不登校のキミへ 鴻上尚史が伝授する「嫌いな人」を好きにならなくて良い でも対立しない「コミュニケーション術」とは?
不登校に迷う子どもと親へ。作家・演出家の鴻上尚史さんインタビュー第2回/全4回。学校の人間関係と、コミュニケーションのヒントとは。
【密着写真19枚】子どもが前のめりになる「仕掛け」とは? 「探究学舎」のリアル講座(2日で9時間)に密着不登校の原因はさまざまといわれていますが、日本財団の「不登校傾向にある子どもの実態調査報告書」(※1)によると、いじめや人間関係に悩んでいる子どもは約3割もいます。「学校は人間関係を学ぶ場。マイナスの人間関係しか学べないなら行く意味はない」と語るのは作家で演出家の鴻上尚史さん。
学校で不可欠な人間関係を子どもたちはどう考えればいいのか、鴻上さんに聞きました。
●鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)PROFILE
作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学法学部卒業。1981年に劇団「第三舞台」を旗揚げ以降、数多くの作・演出を手がける。紀伊國屋演劇賞、岸田國士戯曲賞、読売文学賞戯曲・シナリオ賞など受賞。エッセイスト、小説家、テレビ番組司会、俳優、映画監督、ラジオ・パーソナリティなど幅広く活動。『君はどう生きるか』(講談社)ほか、著書多数。
「クラスのみんなと仲良く」なんてできるわけがない
このインタビューは「不登校」がテーマだけど、今回は不登校の増加ともたぶん深く関係している「コミュニケーション」について話をします。
もし、子どものキミが友だちとの関係でモヤモヤしているとしたら、そのモヤモヤの正体を知ることできっとラクになれるはずです。
キミたちは小さいころから、先生に「クラスのみんなと仲良くしましょう」と教えられてきたんじゃないでしょうか。だけど、そんなことは不可能です。クラスの中には、好きな人も好きじゃない人もいる。「みんなと仲良く」なんてできるわけがない。
できないことを要求され続けるとどうなるか。「好きじゃないヤツとも仲良くしなきゃいけない」というプレッシャーを日々抱えて、だんだんイライラしてくる。そんなイライラがイジメの増加につながるんじゃないかと僕は思ってます。学校が息苦しい場所になっているのは、無理のある人間関係を強いられていることも原因のひとつなんじゃないかな。
ただし「仲良くしなくていい」というのは、「無視していい」ということではありません。
話し合いをするときには、好きな人の意見も嫌いな人の意見も同じように聞く。係の仕事を一緒にすることになったときは、意地悪したりしないでちゃんと協力して役割を果たさなきゃいけない。それは大人になって会社で仕事をするときも同じです。
大事なのは嫌いな人を好きになることじゃない。嫌いな人とも対立しないでうまくやっていくことなんです。
日本では「他人との関係をどう築くか」は、道徳の話になっちゃってる。道徳は「誰とでも仲良くすべし」という理想を押しつけるばっかりだから、すんなりと納得できない。
欧米だと、道徳じゃなくて「シチズンシップ教育」、つまり他人を尊重しながら、社会の中で市民のひとりとしてどう役割を果たすかという話になるんだよね。選挙に行こうとか社会の不正を見逃さないようにしようとか、そういう話と同じです。
「コミュニケーションが得意」とはどういうことか?
もうひとつ勘違いしている人が多いのは、日本では「コミュニケーションが得意」というのは、誰とでも無難に仲良くできることだと思っている人が多い。
そうじゃないんです。どこに遊びに行くかを相談するにしても、友だちと意見が合わないことだってある。ぶつかったって、ぜんぜんいいんです。もめることは、ぜんぜん悪いことじゃない。
自分の意見を引っ込めて相手に合わせていたら、もめはしないかもしれないけど本当に仲良くはできません。「黙って相手に合わせたほうがラクじゃないか」と思った人もいそうですけど、それをやっていたら相手の要求はどんどんエスカレートしてくる。うわべの平和をたもつために、自分の意見を飲み込んで我慢し続ける毎日を送りたいですか。
「コミュニケーションが得意」というのは、意見がぶつかったときや相手ともめたときでも、どうにかうまくやっていける能力のことです。
自分のやりたいことをきちんと伝えて、相手の意見をしっかり聞いて、お互いに譲り合いながら、お互いがそれなりに納得できる結論を出せる力のある人が「コミュニケーションが得意な人」です。
そのときの話し合いを「対話」と言います。クラス行事でも部活でも、意見が合わないことってよくありますよね。
最近は「論破」というイヤな言葉が流行ってます。それをカッコいいと思っている人も少なくない。
論破して相手の意見をけ散らしたら、その瞬間はちょっと気持ちよくても、関係は完全に切れてしまう。繰り返していたら、周りから誰もいなくなってしまうでしょう。
違う意見に対してそんな反応しかできないのは、カッコよくもかしこくもありません。
論破は0か100かですが、対話の目的は、意見が異なる同士で51対49の落としどころを探ることです。どちらもマイナスを引き受けて、こっちの考えが通ることもあれば、通らないこともある。それは勝ちとか負けとかではなく「お互いさま」なんです。
もちろん、簡単ではありません。だけどコミュニケーションの技術が上達すればするほど、あなたは大切な相手と深くつながることができます。
スポーツと同じで、コミュニケーションも練習を重ねれば必ず上達します。ときにぶつかって悩むことがあっても、自分は今、貴重なトレーニングをしているんだと思ってください。
「シンパシー」と「エンパシー」の違い
コミュニケーションに関して、もうひとつ覚えておいてもらいたいのが「シンパシー」と「エンパシー」の違いです。
「シンパシー」は同情したり思いやったりすること、「エンパシー」は共感したり相手の立場に立って想像したりできる能力のこと。
シンデレラが継母にイジメられてかわいそうと感じる気持ちが「シンパシー」で、継母はどうしてシンデレラをイジメるんだろうと想像する力がエンパシーです。賛同できなくてもかまいません。
もし道徳教育を続けるんだったら、被災地に折り鶴を送ることをどう考えるかという話を教科書に載せてほしいですね。折り鶴を送ろうと思った人は、きっと強い「シンパシー」を感じたのでしょう。
でも、送られた側にとってはどうか。役には立たないけど、ぞんざいに扱うわけにはいきません。捨てたりしたら大バッシングを受けるでしょう。本音を言えば迷惑でしかない。「エンパシー」とは何かを考える格好の教材になります。
これまでの日本は、少なくとも表面上は、誰もが似た価値観を持って同じように感じて生きてきました。だから道徳も相手を思いやる「シンパシー」の気持ちだけを教えればよかった。だけど、これだけ世の中が多様化して、ひとりひとりの価値観や考えに違いが出てきた今の時代は、「エンパシー」を鍛える必要性がどんどん高まっています。
自分の「シンパシー」を疑いなく押し付けていたら、あちこちで衝突が起きるでしょう。
かわいい孫にスーパーでお菓子をたくさん買ってきた祖父母が、お嫁さんに「うちの子はオーガニックの菓子しか食べさせてないんです」と言われて、「こんなに孫を愛しているのにひどい! 鬼嫁だ!」と怒っているケースなんて、まさにそれですよね。
「みんな仲良くしましょう」や「もめることはよくない」は、あなたを縛り付けている呪いの言葉です。発想を転換しましょう。人と人との関係においては「シンパシー」だけでなく「エンパシー」が大事ということも、わかってもらえたでしょうか。
コミュニケーションは何かとやっかいですが、逃げていたら余計にしんどい思いをすることになります。自分にとって大切な人と深くつながるために、人間関係に押しつぶされないでしなやかに生きていくために、自分にとって居心地のいい場所でたくさんの生身の人間と接して、トレーニングを重ねましょう。
その場所は学校でもいいし、学校ではいいトレーニングが積めそうにないと思ったら、ぜんぜん違う場所でもかまいません。
取材・文/石原壮一郎
※1=不登校傾向にある子どもの実態調査(日本財団)