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国の登録有形文化財「旧木下家別邸」。現存する日本最古のツーバイフォー工法住宅を活用したレストラン「大磯迎賓舘」を訪ねた

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関東大震災にも耐えた築110年の住宅建築「旧木下家別邸」

アーリーアメリカンの建物は関東大震災にも耐え、昔日の姿を今に伝えている

神奈川県大磯町は、明治から大正にかけて、政治家や文化人、実業家などの別荘が数多く建てられた地。JR東海道線大磯駅前に残る「旧木下家別邸」もその一つである。

この建物は貿易商だった木下建平(きのしたけんぺい)の別邸として、1912(大正元)年に建てられた。木下は貿易商の仕事を通じてアメリカでキャリアを築いた建築家小笹三郎(おざささぶろう)と知己を得たようで、現存する建物は小笹の設計による1923(大正12)年の関東大震災に耐えた建物だ。

小笹はアメリカで建築活動を行ったごく初期の日本人で、ワシントン州シアトル市には小笹設計のパナマホテルの建物が1910年の開業以来、今日まで現存している。パナマホテルは現在もホテルとしての営業を続けているが、「シアトル日系米国人博物館」ともされておりアメリカのナショナル・ヒストリック・ランドマークになっている。
小笹が帰国したのは1911(明治44)年。旧木下家別邸の竣工は1912(大正元)年だから、帰国してすぐに手がけた仕事だったことは間違いない。

建物を正面から見るとざっくりとした印象はシンメトリー。屋根は直線的で、帯板と二等辺三角形の外観を作る。下見板張り、白塗りの外壁は、アーリーアメリカンのイメージを強調したファサードになっている。

「旧木下家別邸」の建物のファサード。下見板張りの外壁は白ペンキ塗り、これに対し帯板やモールディングなどはライトグレーに塗り分けて、シンプルな色使いながらアクセントを見せている

それまでの大磯の別荘建築は、ジョサイア・コンドルが大磯に建てた自身の別荘ですら和洋折衷であったことから想像できるように、和風建築や和洋折衷建築が主流だった。当時の日本人にとっては、生活空間の基本は和風だったのだろう。そんななかで建てられたこの本格的な西洋館は、施主も建築家もアメリカでの生活体験があったから実現できたのかもしれない。

大磯駅前に特徴的な佇まいをみせている西洋館

旧木下家別邸を横方向から見る。3階部分、建物の大棟と直角方向に突き出した三角屋根がドーマーウィンドウ。一般的なドーマーウィンドウは採光や換気のために設けられる屋根付きの小窓だが、この建物の場合は3階(屋根裏部屋)の小屋組みを形成しており、ある意味特殊な構造といえそうだ

旧木下家別邸は大磯駅前の三差路の角地にあり、敷地は三角形という変則的な場所。しかも高台から海に向かって急峻な坂を下る崖の際にあって、敷地に余裕はない。そんな場所に建ち、しかも変則的な敷地を有効に利用している。敷地の三角形の頂点を入口とし、入口から建物まで前庭を設け、奥に木造三階建の邸宅が立つ。
大磯駅前という立地で、町のイメージを決定づけるような印象的な建物だ。

1階は、階上にバルコニーを持つ玄関ポーチを中央に、左右には台形に張り出したベイウィンドウ(出窓)をシンメトリックに配置。玄関ポーチの柱には線彫(せんぼり)の装飾を施して、上部はシンプルなアーチを描く。いかにも西洋館らしいファサードである。
2階はバルコニーを中央に、左右は1階のベイウィンドウをそのまま2階部分にも延ばし、小屋根を設けている。小屋根と3階床線の帯板(おびいた)、それに3階の屋根の幕板(まくいた)を同じ色にして統一感を出し、また、バルコニーの床面と外壁の2階床線の帯板を、わずかに高さを変えることで外観に変化をつけている。

そして、外観に大きなインパクトを与えているのは、正面三角屋根の左右に大きくせり出したドーマーウィンドウ。大きすぎるほどの存在感で、建物の横に回って見上げると、窓も大きく、ドーマーウィンドウというよりも屋根裏部屋のような印象すら受ける。

大磯が別荘地として栄えた時代に建てられた旧木下家別邸

本屋の右手前にある物置には、関東大震災の際に農産物などを貯蔵し、人々に割安で分けていたというエピソードが伝わる。物置といえども本屋と同様のイメージで建てられており、全体の雰囲気と調和している

旧木下家別邸が建てられた1912(大正元)年頃は、大磯に多くの人々が別荘を建て、いわば建設ラッシュのような状況だった。明治末期には約170戸、1921(大正10)年には200戸を超える別荘があったとされている。旧木下家別邸もそうした時代のなかで建てられた。

大磯が別荘地として栄えた背景には、南に相模湾、北は高麗山など大磯丘陵に挟まれ、冬は温暖、夏は海からの風で涼しいという地形的特徴、1887(明治20)年に開業した東海道線大磯駅によって新橋から約2時間で到着できる利便性、そして江戸時代に東海道の宿場だったことから宿泊施設や飲食店、遊女のいる施設など基本インフラができており、別荘利用者への旅客対応もスムーズに行われたことなどがあげられる。

そして、初代内閣総理大臣の伊藤博文が別邸を建て、本籍も大磯町に移すと、政治家や官僚が大磯詣でに訪れるなど「政治の舞台」としての役割も担うようになった。大隈重信や原敬、吉田茂など、大磯には8人の首相経験者が別荘や邸宅を構え、「明治政界の奥座敷」と呼ばれるほどであった。また、東武グループ創始者の根津嘉一郎、清水組(現・清水建設)4代目・清水満之助ら実業家なども別荘・邸宅を構えるようになり、大磯の別荘文化は隆盛期を迎える。しかし、1923(大正12)年の関東大震災で多くの建物が被害に遭う。そうしたなか、旧木下家別邸は震災を耐えて今日まで残る歴史建築なのだ。

玄関ポーチの脇のベイウィンドウは外観のアクセント。特に窓の亀甲格子が印象的だ

2012年に国登録有形文化財に。現在はレストラン「大磯迎賓舘」として保存活用

1階の天井と2階の床面が合致せず、別々のラインを描く。この部分がベイウィンドウということもあるが、1階と2階に通し柱がなく自由度が高いことと無縁ではない

旧木下家別邸は、完成してわずか7年で木下建平の義弟(妻の弟)である機械輸入商の山口勝蔵氏に土地・建物とも売却され、1951(昭和26)年まで山口家が所有した。その後複数の所有者を経て、平成に入ってからフレンチやイタリアンのレストランとして使われていた。
しかし、洋館の敷地が競売にかけられようとしていたことから、歴史的な建物を保存するため2010(平成22)年に大磯町が土地を購入すると、建物は旧所有者により大磯町に寄贈された。

建物と土地が大磯町の所有となると、町による建物の調査が行われた。それにより、建物に使用されているスタッド材(間仕切り壁などの補強に用いられる下地の角材)が、2インチ×4インチ材と2インチ×3インチ材であること、隅柱が通し柱ではなく、1階・2階の柱材がそれぞれ独立していて、1階部分を建ててその上に2階部分を載せる、というプラットフォーム工法になっていることなどが判明。
プラットフォーム工法は建物を柱ではなく壁で支える工法であり、これはすなわちツーバイフォー工法である。旧木下家別邸は、日本の建築史においてツーバイフォー工法で建てられたごく初期のものであることが明らかとなり、建築的価値が証明された。2012(平成24)年には町内で初めて、文化庁の「国登録有形文化財」に登録され、さらに景観法に基づく「景観重要建造物」に指定された。国内に現存するツーバイフォー工法による住宅建築としては、最古とされている。

新館のレストランホール。競売にかけられる以前の増築だが、全体のイメージやインテリアなどで本来の建物と違和感のない雰囲気を作り出している
竣工当初サンルームだった部屋は、現在は海を眺めるラウンジになっている

大磯町では建物を保存しつつ活用する、ということで企画案のコンペを実施、最終的にはインターナショナル青和株式会社のプランに決定した。同社は新宿区河田町の「小笠原伯爵邸」で、昭和初期に建てられた旧小笠原長幹(おがさわらながよし)伯爵のスパニッシュ様式の邸宅をスペイン料理レストランとし、さらに小笠原伯爵家や邸宅が建てられた当時の情報などを収集する資料センタープロジェクトを展開するなど、歴史建築の保存活用に実績がある企業。

そして現在、この旧木下家別邸は建物を保存しながらイタリアンレストラン「大磯迎賓舘」として営業している。建物の保存に関しての意識は非常に高く、たとえばレストランとしての営業のためエアコンを設置する際、当初の大磯町のプランでは外壁にダクトの穴を開ける想定だったものをレストラン側が猛反対したという。費用がかかっても建物に影響の少ない工法を採用するに至ったというエピソードも伝わる。

館内のドアは、ドアノブの位置が低くなっている。木下家別邸時代の使用人が、後ろ手でドアを操作しやすくするためのものだったという

建物内にあふれる大正ロマンの薫り

旧木下家別邸の平面図。1階は玄関からまっすぐに廊下が延び、突き当たりは庭に出るドアでその先に新館ホールがある。廊下の左右に部屋があり、廊下と直角に階段と通路が交差する。2階はサンルーム(ラウンジ)を設けているのが特徴

玄関から屋内に入ると、正面にまっすぐ廊下が続き、廊下の先は前オーナー時代に増築されたレストランのホールになっている。ホールを建てる以前は海を見下ろす庭園だったという。廊下には直角に通路と階段がつながり、廊下・通路・階段で十字型の平面を描く。この十字型の四方に個室があり、うち1室はパントリーとなっているが他の3室は旧態を遺した個室となっている。

屋内の複数の場所を彩るステンドグラス
2階サンルームの窓の上部は、ステンドグラスと幾何学模様格子の組み合わせ。新館ホールの地中海風の瓦屋根越しに相模湾が望める

階段を上がった2階も、3室は旧態のままの個室となっているが、海に臨む東南側がサンルーム(現在はラウンジとして使用)となっているのが特徴だ。
サンルームのステンドグラスや、西洋建築では普遍的なモチーフであるアカンサス模様で装飾されたドアノブ、部屋ごとに異なる照明器具の一部などは大正時代の竣工当時のものと考えられるという。現在に至るまで何度か増改築を重ねており、特に以前のオーナーがレストランとしていたときに、他の新しいステンドグラスや照明が設置されたが、それらも大正ロマンの雰囲気に合わせたものが使われている。

(左上)大正ロマンの雰囲気の個室の照明器具 (左下)ベイウィンドウのある個室(右)アカンサス模様の施された竣工時のままのドアノブ

地域の人たちの交流の場としても活用されている

夜になっても印象的にたたずむ旧木下家別邸

大磯迎賓舘では、レストランとしての営業はもちろんだが、地域貢献も視野に入れて活動している。食材は地産地消をモットーに、たとえばイタリア料理に欠かせないトマトは「大磯産ソーシャルファームのみつばちトマト」、特産の柑橘である「湘南ゴールド」はドルチェやオリジナルカクテルなどに用いている。1階の個室のひとつでは地場産品などの販売も行っている。

また結婚式や成人式のパーティ、カルチャースクールの教室、地域交流の多目的スペースなどにも使用されることで、地域の活性化や雇用の拡大などにもつながっている。

歴史的建造物だけにレストランの営業中に見学希望者が訪ねてくることも少なくないという。これはレストラン客を優先するため断らざるを得ないというが、見学希望者が後を絶たないということで、毎月2回ほど、NPO法人大磯ガイド協会のメンバーによる案内解説をともなった所要1時間程度の見学会(予約制・ガイド費用1人200円)も実施しており好評という。見学会に参加した人が次は客として来店することもあり、これも地域貢献・活性化の一端といえるだろう。

歴史的建造物を守り伝えたい、町と企業と人々のコラボによって実現した、それが「大磯迎賓舘」というレストランなのだ。

個室のひとつは結婚式の際、新婦控室として利用されている

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