どうして韓国人は繰り返し福岡を訪ねるのか? 「旅行」から見えてくる、韓国社会の成熟【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」
人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます
流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。
第1回から読む方はこちら。
#17 또쿠오카(トクオカ)
つい数日前、韓国では秋夕(チュソク)の連休が終わった。今年は開天節(ケチョンジョル)(10月3日)やハングルの日(10月9日)がうまく重なり、最長で10日間の大型休暇となった。
旅行会社の予約データによれば、日本行きの便は連日ほぼ満席。人気の行き先として福岡、東京、大阪が上位を占めた。なかでも福岡に観光客が集中し、連休前からホテルの予約が取りにくい状況が続いたという。
最近はSNSに「또쿠오카(トクオカ)」ということばが並び、週末のLCC(格安航空)便が満席になることも珍しくない。「또쿠오카(トクオカ)」とは、「또(ト)(また)」と「후쿠오카(フクオカ)(福岡)」を組み合わせたことばで、そのまま「また福岡(へ行く)」という意味だ。
「また行ったよ」と笑いながら言える軽やかさのなかに、旅をめぐる価値観の変化がにじむ。週末を使った日帰りや1泊2日の「海外小旅行」が、いまの韓国では当たり前の選択肢になっているのだ。
今回は、この小さな造語を手がかりに、韓国人の「旅のしかた」と社会意識の変化をたどってみたい。
韓国人にとって、福岡は近くて安い!
「또쿠오카(トクオカ)」ということばが生まれたのには、いくつもの理由がある。
「또쿠오카(トクオカ)」のブームを支えるのは、「短い休みをどう楽しむか」という日常感覚だ。忙しい生活の合間に生まれた、現代韓国らしい旅のスタイルと言える。
韓国では長期休暇をまとめて取るのが難しく、「3日休めれば海外へ」という感覚がすっかり定着した。週末に1〜2日を足して出かける「週末海外」も珍しくないし、秋夕(チュソク)や旧正月のような連休には、有給を加えて少し長めに旅する人も多い。
LCC路線の発達も、その流れを後押しした。ソウルや釜山(プサン)などの韓国主要都市から福岡まではおよそ1時間、運賃は時期によって差があるものの、往復で15万〜20万ウォン(約1.5万〜2万円)だ。済州島(チェジュド)への国内旅行と大差ない。
短時間・低コストで「海外気分」が味わえる福岡は、現代の韓国人にとって理想的な旅行先になった。「近隣の国々へ気軽に出かける」というライフスタイルが一般化したことも大きい。
日本を旅行する韓国人の8割がリピーター
韓国観光公社の調査によれば、日本を訪れる韓国人旅行者の約8割が「リピーター」だという。かつての韓国では、同じ場所を再び訪れるような旅行はそう多くなかった。「또쿠오카(トクオカ)」は、そうした「常識」がひっくり返ったことを示す象徴的なことばでもある。
最近では、「또쿠오카(トクオカ)」から派生して「또쿄(トキョ)(また東京)」「또사카(トサカ)(また大阪)」「또포로(トポロ)(また札幌)」といったことばも現れた。SNSでは「毎回少し違う楽しみがある」という声が聞こえてくる。「同じ場所にまた行く」ことが特別なことではなくなっているのだ。
この変化が生まれた背景には、韓国社会の大きな価値観の転換がある。
1990年代から2000年代にかけて、韓国では海外旅行が一種のステータスだった。経済成長とともに海外に出かけることが可能になり、「パリに行った」「ニューヨークを見てきた」と語ることが、豊かさの証とされた。
ところが2010年代に入ると、SNSの普及で旅の意味が変わった。「行ったことのない場所」「初めての体験」を投稿することが、センスや行動力を示す手段になったのだ。つまり、旅は「豊かさの証」から「自分らしさの表現」へと変化した。 だが、パンデミックを経てこの価値観は大きく揺らいだ。海外に行けない期間が続き、人々は「旅とは何か」を問い直すことにる。再び国境が開いたとき、韓国の人々が選んだのは「新しい場所」ではなく「行き慣れた場所」だった。
「また行く」という選択には、韓国における個人主義の成熟が感じられる。自分にとって心地よい場所を大切にして、見栄や競争とは距離を置いているからだ。「또쿠오카(トクオカ)」が広まったのも、そうした下地があったからだろう。
旅の記録から自分を見つめ直す
福岡を何度も訪れる人たちのSNSやブログをのぞくと、写真を撮って記録を残すことを重視する人が目立つ。それも、派手な観光地ではなく、ホテルの窓から見た空や、空港のカフェで撮った1枚だ。
日常に近い光景を収めた写真は、誰かに見せるためのものではなく、自分自身の記憶を確かめるための記録だ。前回と同じカフェを訪れ、前回と同じアングルで写真を撮っている投稿も多い。旅の目的が「初めて」から「リピート」へと変化し、そこで未来の自分のために記録を残す。それはまるで、旅を「続きもの」と捉えて、個人の時間を積み重ねてページを編集しているかのようだ。
パンデミックの期間中、韓国人の多くが写真整理や体験記録に熱中した。外出制限の中で過去の旅写真を見返し、SNSや小冊子にまとめる動きが広がったのだ。「旅に行けないなら、記録を旅する」時代だった。
この動きを支えたのが、オンライン印刷サービスの進化だ。個人でも少部数の冊子制作が可能となり、自費出版プラットフォーム「부크크(ブックク)」では、原稿や写真データをアップロードするだけでISBN付きの本を1冊から作ることができる。
こうした「自分の旅を1冊にまとめる」需要から、写真と短い日記を組み合わせた「旅行ZINE」が静かな人気を呼んでいる。旅の記録は、過ぎ去った出来事を「自分の歴史」として可視化する手段だ。デジタルで何でも保存できるいまだからこそ、紙の本で残すことに特別な意味があり、その物理的な「完結感」が旅の一つの区切りとなっている。
過去の自分に会いに行く旅
「또쿠오카(トクオカ)」を支持するのは、「소확행(ソファッケン)(小確幸、連載第6回参照)」を重んじる20〜30代の若者たちだ。
彼らは、就職難や住宅難などで将来への見通しが立てにくいなかで、「大きな夢」よりも「いま確実に感じられる小さな幸せ」を大切にする。또쿠오카(トクオカ)は、そんな소확행(ソファッケン)(小確幸)的な生き方の延長線上にあると言えそうだ。
ヨーロッパや遠い国への憧れではなく、手の届く範囲で確実に得られる充足感。「또쿠오카(トクオカ)」に代表される「また行く」という選択は、無理をしない生き方そのものなのだ。
「また行く旅」は日本やヨーロッパでも見られる現象で、「未知を制覇する」より「好きな街を深める」旅として、世界的なスロートラベルの流れとも共鳴している。
未知を求める旅から、既知を確かめる旅へ。「また行く」ことを恥ずかしがる時代から、「また行ける」ことを喜ぶ時代へ。こうした価値観の変化もまた、韓国社会の成熟を示している。
「또쿠오카(トクオカ)」ということばは、単なる流行語ではない。そこには、効率や成果を求める日常から一歩離れ、自分のリズムを取り戻すという静かな希望が込められているように思う。
同じ場所を何度も訪れるという行為は、過去を繰り返すことではなく、そのたびに少し違う自分を見つけることだ。新しい発見を求めて福岡を旅するのではなく、「過去の自分に会いに行く」ような感覚。「また行く」という選択のなかに、いまの韓国が、そして私たち自身の生き方が映し出されている。
プロフィール
金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。
タイトルデザイン:ウラシマ・リー