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松任谷由実「タワー・サイド・メモリー」、内山田洋とクールファイブ「そして、神戸」を聴きながら神戸を歩く【街の歌が聴こえる・神戸編】

さんたつ

神戸9

松任谷由美が1981年(昭和56)11月にリリースしたアルバム『昨晩お会いしましょう』の1曲目に収録されている「タワー・サイド・メモリー」は、神戸が舞台の歌だ。横浜ではない。ユーミンには珍しく神戸なのである。

松任谷由実「タワー・サイド・メモリー」(1981年)

80年代地方博ブームの走りとなったポートピア’81

「海を見ていた午後」の歌詞〝山手のドルフィン〟の印象が強すぎて、ユーミンが唄う〝港〟や〝海〟といえば、横浜しか思い浮かばなかった。

しかし、彼女は神戸にも馴染みが深い。仕事でも幾度か訪れているが、最初に来たのは観光旅行で。その時に宿泊したのが「神戸タワーサイドホテル」だったという。

このホテルは平成21年(2009)に「神戸ポートタワーホテル」に名称変更をして、現在もポートタワーのすぐ側に建立っている。

はじめて過ごした神戸の夜。客室の窓から眺めたポートタワーに、どんな思いを抱いたのだろうか。

神戸の象徴ポートタワーは、世界初のパイプ構造の建造物として登録有形文化財にも指定されている.

この歌が発表されたのは、神戸港沖に人工島のポートアイランドが完成した頃。日本のウォーターフロント開発の先駆けだった。ポートアイランドを会場に開催された博覧会「ポートピア’81」や、繁華街の三宮と博覧会場を結ぶ新交通システム「ポートライナー」も話題になっていた。

それらは、歌詞のなかでも登場する。

ポートピア’81には半年間で1600万人が入場し、地方博覧会としてかなり成功した部類。その後は調子に乗って、似たような博覧会があちこちで開催されるようになる。80年代の地方博ブームってやつ。

大盛況だったポートピア’81は、同年9月に閉会している。曲の発表はその2カ月後の晩秋。祭りのあとの寂しさが、唄から伝わってくる。

ユーミンは祭りの後の神戸に何を見た?

しかし、ポートライナーやポートピアよりも印象深かったのは、曲のなかで連呼される「kobe girl」のワードだ。

はじめて訪れた神戸の街で最もユーミンの印象に残ったのは、街を闊歩する女の子たちだったか?

旧外国人居留地には、いまも重厚な石造りのビルが立ち並び異国情緒が漂う。

80年代の日本は、現代よりも風俗文化に地域性が色濃かった。同じ関西でも大阪と神戸では、言葉やファッションが微妙に違う。

「神戸の女性はオシャレ」

関西圏ではそんなイメージが根強かった。古くから外国人居留地が設置された国際貿易港、欧米の文化が入るのも早い。戦後はアパレルメーカーが多く本社を置くようになった。また、昭和48年(1973)には街をあげて「ファッション都市宣言」なんてこともやっている。

昔からオシャレには熱心な土地柄だ。

山裾の高台に古い洋館が立ち並ぶ北野異人館街は、神戸でも随一の観光名所。

70年代後半になると、神戸から発生した「ニュートラ」と呼ばれるファッション・スタイルが雑誌『an・an』で取りあげられて注目される。横浜発祥の「ハマトラ」に対抗して、当時の女子大の間で大流行した。

また、曲が発表された80年代初頭の頃は、神戸から始まった「エレガンス・ファッション」がファッション雑誌で頻繁に紹介され、こちらも日本全国に広まっていた。

ニュートラもエレガンスも、阪神間の山手エリアに住む富裕層の女性が好んだファッションがその根底にあるという。

カジュアルな感じだが、靴やバッグなどに凝ったデザインの高級ブランドを取り入れたりする。「上品」「高級感」というのが神戸ファッションの基本だ。

他所の地域から来て三宮や元町あたりの繁華街を歩けば、思わず振り返って見てしまう女のコがいっぱい。

Kobe girl……。

この眺めもまた、海や港と同じで、神戸でしか味わえない旅情だったのだろう。

元町通りのアーケードは神戸でいちばん賑わう繁華街だ。

内山田洋とクールファイブ「そして、神戸」(1972年)

悲恋の歌が震災の復興ソングに

しかし、最近はどうだろうか?

「神戸=ファッション」のイメージはかなり薄れた感じがする。世代によっては震災の印象のほうが強かったりするのかもしれない。

1995年(平成7)1月17日に発生した阪神・淡路大震災。テレビの臨時ニュースで、倒壊した高速道路の橋桁を目にした時の衝撃はいまも忘れない。

この年には「そして、神戸」がよく聴かれるようになる。ムード歌謡全盛期の1972年(昭和47)に、内山田洋とクールファイブが唄ったヒット曲。20年以上も前の曲が神戸の応援歌に。復興ソングとして復活した。

同年の紅白歌合戦では、神戸の夜景を生中継しながら「そして、神戸」が歌われた。神戸市民を中心に10万人以上の署名を集めて実現したものだという。

歓楽街の盛り場で出会った男女の恋物語。そして最後は悲恋、女の涙で終わる……というのが、昭和40年代のムード歌謡の定番だった。「そして、神戸」もまた、男に捨てられた女の悲恋を唄ったものだ。

曲が発売された当初、これを聴いた人々はネオンの灯がともる新開地あたりの路地を想像しただろう。

しかし、いまこの曲を聴くと、私には震災の半年後に神戸を通過した時に見た光景。ブルーシートに覆われた家々の眺めが脳裏に浮かんでくる。

若者に人気のスポットに震災の痕跡

メリケンパークに行ってみる。

幕末期からある神戸最古のメリケン波止場と、神戸ポートタワーのある中央堤の間の水路を埋め立て造った公園だ。

メリケンパークは平成29年(2017)にも、神戸港150年記念事業として大規模なリニューアル工事がおこなわれている

完成は昭和62年(1987)だから「そして、神戸」の頃はもちろん、ユーミンが「タワー・サイド・メモリー」の頃もまだ、この景観はない。

公園内は数年前にもリニューアル工事がされて、オシャレなカフェもできている。関西圏では人気のデートスポット。だが、その東側の一角には、崩れて朽ち果てたコンクリートの岸壁が波に洗われる眺めがある。そこだけ、なんか雰囲気が違う……。

震災で破壊された岸壁を当時のままに残して保存したものだという。

阪神・淡路大震災で崩壊したメリケン波止場

震災の教訓や復興に努めた人々の尽力を後世に伝えるモニュメントなのだとか。この時にまた「そして、神戸」が耳の奥底から聴こえてきた。

それは、盛り場のネオンや六甲山からの街の夜景よりも、この曲が思いだす眺めだった。同じ曲を聴いていても、時が過ぎればその印象は大きく変わる。

取材・文・撮影=青山 誠

青山 誠
ライター
歴史、紀行(とくにアジアの辺境)、人物伝などが得意分野。大阪芸術大学卒業。著書に『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』『首都圏「街」格差』 『江戸三〇〇藩城下町をゆく』『戦艦大和の収支決算報告』ほか多数。ウェブサイト『BizAiAi!』で「カフェから見るアジア」、雑誌『Shi-Ba』で「日本地犬紀行」を連載中。

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