高齢でメジャー挑戦した日本人投手の1年目と前年成績 菅野智之は偉大な先達に続けるか
2020年オフにポスティング申請も残留、35歳でFA移籍決断
巨人の菅野智之投手(34)が今オフに海外FA権を行使してメジャー挑戦することを表明した。今季は15勝3敗、防御率1.67をマーク。最多勝と最高勝率(.833)の二冠を確定させている。
2020年オフにメジャー移籍を目指してポスティングシステムを申請したが、契約が成立せず残留。その後は2021年は6勝7敗、2022年は10勝7敗、2023年は4勝8敗と成績が下降線を辿ったためメジャーへの思いは封印していたが、今季の見事な復活でFA権の行使を決断した。
通算136勝74敗、防御率2.43。最多勝4回、最優秀防御率4回、最多奪三振2回、最高勝率2回と数々のタイトルを獲得し、沢村賞とMVPにも2回輝いた実績は申し分ない。
ただ、10月11日で35歳になる年齢はネックだろう。これまで多くの選手は20代後半から30代前半で海を渡っており、一般的には体力的に下り坂に差し掛かる30代後半での挑戦は少ない。野手以上にスタミナを必要とし、滑りやすいボールや硬いマウンドへの適応も求められる投手ならなおさらだ。
とはいえ、過去にも高齢ながらメジャー挑戦して成功した例もある。改めて振り返ってみたい。
高橋建は40歳でメジャーデビュー
これまで最高齢でメジャー挑戦したのは高橋建。広島からFA宣言し、メッツへ移籍したのが40歳になる2009年だった。
マイナー契約したブルージェイズは3月末に解雇されたが、メッツとマイナー契約を結ぶと4月26日にメジャー初昇格。5月2日のフィリーズ戦に40歳でメジャーデビューを果たした(MLBでも史上3位の高齢記録)。同年オフ、1年で広島に復帰したが、MLBで通算28試合に登板している。
桑田真澄は2006年オフに巨人を退団し、パイレーツとマイナー契約。2007年6月10日のヤンキース戦でメジャー初登板を果たした時は39歳になっていた。
小宮山悟はロッテから横浜に移籍して2001年に12勝。同年オフに、ロッテ時代の監督でもあるボビー・バレンタインが指揮を執るメッツに移籍した。36歳で挑戦し、25試合に登板したものの勝ち星を挙げることはできなかった。
藪恵壹は2004年オフに阪神からアスレチックスに36歳でFA移籍。1年目の2005年は40試合に登板して4勝1セーブをマークした。
45歳まで現役を続けた斎藤隆、43歳まで投げ続けた高津臣吾
現在の菅野と同じ35歳で渡米した投手は3人いる。斎藤隆は横浜時代の2005年に3勝4敗だったが、同年オフにドジャースとマイナー契約。2006年4月9日のフィリーズ戦でメジャーデビューを果たした時は36歳になっていたが、同年はチーム最多の72試合に登板して6勝2敗24セーブ7ホールドをマーク。MLB通算7年で338試合に登板し、21勝15敗84セーブ39ホールドを挙げる礎を築いた。
現ヤクルト監督の高津臣吾は2003年にNPB最多セーブを更新し、オフにFA宣言。ホワイトソックスに移籍し、35歳だった2004年4月9日のヤンキース戦でメジャーデビューを果たし、松井秀喜が最初の打者だった。同年は59試合に登板して6勝4敗19セーブ4ホールド。引退までに日米通算313セーブを挙げる名クローザーとなった。
建山義紀は2010年オフに日本ハムからFA宣言。レンジャーズ入りし、35歳だった2011年5月24日のホワイトソックス戦でメジャーデビューを果たした。同年は39試合に登板して2勝を挙げた。
菅野もメジャー挑戦するチャンスとしては今回が最後のタイミングだろう。15勝を挙げた今オフならある程度の好内容で契約できる期待もある。
斎藤隆はメジャーから日本に復帰後、楽天で45歳まで現役を続けた。高津臣吾は韓国や台湾に渡り、最後は独立リーグの新潟アルビレックスで43歳まで投げ続けた。
偉大な先駆者に続き、菅野も野球人生の後半を充実させることができるか。巨人の背番号18を背負ってきた誇り高き右腕の挑戦に注目だ。
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記事:SPAIA編集部