「対等な関係性」をいかにつくるか?──𠮟らない時代のスポーツ指導から見えてきたものとは【𠮟らない時代の指導術】
指示がなくとも自ら動き、成長し続ける力はどうすれば育めるのか。ヒントは「𠮟る指導」からの転換が急がれる、スポーツ育成の最前線にあった。ドラフト選手を次々輩出する無名校の「環境整備」の秘訣、五輪金メダルを生んだ「問いかけ」の心理的効用──。「消えた天才」を生まないためのスポーツ現場の取り組みには、子育てからビジネスまであらゆる指導に応用できる驚きのスキルが詰まっていた。
2025年8月8日に発売となる島沢優子 著『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』の刊行を記念し、本書冒頭を特別公開。
「消えた天才」は「消された天才」
白い頰が涙で濡れていた。
「島沢さんの話を聴いて、この大学に入ってよかったと初めて思いました」
授業後、私に向かって歩いてきた女子学生はそう言った。かすれた声だった。
東京都西東京市にある早稲田大学東伏見キャンパス。私は2024年6月、スポーツ科学学術院教授で運動部活動研究の第一人者である中澤篤史に依頼され、スポーツ社会学のスポット授業を行った。2012年12月に大阪市立(現府立)桜宮高校バスケットボール部の男子生徒が監督による暴力やパワーハラスメントを苦に自死した事件をはじめ、スポーツ現場の不適切指導の背景などをジャーナリストの視座から伝えた。
155人分もの授業所感がすぐに送られてきた。泣いた女子学生のレポートがトップにあった。本人と中澤に許可を得てここに書き写す。
私は中学校の運動部活動で、体罰、暴言、パワハラを受けて、その部活を辞めたという経験がある。桜宮高校の話にその時の自分と重なる所が多くある。とにかく辛かったことを思い出した。親は最初、私が続けると言っていたので、「それなら頑張りな」と背中を押してくれた。でもどんどん壊れていく私を見て、もうお願いだから辞めてほしいと言った。
何かを諦めることや、投げ出すことが初めての経験で、その部活の中でも割と期待されていた私は自分のプライドや名誉とたくさん葛藤し、辞めることを決めた。辞めた後、自分のことが嫌いになるような瞬間もあったけど、今は辞めて良かったと心から思う。
島沢さんのお話を聞いて、当時のやめることを決めた私や、背中を押してくれた親が報われた気がして、涙がでてしまいました。お話が聞けて本当に良かったです。ありがとうございました。(全文ママ)
自分に部活をやめるよう勧めた親が「報われた気がした」と書かれている。親御さんは体罰どころか強く𠮟ることすらしていなかった。理不尽で暴力的なものがない家庭で育った女子学生は私の話で「私も親も正しかった」と承認されたように感じたのだろう。こうして「非暴力」の気運が高まる現代では、教育現場や企業社会、芸能界でも人権が尊重されハラスメントが忌避されるようになった。𠮟らない時代が到来したのだ。
その女子学生は別れ際、「これからは自分がやれることをやっていきたい」と明かしてくれた。ハグをし合う私たちを前に、中澤は「入学してよかったって初めて思ったんだ。いやいや、(島沢に)嫉妬するなあ。でも、いいことだ。本当によかった」と目を潤ませた。
朝日新聞デジタル版「大谷翔平の指導者が捨てた「常識」 才能をだめにしないロジックは」(2021年11月18日)の記事中で、岩手県花巻東高校野球部監督の佐々木洋は、菊池雄星、大谷翔平ら同校出身者に加え佐々木朗希など東北出身選手の活躍について聞かれた際のこととして、こう続けている。
「私は以前もすごい才能の選手はいたと答えます。指導や練習方法が原因で開花させられなかったと考えているからです」
そこで記者の――手厳しいですね、の一行があり、佐々木は「指導によってすごい選手を生み出すことは難しいが、だめにしてしまうのはたやすいと思う」と述べている。
表舞台から姿を消した元選手が「消えた天才」と表現されるのを、「消えた天才は、指導によって『消された天才』ではないか」と考えていた私は、佐々木の言葉が腹に落ちた。指導者にだめにされた子どもは傷を負い、その経緯いかんで指導者側は職を追われる。そうならないために「新しい指導スタイル」を伝えなくては。焦りに似たものを抱えながら取材を続けた集大成が、本書である。取材対象の人選においては、日本一や全国大会出場といった結果よりも、指導スキルやチームづくりのプロセスを重視した。
さまざまな競技の指導者たちが「自分を変える」ことで、選手を伸ばした軌跡を追った。今までやってきたことは何なのかと過去を省みて、理想の指導を追求する姿を見た。総勢18人。そこから浮かび上がったのが5つの「𠮟らない時代の指導術」である。それらにより一層の説得力を持たせたいと考え、5人の専門家を交え各スキルを分析した。
指導者が怒ったり、𠮟ったりするのは、子どもや若者の側に非があるからという論理だ。本書に挙げた18人は、おまえが悪い、なぜできないのかと指導対象に圧を加えるのではなく、「どうすればいいのか?」と自らに矢印を向け、新境地を開いた。文中の「指導者」を、「教師」「管理職」「保護者」などに置き換えれば、スポーツに限らない全分野の人材育成に有用なスキルだと確信している。
『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』では、
第1章 雪国の無名校はなぜドラフトに一学年6人も送り出せたのか 「やる気が出る」環境をつくる
第2章 控え選手だった三笘薫はなぜ焦燥につぶされなかったのか 「対等な関係性」が人を伸ばす
第3章 不安に怯えていた柔道選手はなぜ五輪を連覇できたのか 「傾聴と問いかけるスキル」が成果を生む
第4章 河村勇輝はなぜミニバスからNBAまで成長し続けるのか 「好きのマインド」が伸びしろへ
第5章 6万人を教えた「少年サッカーの神様」はいかにスポーツを変えたか 「主体性の支援」こそ本当の厳しさ
という5章構成で、三笘薫、河村勇輝、北口榛花ら若くして世界で活躍するアスリートを育てたコーチ18人の人材育成術に迫ります。
著者
島沢優子(しまざわ・ゆうこ)
スポーツジャーナリスト。筑波大学卒業後、日刊スポーツ新聞社東京本社に勤務し、1998年よりフリー。スポーツと教育の現場を長く取材する。著書に『オシムの遺産(レガシー) 彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)、『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。