およそ20年前、驚くほど日本と世界の今を予言していた半藤一利さん。「戦争というものは、本当に人間がやってはならない一番最大の悪です」
ベストセラー「昭和史」シリーズをはじめ、昭和史の語り部としてたくさんの戦争関連書を遺した半藤一利さん。半藤さんが日本人に伝えようとした大切なこととは何か。「戦争で死に損なった男の夢みたいな話かもしれませんが」とことわりながら語った言葉は、日本がこれからの時代を生きていくための道標となるでしょうか。
書籍『日本人の宿題 歴史探偵、平和を謳う』より、半藤さんが「若い人に」と語ったメッセージを抜粋して公開します。
■第一章 勝ったという経験は、人間を反省させないし、利口にもしません
ラジオ深夜便「戦後60年の日本人によせて」(2005年1月1日放送)聞き手 村田昭
人間の生き方は、国家とは何かという問題と切り離すことはできない
――若い人にメッセージを出されるとすると、どんなことになるでしょうか。
半藤 わたしが見た若い人たちが「非常に危なっかしいんじゃないか」ということをお話ししたいと思います。いまの人たちを見ますと、携帯電話と言いますか、ネットと言いますか、こういう社会というのはいったい何なのだろうと、ときどき思うんです。
――何なのでしょう。
半藤 あれはね、自分にとって大事なのは何か、あるいは、自分にとって大事かどうかということだけが価値基準なんですよ。ですから、簡単に言えば、ネット上の、自分に必要な情報だけしか見ようとしない。本当はもっとたくさんの情報があるのに、自分がいやな情報は見ないんですね。取捨選択が非常に自由ですから、万能感と言いますか、自分こそ主人という気持ちになれるんです。
もう一つ言いますとね、その結果として、自分にとってネットの上の大事なものしか大事ではなくて、ほかのことには全部無関心、そうなるんじゃないかと。これは断定しているわけではなくて、外から拝見していると、そういうものが非常にわたしなんかは感じられるんですよ。
実際は、それではすまない。人間の生き方の中には、やっぱり、社会とは何かとか、自分の運命を左右するような国家とは何かとか、世界の中の日本人はどうあるべきかなど、そういう、いろいろな問題がまわりにあります。ところが、ネットを見ている人たちは、みんな、それがいらないんです。なぜなら、自分にとっては大事じゃない情報だから。
それを繰り返しながら大きくなっていくと、何となく肥大化している自分と、全体的な社会性が欠如した人間とか、あるいは、根拠のない万能感と言いますか、自分は何でもできるというような人たちがたくさん生まれてくる。他人に無関心で、お互いに交渉をほとんどしたくない、そういう大人がどんどん増えてきたら、いったいどうなるだろうか。わたしなんかはそう思うのですが、いかがですか。
――四十年経たなくても危ういですね。
半藤 全部が全部そうではないと思いますけれど。でも、ネットしかやっていない、ネット上のものしか信じない人はたくさんいますね。そういうものを見ていますと、「おいおい、大丈夫かいな」と。
――想像力とか、そういうものが欠けてくるでしょうね。
半藤 もう欠けてきているんじゃないだろうか。思いやりなんかも想像力ですからね。さっきも言いましたように、いま、国家目標そのものが曖昧模糊としているときに、このままグラグラしながら、ネット社会でしか生きていない人たちがどんどん大人になっていったら、いったいどういう日本を目指すのだろうかと。
わたし自身は、もう少しちゃんとした人間同士の付き合いとか、日本人だけじゃなく、国際的な人間同士の付き合い、あるいは、社会をもう少し考えるとか、そういうことが必要なんじゃないかと思うんですがね。
――若者からもう少し年齢を引き上げて、いま、中心で活躍している人たちを考えてみたいと思います。どうでしょうか、すぐ飽きてしまうという話がありましたし、半々に分かれたときでも、何か威勢のよいほうにつくとか、日本人の性格として、そういう傾向はないでしょうか。
半藤 これはもう、皆さん、そうなんじゃないですか。そのほうが楽ですからね。少数派に回ると大変で、たくさんの人についたほうが楽です。とくにネット社会などは、まるっきりそうなんじゃないですか。
日本はどういうふうにして生きていこうとしているのか
半藤 戦後六十年を機会に歴史を振り返りながら、これからの日本を考えているわけですが、戦後の日本人というのは、もう少し開けた人間であったはずなんですよ。それはもう、国際社会の中に仲間入りしなければいけないと思っていましたから、一所懸命、そういうことで頑張ってきた。国際社会の中の日本であろうと、努力をしてきたわけです。しかし、いまはどんどん閉じていますよ。外国旅行はしていますけれど。
――すごい数ですよね。そういう意味では、国際社会に開かれているような気がいたしますが。
半藤 いや、何も見てこないんじゃないですか。見てこないというか、誰ともそれほど付き合ってこないんです。日本人ほど付き合いの悪いやつはいないと、よく聞きますよ。
戦後日本を考えますと、本当にあの焼け跡の中から、一所懸命に日本をつくってきたんですよね。やっぱり、日本人のエネルギーというのはすごいと思うんです。もう少し真面目になって、あんまり自分たちだけで自己満足しないで、「明日の日本をつくる」というかたちで真面目に、もう少し誠実になって、そして頑張る。だって、廃墟からこれだけのものをつくったわたしたちですよ、もういっぺん国をつくり直すことくらいできる、と思うんですがね。
――何をやってよいのか、それが見つからない、という若い人もいますね。
半藤 これはやはり、政治の問題ですよね。政治のトップに立つ人たち、経済のトップでもいいですけれど、日本のトップに立つ人たちが、国家目標は何であるかという、大きな意味の戦略、あるいは政略、そういうものを打ち立てないで、すぐに成果を生むような短兵急の発想でしか考えない。本当に、日本はどういうふうにして生きていこうとしているのかという、そういう世界観がなくなっちゃいましたよね。
「目的のある時代の人間はいいんだよ。みんな一所懸命になれるんだよ。目的に達すると、もうどうしようもないんだよ」と言う人がいますけれど、そういうあきらめの話ではなくて、新たなもう一つの目標を国として立てて、そして押し進めるというぐらいの力と情熱は日本人にあるわけですから、すべきだと思いますね。
――もう物を求める時代は終わったというふうになってくると、では、何を求めていったらいいかというのは、非常に難しいし、逆に言えば、本当に贅沢な悩みでもあるわけですよね。食べられない人たちがまだ世界には、たくさんいらっしゃるわけですから。
半藤 それはもう贅沢すぎる悩みですね。しかしながら、何も将来に夢を描けないという、それこそ、「坂の上の雲」がなくなっちゃったというのは、もっと気の毒なんですね。
もうね、年寄りの夢みたいなことを言いますと、いまだからこそ、平和憲法から平和主義というものを世界中に押し進めるぐらいのことを、日本人が情熱を持って、やり直したほうがいいと思っているんです。
昔は、戦争というものは国家主権同士の戦いだったわけです。これは国際法にもちゃんとそうあります。ところが、二十世紀の終わり、一九九九年に北大西洋(条約機構)軍(NATO軍)がコソボの問題(*)に介入しまして、爆撃をしたんですね。あのときの理由が、「人道のため」と言う。人道のために爆撃をして、一国の国家主権を踏みにじってもOKなんだという戦争論を、あそこで持ち出したんです。わたしはあのときから、「二十一世紀というのはとんでもない世界になるぞ」と思いだしたんですよ。
過去の戦争論、つまり、国際法に基づく過去の戦争論は全部ご破算です。なくなっちゃった。これは一種の予防戦争なんですが、危険と思われるやつを先に叩くのは正しいということで戦争が始まるわけですね。
こういうことが、いわば、現在の世界なんですよ。この理屈でいくと、どこでもやれます。宣戦布告しなくてやるわけですから。「人道のため」と言えば、ちょっとした国は全部が人道のために爆撃できる。それから、危ないと思った国を先にやれるとなれば、またこれ、どこでも叩けるわけです。人類は非常に危険なときなんです。
*コソボの問題
コソボはかつてセルビア共和国内の自治州で、住民の九〇%ほどがアルバニア人だが、政権はセルビア人が掌握していた。一九八〇年代末、セルビア当局が州の自治権を奪うと両者の対立が表面化、九八年には当局の武力弾圧が激化し、九九年NATOは「人道的介入」の名のもとにセルビアの軍事目標などへ空爆を開始したが、この「人道的介入」は国連安全保障理事会の決議を経たものでもなく、国際問題化した。なおその後、二〇〇八年にコソボ議会は独立を宣言、現在では百か国以上の国が独立を承認している。
――そうですね。しかも、科学の発達ということで言えば、兵器もどんどん強力になっていますよね。
半藤 強力になっています。ですから変な話ですが、遠くからボカボカ撃って、自分のほうは何の被害もないということはあり得るわけで。それは、いまの人類が直面している最大の危機だと思います。
そのときに、やっぱり日本が、「よし、日本が世界のトップを切って、みんなして努力して平和で行こうじゃねえか」ということを国家目標として打ち立てて、バカにされようが何しようが、これを「わが日本の、これからの二十一世紀の日本の生き方である」とやって、頑張ったっていいじゃないかと。
これは、戦争で死に損なった、空襲で死に損なった男の夢みたいな話かもしれませんけれど、そういうような大きな理想を打ち立てて、日本がこれからの時代を生きていくというのは、わたしは非常に大切なことだし、いいことじゃないかと思うんですがね。
――「坂の上の雲」をそのぐらいのところに置かないといけないと。
半藤 置かないといけなんじゃないかと思いますね。
著者情報
半藤一利(はんどう・かずとし)
1930年、東京生まれ。作家。文藝春秋に入社し、「週刊文春」「文藝春秋」などの編集長を歴任。著書に『昭和史 1926─1945』『昭和史 戦後篇』『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』など、共著に『太平洋戦争への道 1931─1941』など。2021年1月逝去。