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素早い描線と大胆な構図、「ロートレック展」で感じる19世紀末のパリ(レポート)

アイエム[インターネットミュージアム]

パリ・モンマルトルのアトリエで歌手や芸人、娼婦たちの姿を描き、一世を風靡したアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)。素早い描線と大胆な構図を活かしたポスターは、19世紀末のパリを席巻しました。

ロートレックの紙作品(グラフィック)のコレクションとしては、ルーヴル美術館(パリ)やロートレック美術館(アルビ)に次ぐ規模を誇るフィロス・コレクションが初来日。手紙や写真なども紹介し、ロートレックの実像に迫る展覧会が、SOMPO美術館で開催中です。


SOMPO美術館「ロートレック展 時をつかむ線」会場入口


展覧会は5章構成で、まずはフィロス・コレクションの最大の特徴といえる素描から。素早い筆致で描かれた数々の下絵は、ロートレックが何を見て、何を描きたかったのか、直接的に感じることができます。

ロートレックのカタログ・レゾネ(全作品目録)によると、ロートレックの素描は約5000点弱とされています。


第1章「素描」


続いて、ロートレックが活躍していた頃のパリの大衆文化を伝える作品です。パリ郊外のモンマルトルは、田園風景が広がるのどかな場所でしたが、18世紀末から19世紀の中頃になると大きく変容。カフェ・コンセール(ショーを見せる飲食店)やダンス・ホールが軒を連ねる、大歓楽街になりました。

アリスティド・ブリュアンは、モンマルトルで人気を博したシャンソン歌手です。客として来ていたロートレックと親しくなり、ロートレックの才能に注目した最初の人でもあります。


(左手前)《キャバレのアリスティド・ブリュアン》(文字のせ前)1893年 リトグラフ 展示風景


続いて、出版物(雑誌、書籍)に関連した作品。ロートレックは大衆的で娯楽性の高い媒体から、知的エリート向けで趣味性の高い媒体まで、さまざまなジャンルのメディアに、多彩な作品を提供していきました。

『レスタンプ・オリジナル』は、1893年から1895年にかけて出版された版画の芸術雑誌です。記念すべき第1号の表紙となった作品に描かれているのは、奥がロートレックが懇意にしていたベテランの刷り師のコテル爺さん。手前はロートレック作品にしばしば登場するダンサーのジャヌ・アヴリルです。


(右)『レスタンプ・オリジナル』誌表紙 1893年 リトグラフ 展示風景


展覧会のメインといえるのが、ロートレックの代名詞であるポスターが並ぶ第4章です。屋外に掲示されるポスターは破損や変色と隣り合わせにありますが、フィロス・コレクションは状態の良いものを厳選して蒐集しています。

また、第三者が文字入れをする前の刷りが数多く含まれているのもポイント。ロートレック自身のデザインを、オリジナルに近い状態で確認することができます。


(左から)《エルドラド、アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレにて》1892年 リトグラフ / 《ジャヌ・アヴリル》(文字のせ前)1893年 リトグラフ 展示風景


最後の章ではロートレックの私生活と晩年にフォーカス。伝統ある貴族の家に生またロートレックは、成長期に両足を相次いで骨折し、それ以降、下半身の成長が止まってしまいました。

虚弱体質なうえに不摂生もあり、36歳で死去したロートレック。ただ、展示されている食事会のメニュー・カード、展覧会の招待状、家族や知人にあてた手紙、プライベート写真などを見ると、生前のロートレックは多くの人に愛されていたこともわかります。


《展覧会の招待状》1898年


展覧会は東京から始まり、札幌、松本と巡回します。会場と会期はこちらです。

またミュージアムショップの奥では、関連企画として「新宿のムーラン・ルージュー大衆劇場と美術」も開催。美術館がある新宿におけるレビューなどの劇場文化と近代美術の交流について、映像で紹介されています。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年6月21日 ]

※作品はすべてフィロス・コレクション

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