【昭和の春うた】矢野顕子「春先小紅」テクノポップとカネボウ春のキャンペーンソング
リレー連載【昭和・平成の春うた】VOL.11
春咲小紅 / 矢野顕子
▶︎作詞:糸井重里
▶︎作曲:矢野顕子
▶︎編曲:ymoymo
▶発売:1981年2月1日
カネボウ化粧品春のキャンペーンソング「春咲小紅」
春うたの中でも、際立つ多幸感。テクノサウンドに乗る変幻自在のキューティーボイス。矢野顕子の「春咲小紅」が発売されたのは、1981年2月1日。今から44年前の、早春の日のことだ。
そう、カネボウ化粧品春のキャンペーンソングとして世に出た「春咲小紅」。この時代、化粧品会社は春、夏、秋のキャンペーンの際、膨大なテレビCMを流し、旬のアーティストを起用したキャンペーンソングを作っていた。特に春先に行われる資生堂とカネボウの対決は、音楽シーンの風物詩でもあり、この年のカネボウが矢野顕子「春咲小紅」なら、資生堂は松原みきの「ニートな午後3時」。思えばテクノポップとシティポップのぶつかり合いだったのだ。
ポップな浮遊感を出している糸井重里の歌詞
作詞はコピーライターの糸井重里が手がけている。同社が新たに発売する小ぶりのリップ『レディ80 ミニ口紅』をメイン商品に置き、キャンペーンタイトルも “春咲小紅ミニミニ”。このコピーがそのまま歌詞にも用いられている。糸井は前年に沢田研二の「TOKIO」を作詞し大ヒットに導いているが、コピーライターがカタカナ職業として若者層の注目を集め、ブームが起こるのはこの1年後ぐらいからである。
また「春咲小紅」という中国語風のタイトルは、当時、カネボウが北京の空港の免税店に初出店したことと関係があるのだそう。故に糸井の歌詞も英語のフレーズを一切用いないものになっている。さらに “ミニミニ” というコピーを活かすためか、「♪ふわふわ」「♪ユラユラ」「♪キラキラ」といった反復を多用し、その途中で1回だけ「♪ポチッと」という表現を用いて、ポップな浮遊感を出しているのが印象深い。
春の暖かな陽射しを感じさせるキュートな歌唱法
作曲と歌を手がける矢野顕子の起用も見事に当たった。中華風のメロディーラインは意識して作られたと思われるが、ちょうどこの時期、矢野顕子は大ブレイク中のYMOファミリーの一員として、1979年と1980年に行われたYMOのワールドツアーに帯同。さらに1980年にはYMOメンバーとともに加藤和彦の『うたかたのオペラ』制作のためベルリンに渡航。
そして、自身のアルバム『ごはんができたよ』にもYMOメンバーが全面参加と、テクノポップサウンドの中枢を担っていた時期である。この『ごはんができたよ』にはアグネス・チャンに提供した「ひとつだけ」のセルフカバー、YMOの「東風」に歌詞を載せて歌った「Tong Poo」、さらにYMOのワールドツアーでも披露された「在広東少年」など、チャイナテイストの楽曲が複数収録されており、その延長線上に「春咲小紅」の中華風の世界観が生まれたようにも思える。ちなみに編曲クレジットにあるymoymoとは、YMOの別名義。
矢野顕子の生み出すメロディーと、独特の歌唱スタイルも、この曲を魅力溢れるものにしている。ひとたび歌い出すと、声がリズムを伴って、跳ねるように響き渡る。「♪ほら 春咲小紅」を “ほうら はあるさき こうべにぃ” と歌う彼女のボーカルは、幼女のようなあどけなさと、妖精のような神秘性がある。その明朗なメロディーと、春の暖かな陽射しを感じさせるキュートな歌唱法は、強靭なサウンドに負けない力強さを持ち合わせているのだ。
「春咲小紅」はCMソングとして割り切って作った?
矢野顕子が他のピアノ弾き語りによるシンガーソングライターと大きく違う点は、その出自がジャズピアニストであることだ。高校を中退して青山のジャズクラブでピアノを弾いているうち、プレイヤーとしての仕事が増え、山下洋輔や坂田明といったフリージャズ系ミュージシャンとのセッションを行う。その傍ら、筒美京平に気に入られ、スタジオミュージシャンの仕事もこなし、さらには細野晴臣率いるキャラメル・ママからも声がかかる。最初はまさしくジャンル横断のピアニストだった。
1973年にザリバというバンドで「或る日」でレコードデビュー。この曲の作曲は筒美が手がけている。その後シンガーソングライターとして1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビューし、その個性的過ぎる作風で、音楽シーンにセンセーションを巻き起こしたのである。
ソングライターとしての独創性、プレイヤーとしての破格の腕前、ボーカリストとしての強烈な個性はいずれも唯一無二のもの。だが、その異端さゆえにそれまでチャートを賑わすヒット曲を持たなかった。「春咲小紅」も、CMソングとして割り切って作った曲なので、本人はそれほど思い入れもなかったそうである。
矢野顕子が世の中に “見つかった” 瞬間
ところがこの曲はCM効果もあって、オリコンシングルチャート最高5位まで上昇すヒットとなった。さらにTBSの『ザ・ベストテン』では最高3位を記録し、1981年3月12日の放送では、坂本龍一、高橋幸宏、大村憲司を従えて出演。ピアノを身体の一部のように自在に操りながらの演奏スタイルは圧巻で、観ているこちらはただただブラウン管に釘付けになった。これまでヒット曲とは縁のなかった矢野顕子が世の中に “見つかった” 瞬間である。
1980年代初頭は、YMO周辺、もっといえば、はっぴいえんどに始まる細野晴臣の周辺人脈のアーティストが、続々と音楽シーンでブレイクを果たしていった時期である。そう、矢野顕子もその1人。この強烈な異端の才能が多くの人々に受け入れられる土壌があった1981年という年は、なんと芳醇であったことか。
冒頭に、春うたの中でも際立つ多幸感があると書いたが、「春咲小紅」のアレンジと演奏はシャープかつパワフルで、圧倒的なスピード感がある。春の歌はあたたかくメロウな印象のものが多い中、実はかなりエッジの効いた、ポジティブで力強い、異色の春うたなのである。