52歳で脱サラ、福井を飛び出し日本橋で越前おろしそばを打つ。『御清水庵 清恵』中本好美さん【上京店主のふるさと噺】
地方から上京し、故郷の味を東京で伝えるべく奮闘する店主たちに聞く「上京店主のふるさと噺」シリーズ。第1回は、三越前にある越前おろしそばの店『御清水庵 清恵(おしょうずあん きよえ)』にお邪魔した。50代半ばで脱サラし、福井から出てきて店を開いたそば職人の信念、そして熱意の源を探る。
もっと注目されるべき、魅力の多い地方なのです
福井といえば、何を思い浮かべるだろう。東尋坊か、永平寺か、恐竜博物館か……。筆者が常々思っているのは、「福井って、おいしいもの多くね?」「それなのに、福井ってイマイチ影薄くね?」ということだ。
のっけから個人的な話で恐縮だが、筆者の母親は福井県出身。そのため、知らぬ間にその魅力を刷り込まれていたのかもしれないし、福井のDNAが食の嗜好性に影響している可能性も否定できない。しかし、越前おろしそば、越前ガニ、おろしそば、ソースカツ丼、水羊羹、焼きサバ、厚揚げ、へしこ……カニ以外は地味っちゃ地味だが(失礼!)、とにかく総じてレベルが高い。にもかかわらず、その魅力はあまり知られていないというのが筆者の独断と偏見、いや偏愛による主張だ。
縁のない人からは「北陸」でひとくくりにされ、位置関係も曖昧で、ひどいときは福岡や福島と間違えられる始末。2024年に新幹線が開通してようやく日の目を見つつあるが、本来ならば福井が持つ実力の虜になる人が続出してもおかしくないはずである。
そんな福井贔屓(びいき)の筆者が、「おろしそばが食べたい!」という衝動に駆られて訪れた『御清水庵 清恵』。日本橋の三越側のたもとにある、越前おろしそばをはじめとした福井の美味を味わえる店だ。
「福井の食はおいしい」という自信を胸に上京
店主の中本好美さんは、福井県福井市出身。福井市でサラリーマンとして働いていたが、52歳の時に妻・清恵さんを亡くした。
「退職まで7、8年あるけど、このまま終わりたくないと思って、知り合いのそば屋さんで打ち方を教わったんです。そうして打ってみたら、お前なかなか上手いな、となって」
そんな矢先に、親方が手を怪我してそばを打てなくなってしまう。それが12月30日のことだった。そば屋が1年で最も忙しい日に中本さんが代わりに厨房に立つことになり、なんと10kgものそばを打ったのだという。「草野球の選手がプロ野球に行っていきなりヒット打ったみたいなもんですよね」と言うが、まさに事実は小説よりも奇なり。中本さんがそば屋を開くのも、定められた運命だったのではないかと思う逸話だ。
その後、「福井のおいしいものを東京の人に食べてほしい」という思いを長年持っていたこともあり、東京で店を出すことを決意。勤めていた会社を辞め、そば屋で3カ月修業して上京する。
「今考えると、冗談やろっちゅう感じだけどね。やっぱり、なくすもの全部なくしちゃったら、怖いもんないね」と中本さん。「東京には失敗するつもりで来たんですよ。福井の食はおいしいっていう自信があったし、それを東京の人が受け入れてくれなかったら、やめて帰ろうと思ってました」。
東京でまず物件を探したのは神田周辺。その理由が「東京のそばといえば藪そばだって聞いたんで、名店たちの間に出そうと思って。せっかく東京でやるならど真ん中でやりたいっていうのもあったしね」という威勢のよさである。結局、最初に目星をつけた神田の候補が見送られ、日本橋のたもとにある現在の物件に出合った。
東京の中心も中心、なんといっても一等地である。脱サラして上京した中本さんには億単位の資金を用意することなど難しかったが、中本さんが打つそばにぞっこんだった北陸銀行の支店長が融資してくれることになった。「それがなかったら、店はできていなかった。トライすることでチャンスは巡ってくるんだなと思いましたよ」。
そうして『御清水庵 清恵』をオープンしたのが2002年5月末のことだ。
田舎にこそある自然の恵みを、東京に届けるために
看板メニューの越前おろしそばは、福井の農家から仕入れたそば粉を使い、外二(そば粉10に対してつなぎが2の割合)で配合して毎日手打ちする。つゆは大根のしぼり汁にかえしを加えたもので、大根の辛味がより際立って感じられる。越前おろしそばといえば大根おろしがのっているものが主流だが、福井でも1割ほどの店ではこのタイプのおろしそばを出すのだという。
「目から鱗の人も多いんですよ。おろしそばって、シンプルなのにこんなにおいしいのか!って言って」と中本さん。近辺で働く人のなかには福井に転勤した経験がある人も多く、一度食べた福井の味が恋しくなってこの店に入り、東京の真ん真ん中にある本物の福井の味に驚いたという声も少なくないそうだ。
ランチタイムにはセットメニューとして、好きなそばにプラス200円でミニソースカツ丼や焼き鯖寿司などをつけることも可能。また、越前おろしそばの他にも福井の食材を使った酒肴もそろい、そば前も楽しめる。
中本さんが絶対にぶれないようにしていると話すのが、福井の食材を使うこと。そして、調理するうえでベースにしているのは、中本さんの母が作ってくれた昭和の味だ。「日本中どこでも、田舎へ行けば行くほど食べものはおいしいんです。素材がいいからね」。
店名に冠する「清恵」は亡くなった妻の名前。そのお墓がある寺の掲示板に「清らかな自然の恵みが体に一番よい」と書いてあったのを見て名付けたという。「ちょうど妻の名前が入っていると気づいたのと、“清らかな自然の恵み”はやっぱり福井にあるなと思って」。
これからは、福井の“清らかな自然の恵み”、そしてその生産者にスポットライトが当たるよう、さらに現地の食材や郷土料理を仕入れて提供していきたいという。手間暇かかるもので生産量も限られているという壁はあるが、「田舎のおいしいものを見つけて、東京で伝えていきたいね」と中本さん。
福井弁を感じられる中本さんの話し方は、やさしくてあたたかい。「サラリーマンをやってたから、お客さんのサラリーマンの気持ちがわかるんだよ」と言うが、その思いやりと人柄もまた、この店が長く愛されている理由の一つなのだろう。
『御清水庵 清恵』店舗詳細
御清水庵 清恵(おしょうずあん きよえ)
住所:東京都中央区日本橋室町1-8-2 日本橋末広ビル1F/営業時間:11:00~13:30・17:00~22:00(21:00LO)/定休日:土・日・祝/アクセス:地下鉄銀座線・半蔵門線三越前駅から徒歩1分、地下鉄日本橋駅から徒歩4分
取材・文・撮影=中村こより
中村こより
もの書き・もの描き
1993年東京生まれ、北海道育ち。中央線沿線に憧れて三鷹で暮らした後、坂のある街に憧れて現在は谷中在住。好きなものは凸凹地形、地図、路上観察、夕立。挑戦したいことは測量と東海道踏破。