊五郎が、これから先の時代に、この役をどのように再演していくのか、期待が高まる『寺子屋』だった。
三、お祭り(おまつり)
心躍る笛の音のお囃子で、幕が開く。舞台上手には、清元節の演奏家が並ぶ。立唄は、清元栄寿太夫。歌舞伎俳優と清元節の二足のわらじで活躍する尾上右近だ。兄で、三味線方の清元斎寿との共演で、この幕を盛り上げる。
浅葱色の幕がパッと落とされると、舞台の真ん中に、片岡仁左衛門の鳶頭。粋でいなせな立ち姿に、一瞬で空気が華やぎ拍手がわいた。赤坂日枝神社の山王祭が題材の作品だ。鳶頭は、お祭りでお酒を楽しんでいたのだろう。足どりがフラリとしたかと思えば、すらっと立ち直り、観ているだけで、つられて心地が良くなっていく。片岡孝太郎の芸者も駆けつけて艶と華を添え、音羽屋の襲名を寿ぐ掛け合いでは、舞台と観客がうれしい気持ちでひとつになった。
花道に、鳶の者(坂東彦三郎、坂東亀蔵、中村隼人、中村歌之助)や手古舞(中村壱太郎、中村種之助、中村米吉、中村児太郎)がずらっと並び、舞台は一層勢いづく。若い者たちを相手に、仁左衛門の鳶頭が片肌を脱ぐと、鮮やかな刺青。それだけでも場内の空気はさらに温まる。2体の獅子舞が舞台を跳ね回り、観ているこちらまで元気になり、スカッとした活気の中で「昼の部」は結ばれた。
取材・文=塚田史香