【毛沢東は歯磨きが大嫌いだった】 主治医が暴露する大量の歯垢と黒ずんだ歯
毛沢東の主治医・李志綏(り しすい)とは
毛沢東は、中国共産党を率い、近代中国の形成に大きな役割を果たした人物である。
そんな彼には、長年にわたり健康管理を担った李志綏(り しすい)という個人医師がいた。
李志綏は北京で生まれ、代々医師を務める家系に育った。
曽祖父は清朝時代に皇帝の主治医を務めた人物であり、その伝統を受け継いだ李は、1954年から1976年の毛沢東逝去まで、主治医として健康管理に携わった。
彼はその長い経験をもとに、毛沢東の健康状態や日常生活を詳細に記録しており、その内容は非常に興味深い。『※毛澤東私人醫生回憶錄(毛沢東の私生活)』
今回は、その記録の中から「毛沢東の口内環境」にまつわるエピソードを紹介する。
身体検査が大嫌いだった毛沢東
李によると、毛沢東は過去の経験から身体検査を非常に嫌う人物だったという。
1951年、ソ連から医師団が訪れ、毛の身体検査を実施した。
この検査は半日に及ぶものであったが、その煩雑さと不快な手順に毛は激しく憤慨したという。これ以降、毛は医者全般を毛嫌いするようになったのだ。
また、毛自身が「自分の健康には問題はない!」と強く信じていたため、身体検査を受けさせることは容易ではなかった。
あるとき、「戦争」の話題が出てきたのをヒントに、李はこう話を切り出したという。
「人間の体内にも『戦闘部隊』である白血球がいます。以前の検査結果では主席の白血球数が少し高くなっており、どこかで炎症が起きている可能性があります。」
毛が「それで、どうすればいいのか?」と尋ねたため、李は「鼻腔や歯、喉、前立腺などを簡単に調べれば原因がわかるかもしれません。検査は30分もかかりません」と説明した。
毛は、この説明には納得し、ようやく検査に同意したという。
そして検査に取り掛かると、彼の口腔内は予想を遥かに上回る状態だったのだ。
毛の口内環境
最初に鼻腔と副鼻腔の検査を行ったが、特に異常は見つからなかった。
その後、口腔内の検査に移ると、李は驚愕した。
毛の口腔内はかなり劣悪な状態で、歯には大量の歯垢が蓄積し、表面には緑色の膜が形成され、一部の歯茎を軽く押すだけで膿が出るほどの状態だったのだ。
原文 :
又查口腔,牙齿上积垢太多,成了一层绿色膜。毛保留着农村习惯,从来不刷牙,睡醒后,最多只不过用茶水漱口,叫他看牙医更是比登天还难。意訳 :
さらに口腔を調べると、歯に汚れが溜まり、緑色の膜が形成されていた。毛は農村の習慣を保ち、まったく歯を磨かず、起床後に茶でうがいをする程度であった。歯科医に診てもらうよう促すのは、天に登るよりも困難であった。引用 : 『毛澤東私人醫生回憶錄 李志綏』
毛沢東は幼少期から歯を磨く習慣がなく、起床後にお茶で軽くうがいをする程度であった。
この酷い口腔の状態を目にしたとき、李は元帥だった彭徳懐(ほう とくかい)から、かつて言われた言葉を思い出したという。
「毛主席の歯はまるで緑色のペンキを塗ったようだ。歯を磨くよう説得してみたらどうだ?」
李が、この口腔の状態を正直に報告すると、毛は意外にもすんなりと受け入れた。そしてこう答えた。
「それで、どうすればよい?お前が考えろ。」
歯科医による診療
李は毛に対し、専門の歯科医による診療を受けることを勧めた。
歯科について多少の知識はあったものの、自分では専門的な治療を施すことができなかったからだ。
毛は李の提案を受け入れ、二日後に北京医学院口腔医学部の張光炎(ちょう こうえん)医師を招き、診察を受けることとなった。
張医師は李の学生時代の同級生で、非常に親しい間柄だったという。
診療が始まると、張医師はまず毛の歯に厚く堆積した歯垢を除去した。続けて、左上の第四歯を抜歯する必要があると診断した。
彼は慎重にこう説明した。
「この歯の周囲にはすでに膿が溜まっています。歯もぐらついており、放置すれば隣接する歯に悪影響を及ぼします。」
毛は、少し驚いた様子で尋ねた。
「そんなにひどいのか?」
張医師は真剣な表情で答えた。
「はい、このままでは周囲の歯にも影響が出ますので、抜歯するしかありません。」
毛は納得し、「わかった。それならそうしてくれ。ただし、私は痛いのが怖い。多めに麻酔を使ってくれ」と付け加えた。
実際には歯は非常に緩んでおり、軽く操作するだけで簡単に抜けたが、それでも麻酔を使用することで毛の安心感を優先したのだ。
抜歯が終わると、毛は機嫌よく笑いながらこう言ったという。
「英美派、万歳!」
※「英美派」とは、当時の中国で西洋文化に影響を受けた人々を指す言葉であり、毛沢東は西洋医学を使った治療を皮肉るように冗談を発した。
その後、李は歯ブラシと歯磨き粉を用意し、毎日歯を磨くよう忠告した。
毛も一度はこれを受け入れたものの、数日後には再び歯を磨かなくなってしまった。
晩年の毛は再び歯科医を避けるようになり、口腔内の状態はさらに悪化していったという。
最終的に歯は真っ黒に変色し、一本また一本と抜け落ちていった。毛は外見をほとんど気にしなかったため、写真に写る彼の歯が黒ずんでいる様子は隠しようがなかった。
毛沢東は、生涯を通して歯磨きを嫌い続けたのである。
参考 : 『毛澤東私人醫生回憶錄 李志綏』他
文 / 草の実堂編集部